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台風19号直撃の日に、あるツイートをみて考えたこと

 「大型で非常に強い」台風19号が直撃した10月12日は仕事が休みでした。この日は子どもを連れて近所のイベントに顔を出す計画でしたが、当然イベントは中止。体力があり余って外に出たがる子どもを車に乗せ、地元のコミュニティーFMやNHKラジオで情報収集しながら、氾濫する恐れがありそうな河川沿いを避けながら近くをドライブをするのが精一杯で、基本的にはずっと家にこもっていました。
 出勤日だったら、会社近くのホテルに前泊するか、ダイヤが大幅に遅れるのを見越して早起きして始発電車に乗るか、前日までに選択が迫られていたはずです。ドライブから戻り、「休みでラッキーだったなぁ」などと思いながらスマホを操っていると、こんなツイートを見つけました。以下はスクリーンショットです。

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 「新聞配達員を守ってください。固定ツイート」(@aka_kensyou)さんのツイートです。ぼくが見つけた段階で、この方のツイートに反応して新聞配達員の方やそのご家族が書き込んで情報交換や議論が行われたり、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)にスレッドが立ったりもしていました。これらを読んで、思ったことを以下に書いていこうと思います。

 この方のツイートで一番心に残ったものを抜粋します。

新聞はリアルタイムな情報を届けるものではないでしょう。
台風等災害のリアルタイムな情報を必要とする方はテレビやラジオを見ます。
無責任なことを言わないでください。

 ぼくもこれまで、新聞記者として、何度か災害現場で取材したことがあります。そして新聞社は、大災害がひと段落すると「あの時、記者はどう動いたか」「〇〇新聞社の一番長い日」みたいなタイトルの本を出したがります。で、そういう本はだいたい「災害発生を機に、わが新聞が社会で果たす役割が再認識された。今後も社会の期待に応えていきたい」などという、エラい人の自画自賛コメントがあとがきに掲載されます。
 新聞社という組織を運営する方々は、まだ「新聞はリアルタイムの情報を届ける」ものだと思っているようですし、世間からもそう思われていると信じているフシがあるのです。

 ぼくは販売系の業務経験がありませんので、取材現場の話をします。ツイートにある「新聞はリアルタイムな情報を届けるものではない」というご指摘、読む側(=情報を受け取る側)からするとその通りなのですが、災害の現場で取材する記者たちは常に、リアルタイムな情報を本社の編集部門に届けています。しかし、その情報の大部分が新聞紙面に生かされていないのです。
 新聞の各面にはそれぞれ締め切り時間が設定されていて、大災害のニュースなどは、締め切り時間が一番遅い「1面」や「社会面」に主に収容されます。そして、現場の記者たちを仕切るデスクをはじめとする本社組は、「締め切り(時間)」「紙面の広さ(場所)」という2つの制約の中でベストを尽くす(=自分たちが考える一番いい紙面を仕上げる)ーという作業に従事します。

 そんな新聞制作の現場では、非常に多くの情報が「賞味期限切れ」となって捨てられていくのです。これは、現場の人間からすると、かなり空しいものです。以下にありそうなパターンを創作してみました。

 ①締め切り2時間前、本社の編集部門では、その日の災害で一番大きな被害が出ているとされる被災地Aの惨状を描いた長い原稿と現場写真を社会面のメインに据える方針を決めた。その方針の下、デスクは現場記者が送ってきた原稿を加筆・修正し、制作部門は見出しとレイアウトを考え始めた。
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 ②しかし、その30分後、被災地Bを管轄する出先の責任者から「うちの若いのがいいルポを書いたから、大きく使ってくれ」と本社に電話が。被災地Bは、被災地Aほどの被害はなかった場所とされるが、「災害時に生まれた地域の絆」をテーマにした心温まるエピソードが盛り込まれたそのルポは、確かによく書けている。本社では「若い記者が頑張って書いたのだから、これを社会面メインにしよう。被災地Aの記事は短く削って、その隣に置こう」と方針が変更された。
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 ③さらに30分後(締め切り1時間前)、NHKのニュース映像に編集部門の多くが衝撃を受ける。われわれが軽い扱いにしていた被災地Cの、生々しい被害状況が映し出されたのだ。行政の発表によると、被災地Cは被災地Aほど死者・重傷者、家屋被害は出ていない。しかし、決壊した河川の様子といい、危機的状況の中で必死に救助作業をする消防隊の表情といい、NHKの映像は非常に迫力があった。
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 ④「NHKが大きく取り上げた被災地Cがなぜ、うちの新聞はこんな扱いなんだ!」。編集責任者はこのままでは明日の朝、役員たちから集中砲火を浴びることは必至だと考えた。そして、すぐに叫んだ。「方針変更だ。被災地Cを社会面のメインにしろ!
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 ⑤編集責任者の雄叫びを合図に、一斉に作業が始まった。デスクは被災地Cを管轄する出先に電話し、「社会面トップでいくことになったんで、原稿を長くしなきゃいけない。こっち(本社)からも電話取材するんで、現場でも追加取材してくれ!」。断片的な情報をどんどん加えていって、読みにくくて迫力もないけどすごく長い原稿が完成した。現場写真は、もう夜中で撮り直すことができないから、昼間に記者が撮影したショボいやつを大きく載せることにした。
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 ⑥若手記者が書いた被災地Bのルポを翌日回しにすることに決め、紙面スペースを確保した。それでも、完成した被災地Cのメイン記事が長すぎ、当初トップ扱いを想定していた被災地Aの記事が収容できそうにない。対処法を議論する制作部門の担当者たちの後ろに立っていた編集責任者は、甲高い声を張り上げた。「Aなんてボツでいい。Cさえ載ってりゃいいいんだ!」

 作り話ですので、さらっと簡潔にと思ったのですが、書いているうちにハマって長くなってしまいました。すみません。

 作り話に後日談も何もないのですが、この流れでいくと、被災地Bのルポは翌日の編集作業でも掲載が見送られ、結局ボツになります。被災地A、Bの出先の責任者は本社に抗議の電話をしますが取り合ってもらえません。そして、編集責任者は役員から「社会面の記事、あまり迫力なかったな」と軽い叱責を受けて一時はシュンとしますが、「役員の反応があの程度で済んだのは、オレの判断が正しかったからだ」と思い直します。

 当たり前ですが、こういうエピソードは新聞社が発行する「あの時、記者はどう動いたか」「〇〇新聞社の一番長い日」みたいな本には載りません。ライブ感はあるのですが、カッコ悪いからです。

 新聞記者は「リアルタイムな情報」を取材しているのですが、それが読者に届けられていないのです。紙面化されない情報をうまくネットでリアルタイムに提供できればいいのですが、悲しいかな、新聞社内におけるネット関連部署って地位も発言力も低いんです。まあ、この辺の組織文化を変えられない新聞社は、滅びるのが早いでしょう。

 台風19号に関する報道をざっと眺めた感想としては、やはりNHKが圧倒的に優秀でレベルが高かったです。NHKは国民を守ってくれているのです。災害報道におけるNHKの実力があまりにダントツなので、他のテレビ局、新聞や通信社、ネットメディアなど媒体は、「どうすればNHKの補完勢力として存在感を示せるか」という観点から戦略を練る必要があると思います。

 最後に、今回の台風19号報道における地方紙のネット対応について。都道府県より狭いエリアをターゲットにする地域紙は、規模が小さいという身軽さを生かしてネットなどで情報発信しやすいでしょうし、コミュニティーFMはそもそも災害時にこそ本領を発揮するメディアだと思います。では、都道府県をエリアとする地方紙(県紙)はどう存在感を示したのか?

 結論から申し上げると、存在感はほぼゼロでした。各社ともホームページの上部に災害関連のコーナーを設け、短文の速報を流す形にはなっていましたが、リアルタイムで自社ニュースを流す態勢にしている社は見当たりませんでした。行政が発表した避難所の情報を貼り付けている社もありましたが、NHKに比べると見にくく情報が遅かった印象がありました。

 かわいそうなので社名は挙げませんが、某地方紙のホームページではしばらく、トップ画面の「台風情報」のバナーをクリックすると全面広告が出てきて、この全面広告を消さないと台風情報にたどり着けない形になっていました。

 一分一秒を争って情報を求めるためこのホームページにアクセスした方がいたとしたら、かなりイライラしたでしょう。広告主には何の責任もないのに、広告主に悪感情を抱いてしまった方もおられるかもしれません。そんなダメダメな感じが今の新聞業界を象徴しているようで、見ていて切なくなりました。

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