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地方分権とは霞が関「解体」戦争なのだ。

逃げる官僚、追う猪瀬

はじめに

こんにちは。地方自立ラボ(@LocaLabo)です。

今回は、猪瀬直樹氏『霞が関「解体」戦争』(2008年11月初版)を読んで感じたことを簡単にまとめておきたいと思います。

猪瀬氏は2023年7月現在、日本維新の会所属の参議院議員です。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。道路公団民営化推進委員会委員、地方分権改革推進委員会委員を経験しています。東京都副都知事を務めた後、東京都知事、2022年の参議院議員通常選挙において比例当選し、現在に至ります。

猪瀬氏は立花隆と同様に「事実」に立脚して現代の問題を批判します。どちらも問題意識は現在にあるが、猪瀬氏は未来を常に未来を観ようとしていると感じます。それは、個人的な関心から出発するか、社会的な問題の解明に基礎を置くかという違いかもしれません。これを「ある種の構造的想像力」ととらえる見方もあります。

地方分権とは「霞が関解体」である

2008年9月16日、「地方分権改革推進委員会」で三笠フーズの事故米不正転売の調査に関して次のようなやり取りがあった。

【猪瀬】そもそも、それをやる意識があったのかどうかですよね。先ほど言いましたが、何もやらないほうが農水省としては問題が起きなくてよいからそうやってたんじゃないですか。農政事務所には人はあまっているし、事故米は増えていくし、輸入米はどんどん貯まっていく。つつがなきように動いていたほうが得だという意識がもともとあったんじゃないですか。

【農水省食料部長 奥原正明】そういう意識はないと思いますね。性善説に立ちすぎたということは当然反省しなければいけないんですけれども、いまおっしゃったようなことで仕事をしているということではないです。

霞が関「解体」戦争 p15

猪瀬氏は「この性善説が根源なのだということを、この部長は気づかぬふりをしている」とし、官僚のしたたかさを明確にあぶりだしています。

本書では地方分権改革推進委員会の議事録を大量に引用しています。本書を取り上げた理由は、省庁の審議会、検討会などの議事録読み込みを続けてきた当ブログの根本的な問題意識として持っている、官僚たちに対する不信任が共通のものと感じたことにもあります。自分たちの業務をえんえんと弁明する官僚に対し猪瀬氏は冷徹にNOを突きつけます。

巧妙な天下り先の確保と補助金の行方

最近、国交省の幹部を強制的に斡旋したことで話題になった羽田空港の施設管理会社「空港施設株式会社」。現在、羽田空港の駐車場の運営事業者は現在3者あります。

本書でも問題にされたのは「日本空港ビルディング株式会社」「財団法人空港環境整備協会」の2つ。国交省の天下り先として指摘されています。それだけに限らず、財団法人、株式会社など形態の違いを駆使して利益の配分方法が分かりにくくされているとも指摘されています。しかも、空港のランク付けにより、国と地方で管理(補助金の額)が分かれていることにも触れられています。それに関して次のように記載されています。

一県一空港などと銘打って、定期便も飛ばないような場所に空港が作られてしまうのにも、同じような構図がある。関西圏にたくさんの空港ができるのは、その象徴である。赤字空港への分散投資が進む原因は、空港整備特別会計と、空港の種別に応じた補助率にあると言っていい。
いまのような体質が温存されれば、空港同士が競争する仕組みにはならない。正常な競争がおこなわれる仕組みをつくれば、資質のない経営者は排除されるようになる。
また空港の民営化とは、ある意味で地方分権と同じである。地域に自己決定権を持たせ、同時に責任を持たせることである。
このとき地域に求められるのは、空港も含めた都市計画である。空港というのは、たんなる飛行機の発着場ではなく、都市の機能の一部である。(中略)都市のあり方を考えた場合(中略)考えるべきことはたくさんある。そうしていくなかから地域間の競争が起こり、着陸料の引き下げをはじめ、利用者へのサーヴィスも向上していくのである。

霞が関「解体」戦争  p45

地方を信用していない省庁の官僚

民主主義とは国民の意思が反映されるものだが、選挙で選ばれるわけではない霞が関の官僚機構の役人たちが、自分たちの都合のよいように勝手に規則を作っている。地方制度もしかりで、中央省庁が都道府県や市町村の行政に政令・省令を通じて深く関与することで一定水準の行政サーヴィスをいきわたらせる中央集権的な仕組みである。
地方の歳出の九割について中央省政府が定めた「基準」が存在する(いわゆる「義務付け・枠づけ」)。地方の自治の事務と分類されているのに、中央政府がその方法や手続き、規格を義務付けているために、全国に似たり寄ったりのハコモノ行政の風景がある。
(中略)
急激な少子高齢化による人口減少社会を迎えるなかで、都市と農村、雪国と南国、中山間地(平地が少なく農業に不利な地域)と島嶼部、とそれぞれ別の行政課題に直面している。画一的な制度から、地域が自ら創意工夫をこらすことができる制度設計に変えていかなければいけない。

霞が関「解体」戦争 p60


今年の第211回国会における法律調査では約60本の閣法の新、改正法案の調査を行いました。そこで分かったのは、法律を作る=規制を作るということでした。さらに法改正とは規制の増加でもありました。そして、法改正には表れてこない「~~法施行規則」「~~規則」「~~ガイドライン」「省令・布令・通知」などなど、ありとあらゆる規制のデパートを作ることが国の行政の根幹であることがよく理解できました。

猪瀬氏はここにも鋭く切り込みます。

分権委員会がはじめておこなった調査によって、五百三十五本の法律に一万百七条項の「基準」があることが分かった。一万以上の基準から、残すものを一つひとつ挙げていては日が暮れてしまう。廃止できるものを列挙するのではなく、廃止できないものがあれば、なぜか問うた。

霞が関「解体」戦争 p62

その中で「なぜ保育所を増やせないのか」に対する猪瀬氏と厚生労働省の官房審議官、村木厚子氏のやり取りは秀逸です。

猪瀬 いろいろな保育に関するサーヴィス業者が競合することによって、淘汰されていって、良いサーヴィスがそれぞれの価格で提供される。それを社会主義的に決めていくと、どうしてもいまのような状況が起きる。ある程度自由化したかたちでやれば、低い価格と高い価格帯とができるが、今度は保育に携わる人たちの給料も高い人もいれば低い人もいるというかたちで、そこで新しい雇用が生まれる。(中略)厚生労働省が保育所の補助金を三千億円ぐらい持っている。それを地方に渡してしまえば、東京の認証保育所ではないですが、地方の基準で、それぞれ自由にやれる
(中略)
村木 たいへん答えにくいですが、はっきり申し上げますが、地方自治体によって、子どもの対策に非常に熱心なところも、そうではないところも必ずある(中略)みんな同じ熱心さではない(中略)どこに住んでいても、一定のサーヴィスが受けられるようなかたちを日本全国について、ある意味で下支えみたいなルールがいらないかと言われると、全部お任せをしろと言われると(中略)国が全部仕切ると考えているわけではありませんが、(中略)国と地方が一緒にやっていくという枠組みがいるのではないか
(中略)
猪瀬 厚生労働省が、一定の水準というか、標準を決めれば、だいたいはみんな従うのです。ただ、もう少しこういうふうにやってみようかなと工夫するところが出てくるのです。そこなのです。「基準」をきちっと決めてしまうと、その工夫の芽を摘んでしまう。だから、余地がないと、このまま話が絶望的なままなのです。

霞が関「解体」戦争 p67〜

このやりとりを振り返って猪瀬氏は次のようにまとめている。

厚生労働省の官僚の議論は、えんえんと繰り返しで、深まっていかない。
日本は法治国家なのだから、法律にのっとって地方自治をおこなう必要がある。しかし、法律そのものより、政令・省令が定める具体的な「基準」が、地方自治体を集権的にコントロールしている。
中央省庁は、このような画一的な基準をつくり、地方自治体にそれらを順守するよう義務付ける。従わなければ、補助金を受け取ることはできない。国がナショナルスタンダードを決めて、地方が独自に判断する余地がない。杓子定規のやり方では、地方自治体も国の義務付けに依存して無責任になってしまうのである。

霞が関「解体」戦争 p79〜

まとめ

さて、本書のいくつかの部分を引用し、内容をご紹介してきました。その他にも、生活保護と労働に対するインセンティブの欠如といった問題。また、農業政策に関する農地転用制度とその基礎となる農地面積の基準についても役人の恣意的な判断に任せられていること、時代への対応意識の低さといった点を次から次へと中央省庁の官僚の無能さに対する批判がなされます。

官僚の発言は曖昧模糊として、質問に対して煙に巻くことに終始します。それに対して資料の提示や作成を求める猪瀬氏のやり取りはさながら映画を観るようです。いうなれば「逃げる官僚、追う猪瀬」。常の態度として国民には根拠なしの論理で相手にしない官僚たちに冷や汗をかかせたことでしょう。国民は官僚の決めたこと、あるいは国という組織に対して「国にしかできない」ことと納得させされ、騙されてきました。

私達は「国にしかできない」ことはさほど無いのだという事をこれまでの減税活動で気づいてきたと思います。猪瀬氏の本書を読むことでその思いをあらためて認識することができました。

しかし「減税したら国が亡びる」ぐらいのことを街中を歩く人の多くが思っている現在。それは全くの幻想であるし、国家主導とはただの社会主義だと知ってほしい。むしろそのために増えすぎた規制をなくして減税するからこそ、民間が自由にやれることが増えて、より良いサービスや技術革新が生まれて経済成長していくのです。

今年1月に行われたダボス会議の「日本経済再生の道」と題するセッションにおいて、32年間不況に陥ったことのないオーストラリア元外相のビショップ氏から次のような趣旨の指摘がありました。

日本政府は経済に介入しすぎず補助金など保護主義的な政策はやめるべき。大胆に規制緩和をして中小企業や起業家などが活躍できる環境を作ることが重要。また経済を開放しグローバルな競争を受け入れるべきであり、特に関税の引き上げや移民を減らすなど保護主義的な政策は経済成長にとってマイナスであり、場合によっては外交問題に発展しかねない。

海外から見た日本の姿を、私たちはなかなか知ることができません。これは貴重な提言だと思います。政府の民間への介入を減らすこと、すなわち減税と規制緩和は、今後の日本経済の復活にはとても重要なことだと言えるでしょう。

税金下げろ、規制をなくせ!

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