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【コロナだから起業】飲食店を3店舗経営してる実家で働いてますが、コロナがなかなかおさまらないので、お店を存続させるために、店長がそれぞれ起業し店舗引き継ぎを行い、経理・事務の私も起業して独立します!


私は5月から、グラフィックデザイン/ウェブデザイン、動画制作、SNS運用代行、飲食店起業相談、記帳代行などの仕事で独立して起業することにしました。

そのため、5月からわやわやには不定期に手伝いに行くような感じです。

この決断、たぶんコロナ前であれば絶対していません。


私の家は、祖父の代から青森で飲食店経営をしてて
借金は5000万以上
これは事業の融資だけじゃありません

県外の親戚に騙され
祖父が負わされた借金

そのせいで闇金に手を出して、
借金は膨れ上がり、事業を拡大していくものの借金は膨れ上がるばかり


この借金を返すために、両親は自分たちの時間も、夢も全部我慢して働き続けました
自分たちの自由なお金も時間も全くない

私や弟、子供たちがいるからと
まるで奴隷のような生活なのに文句を言わず
人の倍以上働きました

その時に両親が働いていた時間
売り上げていた額

大人になった今だから、それをしてきたことがどれだけすごいか分かります

両親のやっている飲食店の規模でその額を売り上げるのは、よほどです
頑張っただけでは出来ない数字

失敗は許されないし
成功をし続けることしか許されないような売り上げ

そしてそれを行うための労働時間

朝10時にはお店に来て深夜3時に家に帰る
そしてお父さんはそこからメニューを作ったり模索して
お母さんは朝7時に起きて、雨が降っていれば学生の私や弟を送ってくれました

睡眠時間は一日3時間程度を20年

高熱を出しても、
顔面に火傷を負っても、
骨が出るほどの傷を負っても
骨折しても
休まずに営業し続けた両親


自分ならきっと、、、
出来ない、、、


借金が2000万あるから大学進学は出来ないと祖母から告げられた高校時代、この時点でもう半分以上の借金は無くなっていました

私はこの時に初めて莫大な借金があり、騙されて肩代わりさせられた借金だということを知りました
当時付き合っていた今の夫にもお金のために何でもする人生を歩まなきゃいけないかもしれないから別れようと言ったりもしました
高校の時に自分では想像もつかない額の借金の存在
稼がなければと思い高校を中退してでも
スナックやキャバクラで働こうと思っていたけれど、両親は大丈夫だから、絶対にこの借金を子供の代には残さないからと必死に働いてくれて
私を無事に高校を卒業させてくれました

私はその後東京に行って、キャバクラで稼ごうと考えて半分グレたような考えだったので
道を踏み外さないように強引ながらも青森市内の調理師専門学校に入校希望を両親が出してくれました

その時少しでも学費を払いたくて
スナックへ行ってみたものの、稼いだ額は到底借金など払える額では無くて自分の学費の足しにした程度

もっと稼げると思ったのに、、、
それを両親に相談したら、
騙されて肩代わりさせられた借金を
祖父が事業で返済しようとして失敗して膨れ上がった借金

事業で作った借金は事業でしか返せない

それを聞いて、頑張ってる両親の少しでも役に立ちたくて両親のお店のサイゴンに入りました

親がどれだけ頑張っているか間近で仕事を見て、仕事量も仕事の時間も絶対真似できないし普通だったら心が折れてしまう

両親のせいじゃない借金、ましてや騙されて背負わされた借金を、
子供たちのためにというだけで
これだけ苦労して途方もくれる20年間を過ごしてきたと思ったら、
絶対に将来は楽にさせてあげたい

失った時間を取り戻してあげたい

お父さんの過去は自衛隊で航空管制官で英語の通訳もやってて、映画のランボー、ロッキーに憧れてて
そして、将来は本が好きだから本を書いてみたいなぁと考えてたのは、
20代の頃

そして、お母さんは裁縫の学校に行って、裁縫が得意で
服屋さんでは表彰されるくらいのスタッフになって
そして子供が好きで、女子会でお話も好き
もっと子供との時間も作りたかったし、もっと友達とも会って不安な時の相談できる人が欲しかったと言って、辛くて泣いていたお母さんの姿

両親は全部諦めて、自分達の代で全て終わらせるという思いで頑張ってくれました

私の両親は家族が幸せに生きることだけが願いで

事業で一泡吹かせてやる、実力を見せてやるんだなんてタイプとはほど遠くて
自己犠牲が過ぎるほど優しい二人だったので、私はずっと離れませんでした

いろんな人に
親元を離れた方が良い
自立しなければいけない
そう言われても、借金を返し終わって、両親に時間を作ってあげるまでは絶対に離れない
と思っていました

そして1店舗では、両親を養っていける額は稼げない、店舗を拡大していかなきゃ両親を楽にさせてあげられない
そう思い、4年前の2017年に居酒屋わやわやをオープンし、
そしてコロナの始まる2020年の1月にBARわやわやをオープン

残り借金は50万をきって、やっと今年から念願だった借金全額返済
私が手伝うようになってから
10年かかった、、、
でも、やっと楽をさせてあげられる

約30年近くになってしまった辛くて大変だった両親の失われた時間
やっと両親の人生を取り戻してあげられる

そう思っていた矢先にコロナ騒動



これを乗り切るために1300万の融資を受けました



融資とは、返さなければいけないので借金です


また振り出しに、、、



何か大きいことをしてやるんだ
そう意気込んでいる人にはそんな負担に感じない額かもしれませんが
長年苦しめられていた、もはやトラウマのような借金
祖父祖母も取り立て屋の恐怖だったり、お金が無ければ誰からも相手にされ無かったり、お金のせいで喧嘩したり

借金のせいで、いろんな辛いことがあって、苦しめられてきたのにまた、、、

しかも、事業を拡大していたことで借りる額も多くなり

両親を楽にさせてあげたくて、店舗を増やし拡大したのに
苦しめてしまった

そして、コロナによって分かった人間の本性や裏切り、いろんなことに苦しめられて、一生忘れないだろうなと思うような一年でした

でもその中でも助けてくれた人も居て、お客様、従業員、周りの人達
今残っている人達が本当に仲間だと思えるメンバーと思える瞬間もこの一年でたくさん見つけられました

いろんなことがありながらも
それでもコロナは収まらず、1年経った今でも
コロナの影響で夜の飲食店は大変です



もうこれ以上待っていられない



仲間と一緒に一生懸命築いてきたわやわや

そしていろんな思い出がいっぱいつまった両親のお店サイゴンも


全部円満に最善の方法で残したい


そう思い、このまま会社では無く個人事業主でやっていけば税金はすごいことになる

そして、会社にしても法人税など追加になるものもあるし、従業員をまもる責任も大きくなる

けれど
果たして、今までのやり方が正しかったのか


いろいろ考えた結果


全員起業すればいい


そう考えました



全部独立起業してしまえば、
創業して一年は消費税を払わなくても良くなるし
累進課税制度の日本は、儲けてないのなら少なくなる税金
3店舗合算するよりも、個別にした方が税金が安いのも明らか
とくにBARは店舗の規模的に非課税事業になり2年目も消費税等かからない可能性もある

そして一番コロナの影響が強かったであろう1年を乗り越えて見て、グループとしてやっていくのはキツくても、一店舗につき一家族分くらいを養う売り上げは作れる
大丈夫という確信もありました


そして居酒屋わやわやの店長の弟は子供が生まれ親となり、

BARわやわやの店長の吉田くんは将来独立も夢見ていて

この子達の将来の目標や夢も有る
叶えてあげたい

そんな私たちを見ていた両親は

子供たちのやりたいことを応援するだけだから
事業拡大はしてもしなくてもいいんだ
ただ、みんな幸せに暮らせればそれでいいよ

と言ってくれていて

みんなの将来などの感情的な部分以外にも
私は経理や事務をやっているから、起業して経営者を別々にした方が良いというのは一目瞭然


私も独立した方が、親の負担にはならない

私は両親の負担を減らしたくて入ったのに
今は負担になるだけ
独立して、経理や事務や広告宣伝の部分を請け負う形にしたほうが良いかもしれない

だからまったく関わらないのでは無く、個人事業主となりながらも連携していく

居酒屋わやわやは弟が事業主となり
BARわやわやは吉田くんが事業主となり
経理、事務は私が事業主となって依頼を受ける

そうすれば、全員の将来のためにも良いと思い提案して
みんなに話し、このコロナのご時世ですが
みんなに目標が出来ました

そして両親の負担も減らす

弟は、長年の両親にの姿を一緒に見ていてこれから両親へ恩返ししていくために借金返済も一緒にやっていこうと話しました

たぶんコロナ前だったら、こんなこと考えることもなかっただろうなと思います

コロナ前は、たくさん持っていることに価値観を持っている人が多く、従業員数、店舗数、お金、どれだけ自分がすごいのか
この話をしたい人が多いと思った風潮ですが

でも今は、個人がもっと注目されていて
自由というところもとても重要になってきています

本当に自分1人でいっぱい持ってるものが価値があるのか?

売り上げを上げ続けて利益を上げ続けて拡大していった先に本当に幸せってあるのか?

将来だけを見て生き続けることが、「今」本当にそれぞれが幸せに生きてることになるのか?

ずっと怖かった借金
でも、一度は全額返済する一歩手前までいけた

高校の頃は想像もできなかった額は10年あれば返せることが分かった
だから、家族で助け合ってこれからもやっていけばきっと大丈夫

私は、今回経営者を分けることによって、3店舗経営している経営者の一家という周りから見たステータスは無くなりますが、
お店は残せるし、これから経営者となるんだと希望を持ってくれた2人の未来も作れたと思い事業引き継ぎを選んで良かったと思っています

そして何より、両親がずっと考えてくれていたのは、私たちの将来
従業員含めてみんな子供として見てくれて、今回家族では無いけれど仲間の吉田くんの独立して引き継ぐという話を出した時も
したいようにしなさいと優しく言ってくれました

どこまでも両親は自分のことよりも人のために

この両親のもとで生まれてきて一緒に働いていて本当に幸せだと思いました

独立については
経理や事務、SNS運用やデザインなど広告班の私が5月
BARわやわやの吉田くんは7月
居酒屋わやわやの弟は来年の1月予定です
引き継いだ後も店名も変わらずです


私は、5月から離婚した夫とまた一緒に暮らし事実婚状態となります
この離婚は、以前私はSNSがきっかけでお店に来ていたお客様がストーカーとなり、これが原因でお互いの精神を蝕んでいき離婚となりました
これは女性がお店をやっているとこならどこでも起こり得ることで私が独立して、SNS運用代行をやるうえで被害をなくしていきたいと思っていることでもあります

この話は事例としていろんな方に知っていただきたいので後日書きたいと思います


離婚したといっていても、ずっと変わらずの付き合いで夫という感じは自分の中で変わりはなく離婚してもずっと指輪も外しませんでした
住んでいるところは別々で
私は両親と働く上で専従者でなくてはいけなかったので、実家に住んでいましたが
独立をきっかけに専従者では無くなるので、夫と住み、私の生活も新しくなります

お店をこれからも残していき、みんなが幸せになれる方法が、全員独立して起業することと思ったので今回の起業になりました

これからは起業の時代でより活発になっていくんだろうと思います

誰かの元にいれば安心な時代よりも
自由にチャレンジしたその時「今」を楽しむような社会が来るように若い人たちの独立相談も受けれるようなそんな人になりたいなぁと思います

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