図書館員(7) 2019年2月2日

図書館員  2019年2月2日

「お客様、この作品は確かに名前の通りの作者の描いたものですが偽物です。偽物ではあるのですが贋作者の作品ではありません。」
「それはまたおかしな言い方。贋作かどうか確かめてほしいと言ったが、本物作者の偽物とはどういう意味だ。贋作と偽物は同じことではないのか。そもそもあなたは正式の鑑定の免許を持っている人ではないですね、よくわからないことを言う人だ。やはり頼む人を間違ったかな。時間を無駄にした。」
「わたしとしては何度か考えて、この作品は偽物だと判断しました。これが御不満なら免許のある鑑定士に判断を仰いでください。わたしの鑑定は無料ですからお気になさらずに、他のかたに。」
 近頃丸手律はよく絵画や彫刻など美術品の鑑定を依頼されるが、正式な免許を持たないので困惑する結果になることが多い。博物館や美術館に通っているうちに芸術作品に詳しくなり、自分のブログで批評文を長々と書いているうちに依頼が舞い込むようになってしまった。古い時代の著名な画家に対しても平気で批判するので目立ったのだ。
 六割の比率で鑑定の依頼者を怒らせてしまうが、理由は鑑識眼がすこぶる個性的で、本物の作者の作品を偽物、偽作者を本物と決めつけてしまうこともある。律からすると見立て違いではなく、贋作者はオリジナル作品の間違いを正すために描いており、これは添削なのだ。高校生の時に添削形式の通信教育を受けていた。律が記入した回答は派手な赤入れが入り、戻ってきた用紙は朱の七夕飾りのように彩り豊かだった。画家のオリジナル作品がひどいので、200年も後の贋作者が手直ししたこともあった。依頼者はその美術品に金銭的価値があるかどうかを知りたいので美術としての存在価値があるのかどうかを考えることはあまりない。
 芸術作品とは自立したものだというのが律の持論で、時代性、流行、あっという間に消えてしまう狭い社会の考え方に寄りかかってはいけない。作品そのものでまっすぐに立っていなくてはならない。そうした作品の周りには孤独性が色濃く立ち込めてくる。どこにも寄りかかっていない存在は誰にも助けてもらうわけにはいかないのでいつのまにか孤独になるのだ。
 鑑定を依頼した人が住む高台の上の豪奢な家から出て、駅に向かう下り坂の半ばで、律は頭の大きさに比較して大きすぎるヘッドホンをつけ、武満徹の「死んだ男が残したものは」を聴いた。武満徹は真の芸術家なので、反戦歌としてのメッセージソングを依頼されても、攻撃性のない作品を書いてしまう。この寂しい爽快感が好きだ。
 音楽を聞くとそれを聞いた頃の思い出が蘇ると言うが、体験した記憶や情感が、しつこい元恋人のようにその音楽にまとわりついても、音楽そのものからすると迷惑な話なのだ。付着物に目を向けると、やがてはみなそちらに注意を奪われ、音楽そのものを聴かなくなる。律は久しぶりに美術鑑定の依頼者から嫌なことを言われて気分が暗くなっていたので、口直しに反戦歌のふりをした「死んだ男が残したものは」を聴いて爽やかな気分になった。
 律は本と音楽に囲まれた暮らしをしたい。兄に頼んでオーディオ装置を組んでもらった。スピーカーはイギリスの古いスタジオモニターのLS3/5aというもので、小型と言われているがそれでも律の狭い部屋では大きく見える。オーケストラが箱庭のように綺麗に浮かび上がってくる。律はそれでグレン・グールドを良く聴いていた。
 コリン・ウィルソンは本とアナログレコードとワインに囲まれた暮らしをしたいがためにせっせと執筆をしたと言う。自分はアウトサイダーだと主張していたのに、せっせといろんな人に会ったりカンファレンスに出席したりインタビューしたりしてちょっと下品だ。でも若い頃に大英図書館で執筆しているところをアンガス・ウィルソンが見つけだしたことで作家デビューできたという話は感動的。図書館には本が詰まっていて、この中で囲まれて過ごすのはなんて幸せなことだろう。コリン・ウィルソンのように執筆しても良いだろうし、ただ本を読み続けるだけでもいい。
 高校生の頃からそんな憧れを抱いていたので、律は今は図書館員になっている。図書館司書の資格はないのでフリーで働いている。賃金は誰もが驚くほど安い。でも本に関わる者は高収入ではいけない。黒パンだけ齧って暮らすのがクール。ドストエフスキーは投獄された時、ゴキブリの浮いたキャベツ汁を食べていたというのを読んで真似したことがあるが、隣に住む老婆に通報されて救急車で運ばれた。律はどんな資格も持っておらずすべては趣味でシロウト芸だから、美術品の鑑定依頼が来るのはおかしな話なのだ。資格を取ろうとすればできないわけないと思うが、世の中の資格、権威、認定制度、総じて集団的価値観などは信じていない。だから資格を取らないのだ。
 図書館は都の西南西にあり、トゥバンという名前がついていた。館長は大和のシリウスという図書館を含む複合文化施設に対抗して、たくさん本が集まっているのは財宝を守る龍がいるからなのだと主張してトゥバンと名付けた。誰も反対しなかったのはいまだに理由がわからない。でも龍の守りがあればいつまでも本は集まり続けると言う館長は図書館の中に九つの頭の龍神社を作ろうとしたがさすがにそれは関係者全員が反対した。
 建物の設計に最新鋭の建築家を起用し、平凡な方形造りの外観ながら、内部ではあたかも龍の胴体が収まっているように階段がうねり、天井に向かってはブルーモスクの内部のようで、書籍を保管するには効率が悪そうだった。書籍・雑誌以外に音楽のアナログレコードやデジタルディスク、映画のディスク、すこしばかりの美術品などもある。律はアトピーの跡が目立つので身体をまるごと覆うような衣服を着ており、手と顔の前面しか晒さない。トゥバン図書館はまるでモスクなので、この中でヒジャブを被っているような姿の律は似合っているのかもしれない。
 幸せを感じるには本を読むしかない。来訪した人々は律と同じ趣味らしく、書物の中に顔を埋めるとそのまま眠っているように動かなくなる。図書館閉館のベルが鳴るとやっとのことで書物から顔をあげて沈黙のまま去っていく。図書館員に話しかける客は滅多にいないので、律は一日に三冊くらい本を読む。古典文学が多く現代の本はあまり読まない。プラトンとかアリストテレスの時代までは人間には知性があったと思う。ところがそれ以後の時代は坂を転落するように徐々に原始時代に逆戻りしているように見えるので、律は古い本を読むのが好きなのだ。
 この図書館の蔵書はスタッフも全部把握しているわけでなく、館長が手当たりしだいに買い集めたり、大量の寄付があったり、オークションを食い散らかしたり、ともかく財宝を守る龍のように、あらゆる本を引き寄せ飲みこんでいるので、律は砂漠をさまよい歩くようにして本をどこからか発掘してくる。壁に不自然に布が貼り付けてあるので剥がしてみると中に数十冊の本が見つかったりもする。床を掘ってもナグ・ハマディ文書のようなものが見つかるかもしれない。館長は計画性なしに本を集めその内容を読んでいない。館長は財閥の家系の出らしいが、財産をまるごと本を集めることに費やす予定らしいが、本集め依存症になってから、他の依存症がすべて止まったので健康のために、毎日本を集める。
 ある日館長が、遠いところから通うのが大変なら、図書館の小部屋を使ってもいいと言った。警備員を雇うのが面倒で律にそれを押し付けようと思っているのはすぐにわかった。小部屋は機材倉庫だが、小さな机もあり、律は少しの荷物を持ち込んで大半はここで暮らすことにした。LS3/5aのセットも運んだ。したくもないのに美術品鑑定をして、依頼主から傷つけられたことがなかなかこたえていて、図書館の外にはあまり出たくないという気分になっていた矢先の話だ。本の中に顔をうずめてそれ以外は何も見ない暮らしをしたい。映画監督になる前の若いスピルバーグが無断で撮影所に潜り込み暮らしていたことを思い出して、自分も似たような感じだとわくわくした。オペラ座の怪人はオペラ座の地下深くに潜んでいるくせに他の人と接触しようとしたのでオペラを真剣に受け止めていない俗人だ。
 図書館にはけっこうな数の目立たない隙間があり、律は小部屋に慣れてきたのちに、少し冒険したい気分になり、あちこちの隙間に寝袋を持ち込んで寝るようになった。図書館の狭い隙間に自分を押し込むとウエストミンスター寺院のようにも見えてくる。コンピュータ、雑学、事典、哲学と宗教、心理学、歴史と地理、紀行もの、政治、法律、経済、社会風俗、福祉と教育、軍事関係、数学や物理化学、天文気象、生物、医学、工業、建築、電気と通信、船舶、料理、手芸、育児、農林園芸、畜産、商業、運輸、美術、書道、音楽、演劇、言語、文学理論と文学史、詩歌、小説とエッセイなど、いろんなところで野営した。寝袋は白と黒と黄色の芋虫のデザインで丸まって寝ることにしている。寝袋を買う時ネットで調べたら、手足がついたドッペルギャンガーというのがあり少し興味を抱いたが、最終的にはやはり基本に戻って手足がない虫の形を選んだ。移動するときは尺取虫のようにゆっくり動くか、あるいは横にぐるぐると回る。何度か練習したら回転しても目が回ることはなくなった。
 夜中の静かな館内では、律が移動すると寝袋が床にこすれてしゅっしゅっという音が響く。すると天井に反響してひゅーひゅーという響きが長く伸びて、これはトゥバンの鳴き竜かもしれないと思った。
 図書館で寝ていると、夢の中でいろんな本に呼ばれたり語りかけられたりする。本の中に色とりどりの宇宙があり、自分がここに寝転がって本を読んでいるのだという現実を忘れることさえできたら、本の世界の中にまるごと放り出される。くじらに関係した本を読んだのちには、くじらの腹のなかに飲み込まれ、べたべたした消化液にまみれた。本の世界に丸ごと放り出されるというのは律にとっては理想的な生き方だ。

ここから先は

8,944字

¥ 230

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?