対話篇、夢の六角堂(14)

対話篇、夢の六角堂 (14) 2019年4月6日

 三月も終わりに近づき、お花見の時期になった時、ケスラーはカウントをお花見に誘った。千駄ヶ谷から千鳥ヶ淵までタクシーに乗り料金は2330円。平日の昼にもかかわらず千鳥ヶ淵にはもうたくさんの花見客が詰め掛けていた。しかし見たところ、日本人は少なく外国人ばかりがカメラを持って歩いている。日本人は平日は会社にいるだろうから、この時間帯に外を歩いているのは外国人が多いのは当たり前かもしれない。
「日本人はどうして桜の花見を特別な行事にしてしまうのかね。いつもこれが不思議でしようがない。そんなに美しいようにも見えないし。」ケスラーは思いついたことをそのままカウントに質問した。しかしカウントはどんな話を振られても、最後は自分の思想ワールドに持ち込むことがわかっていたので、問いかけの内容は実はなんでもよかったのだ。
「先祖は山の上に住んでいる。で、春先に先祖は里に降りてくるというのが日本の古い時代の世界観だよ。日本では異次元と通じるポータルを裂け目として頭にsakをつける。坂、酒などもだが、桜もsakで始まり、これは神様を受け止めるために地上に置かれた座布団だ。様のサとそれが座る鞍(クラ)という説もあるがね。花見の時に酒を飲みすぎてゲロッたりするのもしきたりに忠実に従っている。外の宇宙の何者かがこの世界に入ってくる扉は春分点なので、太陽が通過する時は3月21日とか22日あたり、桜の開花と少し日にちがずれているかな。いや地域で違うのか。今年の上野恩寵公園は3月22日だったので、わりに一致しているか。ひとつの世界は陰陽の関わりというかその揺れで維持されているので、陰陽が中和されてゼロになった時に、外の宇宙と世界内の境い目がなくなり、外の力が入り込んでくるんだよ。プラス、マイナス、ゼロという三角形では、ゼロのポイントが上の次元と繋がっているインターバルとして作用する。昼と夜の長さが同じになる春分点と秋分点が外とつながり、それ以外の時期には世界は閉じている。」
「桜はそのインターバルに置かれた象徴ということか。桜はよく死と結びつけられている。原因は梶井基次郎の考えから来ていると思うし、実際に咲き乱れる花を見ていると死の気配というものが濃密にあるような印象もある。が、カウント君の説だと、むしろ死のかなたの世界からこの世に到来するという話だから、死ぬんじゃなく生まれるという反対のことを言ってるのかな。」
「ポータルとしてのsakはこの世とあの世がつながるのでオンデマンドで行き来できるということだよ。あちらから来るものもあれば、あちらに送られてしまうこともある。先祖がお座りになる座布団は、先祖が地面にがつんと落ちて膝を擦りむくことがないようにするものだろ。ウィリアム・ブレイクが言う植物的大地にも似ている。ただ西欧思想の影響によって、今日の世界はそもそもが先祖とか霊とか異次元を否定して単独で成立するものなので、この植物的大地は、今日的な意味での大地とは違う、大地から少し次元が上の絨毯の上にある領域みたいなものだ。地上から少し浮いた魔法の絨毯。先祖は春にこの絨毯の上にまでは降りてくるが、ハゲ地としての硬い大地には降りない。カバラの思想で言えば神はイエソドまでは降りてくるがマルクトには降りて来ない。生命の樹のイエソドはこの植物的皮膜、マルクトとは硬い岩の世界だ。日本人は座布団を使い地べたには座らない。で、人は死ぬとまずはこの植物的薄膜の領域に移動する。それからゆっりと時間をかけて山の上に移動する。山といっても須弥山のような場所だがね。生きている人が死んで桜が示す場所に移動するとは、魂魄の魄の領域、つまり絨毯の上に向かったということだ。桜は地上的な人間に死を誘いかけていると言ってもいいかもしれない。めでたいのか禍々しいのかさっぱりわからないが、桜はそういう妖しさを十分に持っているよね。」
「なるほど。上から桜へと、下から桜へと行くということか。こういうことを意識して桜を見る人はどのくらいいるのだろうね。」
「案外多いのでは。知らず知らずそれを意識しているはずだが、脳の新皮質はそれについては理解しない。脳の新皮質はくっきりした輪郭の物質しか理解しないからね。大脳辺縁系は真相についてはじつに詳しく知っている。大脳辺縁系の情報が新脳に伝わるためには、新脳が柔軟でなくてはならないし雑な知識で防御していると伝わらない。昔は西欧人はとことん物質主義に生きていたので、こういう桜のムードを理解する人は少なかったかもしれないが、今は違うかもしれない。」
「桜は異次元から来たものを受け止める裂け目にして座布団ということになると、この千鳥ヶ淵の大量の桜は、何か巨大なものが降りてくるのを受け止める大きな装置みたいな感じだな。進撃の巨人のようなものとか、巨神兵とか、使徒などが降りてくるのか。」風が吹いて、カウントとケスラーに多少の桜の花びらが降りかかってきた。もちろん桜の花を振り払うことは無粋なので、ふたりともそのままで話を続けた。
「今日、君から誘われる前のこと、夜中の12時にふいに目覚めてしまった。で、また眠るまでの間、寝床に横たわったままじっとしていると、目をつぶったまま、頭の上のほうで白い光が降りてくるのが見えた。それは気にせず、わたしは自分が火山のマグマの上空に浮いているということを想像した。これは身体が暖かくなりハッピーな気分になるので、わたしがよく思い浮かべる定番のイメージなんだよね。ところがどうやっても火山の上にいるという構図が作れず、目の前に血の池地獄みたいな池が広がるんだよね。そもそもイメージって自由に思い浮かべることができるものではないか。なのに血の池地獄が消えてくれないし、しかも足下でなく正面に大きく広がっている。不思議だと思っているうちに、頭上の白い光の方向から身体全体に電撃が走って身体全体が痺れた。金属をこすっているようなキリキリという音も聞こえた。身体全体が振動に包まれていて、これは励起するとか活性化するというような感じだったよ。」
「寝る前に、いつもそんないろいろなことを体験するのかな。」
「体験する。なぜなら寝た後に人は異次元に行くわけだから、寝入り端はこの微妙な切り替えの場所で、それまでの意識が存在する、その意識がなくなるというもっとも重大な場所ではないか。言ってみれば生死の端境だ。そこで何も起きないわけがない。常に事件がある。1日の中でこれ以上に重要な時間などないよ。」
「でも寝るのは毎日だよね。なので毎日事件があるのか。大変だ。」
「起きている時間は、だいたいみな決まった行動をルーチンに繰り返したいした事件はない。しかし寝る直前、その後寝たあとの夢では事件続きだ。なので、わたしのように毎日の生活が決まりきっていて、食事に行く時も数分のずれもないような高機能自閉症的な人間は、外から見ると退屈な人間だが、内的体験としては毎日嵐のような中で生きているんだよ。わたしは誰かに話しかけられることさえルーチンではないので避けようとする。ただしケスラー君が質問してくるのは日常の中に組み込まれているので、君は特別だよ。」
「外はひんやり、中はアツアツの食べものみたいなものか。で、体じゅうがしびれた体験は、今日話している内容とどう結びつくのかな。かならず結びつけるだろうが。」
「君はシュタイナーという神秘学者を知ってるか。神智学から分岐した人智学を作って、生涯で8000回の講義をしたと言われている。本は300冊を軽く超えるだろうね。シュタイナーはオカルト生理学という本で、松果腺には上からのエーテルの流れと下からのエーテルの流れが衝突しているのが見えると説明している。エーテルというのは前に説明したが、電磁気よりも振動が少し高い、いわば”気”のエネルギィのようなものだ。動物磁気とかオディックフォース、あるいはライヒならばオルゴン・エネルギィというのかもしれないが。この素材は中国の実験では分厚い鉄板を軽く貫通する。というか物質をすべてすり抜けるのは当たり前か。物質よりも振動密度が高いものはすかすかの隙間だらけの物質を通り抜ける理屈だから。松果腺ではこのふたつのエーテルの流れが衝突するが、だいたい対立するものが衝突するときには、何か違う第3のものが生まれるのが通例だ。ほら、陰陽が中和されたゼロ地点はインターバルになって、より上の次元の力が入り込んでくるという春分点、秋分点の話を思い出してくれ。」
「シュタイナーの本は何冊か読んだことはあるが、オカルト生理学は読んだことがない。オカルトという言葉は隠秘学のような意味があるらしいね。つまり一般にはおおいに誤解されている言葉だ。松果腺には興味がある。なぜなら君は松果体は幼児の段階では水晶と似ており、それが石灰化することで物質的な、大地に埋もれたような大人になると説明していたからね。デカルトの言う頭の中の小人、ホムンクルスのことだよね。スピルバーグの映画でも、頭の中に小人宇宙人がいる光景は面白かった。ポポル・ヴフが宇宙船の椅子に座っているような光景だったね。わたしはスピルバーグの映画を見てから、高額な寝椅子を買ったよ。ただ革製なので、夏場にはべたつくが。」
「そうだ。医学的に松果腺がそう重視されていないのも、物質肉体を超えた作用があるのだから、それは医学的に確かめられないのさ。物質は以前話したようにだいたいH192以下のものを示すので、その上にあるものはどんな物質的機器を使っても検出できないので、存在しないと言われるのはしようがない。空気中に詰まっていると言われているエーテルも、機器が検出できないので、そんなものはないと言うしかない。通り抜けるものを誰も認識できないのさ。常々、もうちょっと頭を使って考えてほしいと思うんだけどね。それはともかく、わたしはその痙攣体験の後に寝て、夢を見たがほとんどを覚えていない。しかし起き際にわずかに記憶があり、それはわたしが黒板消しのようなものを両手に持ち、胸の前で擦り合わせている風景だ。こういう感じ?と誰かに確認していた。ふたつの黒板消しを反対方向にこすっているので摩擦も抵抗もある。で、そもそも振動とか波というのは、上に上がったり下に下がったりするもので、これはエネルギィの川の流れがすんなり通過しないで、反対のものがぶつかるときに生じることだね。流れる時、抵抗を受けて流れがせき止められる時、また流れを通そうとする時、反対に押し戻される時。こうしたものがさまざまに連続的に起きると痙攣みたいなものが発生して振動の波を作り出す。オシロスコープの波形を見ると、横にすんなり流れていくものを、上下に揺すぶることで振動が生じる。簡単に通してやらないぞ、と。いろいろごねてるのさ。」
「わかった。頭のてっぺんが光り上位のエーテルの流れが発生した。次に、下の方からのエーテルの流れが、松果腺で衝突し、それがカリカリという音とともに身体全体に広がったということか。で、下のエーテルの流れは血の池地獄だったと。」
「そうだよ。上位の流れってのは、実は身体の外、もっと上空のほうからやってきたエネルギィであって、それが人体の腰のほうから上がってくるエネルギィと衝突したんだよ。血の池地獄と白い光の色を混ぜるとピンクだが、桜の花びらのピンクと通じるものがあるのではないかね。」
「春分のインターバル時期に、山の上から降りてくる先祖を桜が迎えて、このふたつが混じって桜のピンクに色づくという話に行き着いたね。」
「ま、ここで間違えて欲しくないのは、世界を維持するには陰陽の活動が必要である。これは電気のプラスとマイナスの関わりみたいなものだ。この陰陽活動が停止してゼロになる時に上との扉が開く。上空から来た外の力は、この内部の陰陽というものとは違うもので、陰陽が左右にある揺れだとすると、上空から来たものは陰陽の波に対して90度の角度から入ってくる。で、この上下にも、陰陽に似た波が働くが、これは世界の内部にある左右の陰陽とは違うものだ。上と下の波、横の波をあわせると十字の形になるね。」
「ちょっとだけ話が複雑になってきた。このあたりをじっくりと整理して聞かないと、また混乱するな。メモ出していいか。」ケスラーは、ノートとボールペンを出した。今日は愛用の万年筆でなくボールペンだった。
「いつものモンテグラッパじゃないね。」
「また調子が悪くてインクが出なくなっているんだ。早く滑らかにメモするには三菱のジェットストリームが一番いいんだ。しかも太さは0.7ミリが最高だね。最近セブンイレブンで、替え芯を見つけたので三本入手した。しばらくは安心だ。」
「梶井基次郎の”桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。”という文章では、桜の樹の下には屍体があるが、人間は死ぬと魄というかキョンシーになる。この魄は上位意識の受け皿になる。物質体はけっして受け皿にならないが、エーテル体、魄、イエソドは受け止めるという例のカバラの話だよ。夢の中ではこれが血の池かもしれない。物質的な身体組織のいかなるものもこの受け皿にはならない。血の池は腰にあって、しかしながらこれをまた医学的にか生理学的に見つけ出そうとすると何も見つからない。空気中にはエーテルがなかったというように、血の池も見つからない。」

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