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岐路に立たされたら


癌になった人の話です。

ブログの何処かに両親の話がありますが、今回はちょっと違います。
彼女は健康診断の要検査で再検査したところステージⅢの癌だと判明しました。
結婚が早かったので子供達も早くに巣立ち、彼女は夫と2度目の新婚生活を始めた時期でした。
仕事から帰ってきた夫に再検査の結果を伝えました。場所が場所で3年生存率は30%ぐらいだと伝えると夫が、これからの事を考えないとね…と言って普通に夕食を終えて、自分に無駄な気を遣わせて心配させまいと、夫は思ったんだろと普段どうりその日は過ぎたそうです。

普段からあまり干渉しない夫だったので、治療方針も彼女が決めて1ヶ月近い入院も子供達に「お父さんをお願いね。」と言って自分のいない間交代で家に戻ってもらうようにお願いしていたようです。
しかし彼女が入院してから長期の出張が決まり、入院中の見舞いも労いもないまま退院して家に帰り簡単な夕食を作っていつものように夫を待っていたようです。
その日は特別帰りが遅く、彼女が先に寝てしまて鍵を開ける音に気がついて
玄関まで迎えに行くと、突然紙切れを渡されて「サインを頼む」と行ってまた家を出てしまったのです。彼女に手渡された紙切れは「離婚届」でした。 

 彼女は何が起こったのか理解できず、とにかく朝まで眠れず子供達に心配はかけまいとずっと色々と考えたそうです。元々口数の少ない夫婦でしたがお互いを理解しあっていたと思っていたので悲しかったと言うより虚しくなったそうです。

自分が1番弱っている時に離婚届を手渡した夫に未練も怒りもなく、兎に角夫より長く生きると思ったそうです。家と貯金をもらって別れること、嫁として可愛がってもらい感謝している事を姑に伝えると、不義理をした実の息子と絶縁して彼女を養女にしました。

長く続いた抗がん剤治療が終わり、養母となった姑から預かった土地や建物、畑を管理しながら衣食住十分足りる生活をし始めて干支が一周した頃、突然夫が実家にやってきたそうです。養母は飄々とやって来た息子を許さず追い返して、その後彼女の家にやってきて謝ったそうです。 

怒りや憎しみよりも離婚してまで一緒にいたかった人に捨てられたんだろうと思いましたが、でももう夫婦でもない元にも戻れない他人が立っているので、
「あ、そうですか。もう良いですお帰り下さい。」と彼女も追い返したそうです。

養母が体調を崩し、少しずれて元夫も大病にかかったそうで彼女は養母と元夫の病院を行ったり来たりして養母を見送ったそうです。
元夫は彼女の家の近くに部屋を借りて、子供達との関係を回復して少し大きくなった孫に「おばあちゃんと一緒に暮らせば?」と言われたそうです。
彼女は今更一緒に住んでも気を使うだけだからこのままで良いと。

もし離婚届を渡された時彼に執着していたら、きっと病気が良くなっても心がどんどん悪い方へ言ってしまったと思う。生きる事に精一杯だったから、どうせ夫の事も疎かになるなら、離婚は自分の治療に専念できるキッカケになると、生きる事へ考え方を
変えたそうです。

多分葛藤もあったはずですがそんな素振りを微塵にも見せません。
子供が成人していたことが気持ちの早い切り替えになり幸いしたのかもしれません。

残された時間を楽しく生きる事を考えたら自分にとってマイナスにしかなってない人に構ってられない。

私の考え方は実は彼女に凄く影響されているます。
岐路に立った時、マイナスよりプラスを選ぶ。
最初はマイナスに見えるだろうけれど

当たり前だけどいざとなると案外難しいのです。




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