たばこ

忘れられない恋の話

おはようございます、ANDです。
卒論の息抜きに、過去に別の場所で書いたものに手を加えながら
ここにも書き留めておこうと思います。


みなさんは”忘れられない恋”の経験がありますか?
たったひとつ、もう未練もないのに忘れられない過去の熱情。

私にとって忘れられない恋とは、高校生の頃の経験です。


初恋ではなかったけれど、
きっと後にも先にももうあんなに人を好きになることはないと思える。
いい意味でも悪い意味でも、きっと一生忘れられないと思います。


人生で初めての告白を彼に捧げたのも忘れられない理由のひとつ。
今でも鮮明に思い出せるほど美しい思い出を
たくさん与えてくれたのもきっとそう。

たくさん、たくさん迷惑をかけました。
自分の気持ちを制御できなくて、暴走して。

同じ人に3度告白するなんて、きっともう二度とできない(笑)。

そんな彼とは今でも時折連絡を取るし、
当時仲の良かった部活の仲間たちで集まって遊ぶこともあります。

いや、神様なの...?

よくこんな私と仲良くしてくれるな、と崇めざるをえません。

彼が与えてくれたものは私の宝物となり
私が彼にしたことは鉛のような重さになって、
今も胸の奥に横たわっています。

「人を好きになると相手に迷惑をかけてしまうんだ」
そんな思いを抱えて大学に入学しました。

結局恋をして、一度は忘れかけていましたが
やっぱりうまくいかなくて。


人を信じられなくなって、夜に眠れなくなって、
煙草を吸い始めて、ピアスの数ばかりが増えて、

「どうして幸せになれないんだろう」
「この苦しみはきっと罰なんだ」

「やっぱり私は恋をしちゃいけなかったんだ」
「幸せになりたいなんて望んじゃいけなかったんだ」

だって私は自分のエゴのために
あの人の一度切りの青春を奪ってしまったのだから。

”私さえいなければ”

あの人ならきっと
もっとずっと素敵な高校生活を送れていたはずだ。

当時の恋人とのことで傷つき、
そのうえ過去の自分を自分で責めていました。

そうして自分の中で筋道を立てて理由付けをしないと
到底生きていられなかった。
恋人への怒りはもちろんですが、それよりも自分への怒りと、
すべてに対する深い悲しみが足に絡みついて動けませんでした。

過去から出発して現在の自分まで否定しはじめ、
ぼろぼろになって絶望の淵にいたその時、

本当にたまたま、とある歌に出会ったのです。

”ぼくの目にきみが見えないなら
 なにが罰になるのだろう

 神さまがなにも言わないなら
 だれがぼくを赦すのか”


見えなくなったきみ
何も言わない神さま

罰を与えるのは私で
私を赦さないのも私

幸せになれないのはきっと
神様が与えた罰なんだと

ずっとそう思っていた 
だけどそうじゃなくて

あなたも神さまも私のことなんて
もうとっくに見てなんかいなくて

幸せになりたいと願う私を
私が赦してあげられないから

塔の上から心ってやつを
一本垂らすことさえしなくなった

誰かがのぼってくるのが怖くて
できなくなってしまったんだ

塔のうえでひとり、春を待って
咲いては散る花を眺めている

夢みながら うらやみながら

それだけ。

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きっとこの曲の本来の意味とは違うだろうけど
この時の私の心にはダイレクトに響きました。

聴きながら涙があふれてとまらなくて、
泣き止んだ頃には少し気持ちが晴れていました。

この当時付き合っていた人はまぎれもなく最低最悪だったけど、
こんな重みを抱えたままそばにいた私にも悪いところはきっとあった。
(この話もいつかここで書きたいですね)

「こんな私なのに、こんなに幸せでいいんだろうか」
「幸せになってもいいんだろうか」


私を縛っていたのは自分自身でかけた呪いで、神さまが与えた罰ではなかった。

遠く離れた場所にいるあなたが私のことを見ているわけがなかった。
神さまが何か言ってくるなんて、あるはずがなかったんだよね。

それ以来重たかった足枷も外れて、
枷だった呪いは教訓となって私の中で生きています。

今は今でまた別の拗らせ方をしているけれど(笑)
あの頃よりはずっと足が軽い。

もうどこへでも行けるし、きっと幸せになれるよね。

あらためて音楽の力はすごいな、と実感したのでした。

あの頃の私を救ってくれた曲
とても素敵な歌なのでぜひ聴いてみてください。



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