見出し画像

HIPHOPとアイドルから見る日本の音楽

これまであまり触れてこなかったが、実は音楽的価値観で言えば、その精神性はHIPHOPに学んだというところが多かったりする。90年代J-POPの恋愛至上主義一辺倒な世界観の中で、FGの面々が繰り出すダメな大人の様やMSCのひりついた街の描写、TBHは街は違えどヒーローだった。だから、宇多師匠の存在には影響を受けてて、BUBKAをカス取り雑誌と呼びながらマブ論は読む、という歪んだヘッズだった。

ハロプロ楽曲大賞という存在もマブ論、プロの他ジャンルアーティストが真面目にアイドル楽曲を語るものを自分達なりに評価したいという欲求を加速させた末、「楽曲派」の成り立ちを支えたと思う。

HIPHOP的に解釈した時のアイドルの楽しみ方というのはあって、そんな話をしていこう。

 

【"サンプリング"という概念】

HIPHOPを作る上での要素として、サンプリングがある。既存の曲のドラムパートやボーカルパートなどを持ってきて、ループに利用するという技術だ。HIPHOPの始まりとして、R&Bやファンクの一番美味しい間奏部分を繰り返し流すことでパーティーを盛り上げるという技が生まれて、それがサンプリング文化に繋がった、と言われている。

サンプリングに関しては、著作権などパブリッシング、クリアランスの問題が常につきまとう。サンプリングによって生まれた音楽は主体性がなく、音楽的価値が低いという声がHIPHOPの内側からも繰り返されるほどにだ。

音楽を再構築して新たな音楽を生み出すというそれまでの音楽とは全く異なる思考で生み出されてきた。加工されたネタをビートとして、ラップを加えていくスタイルは批判がつきまとう。

これをアイドルに置き換えると、アイドル楽曲のアレンジの多様さというのはサンプリングに近いものを感じている。ロックに限らずダンスミュージックやフレンチポップ、ミクスチャー他様々な音楽を引用してきて、そこに女の子の声を乗せるという手法の面白さだ。

アイドル本人にそのジャンルの音楽への傾倒も特に無い中で歌わされるミスマッチは、音楽性という意味で価値の薄い音楽と位置づけられることもしばしばある。歌唱力が伴ってない、パフォーマンスが伴ってない、歌詞を本人が書いていないなど既存アーティストの価値観から見れば、何故それが受け入れられるのか分からない、というところだろう。

実は、RHYMESTERの名曲『B-BOYイズム』の一節にこんなリリックがある。

 

数はともかく 心は少数派 俺たちだけに聴こえる 特殊な電波

 

B-BOYとは何かを定義するこの曲は、ターンテーブル2枚使い、つまりブレイクビーツ=サンプリングされた美味しいところのループで生成されたトラックを繋ぐ美学についても歌われている。誰かにとってノイズでしかない音楽をかっこいいと思える人間は同志であるという讃歌なのだ。ライブではHIPHOPの要素の1つであるダンサーがステージに上がり、曲間にブレイキングを披露するなど日本のHIPHOPの1つのアンセムとも言える。

アイドルも1つのサンプリング文化と捉えるなら、万人がそれを受け入れなかったとしても、その良さに反応した人間の音楽であるということが言えるのではないか、と思うのである。

60年代サンプリングとしてのバニビ


【ディグという行為】

HIPHOPの行為としてディグというものがある。サンプリングのネタ、DJのネタとして数多のレコードを探し求めるという行為だが、ディガーと呼ばれる人達はもはや中毒症状のようにこれに明け暮れている。

HIPHOPのDJへの評価として、それまで誰も知らなかったような曲でフロアを沸かせることで、音楽の知識の深さと共にディグの上手さというのも認められるという部分がある。

アイドルの楽曲がサンプリング的要素で音楽としての面白さを広げると同時に、アイドルそのものの数が増えたことでそれを網羅することが難しくなり、名曲だとしても埋没するような状況が増えてきたのだ。

メジャーなアイドルだとしても、そのグループしか聴かないような層もいるし、地下アイドルの音源は現場に行かなければ手に入れる事が難しいものもある。そういうところに足しげく通って音源を集めてディグする人間もいれば、Youtubeなどネットを駆使してweb上でのディグ行為に勤しむものもいるのである。

いわゆる”見聞を広める”というのも一種のディグだと思う。自分が知らなかったグループに出逢うことを目的に他のイベントに行ってみるのは、誰も知らないレコードを探す行為に近いのではないか。

おそらくお披露目する機会の無いサステナブルのカップリング曲、かっこいい

 

【HIPHOPとアイドル】

一方、HIPHOPとアイドルの関係はtoo muchと言わざるを得ない。個人的にはアイドルラップという存在そのものはむしろ嫌いじゃないのだが、それをするアイドルの方がラップをする面白さみたいなものを未だに飲み込めないまま、ラップをするというのはちぐはぐさが否めない。

しゅがーしゅらら率いるO'CHAWANZも紆余曲折あって活動中

 

アイドルラップというのを紐解くと、EAST END×YURIから触れるが、東京パフォーマンスドールの市井由理とEAST ENDが共に94年にユニットを組んだのが始まりである。同年、スチャダラパーと小沢健二の『今夜はブギーバック』のヒットもあり、日本語ラップ史においてもどうあるべきかという試行錯誤の時代だったし、日本人の多くの人がラップとはなにかに触れた初めての経験だったと言える。

以降、tengal6とかMOE-K-MCZとか今に繋がるラップアイドルの流れが生まれてくるわけだが、今後改めてやるとして、なかなかこのジャンルが融合しない理由の1つは、未だ市民権を得ないHIPHOPにある。

例えば、歌唱法というくくりで見た時に、特殊な歌唱法であるスクリームやグロウルなどはロックというジャンルの延長線上に存在する。ラップという歌唱法はHIPHOPの上に存在していて、上手さや表現のようなものの指標が難しいという一面がある。ロックっぽい歌い方というのはなんとなくイメージしやすいが、ラップっぽいとなった時に正解が分からないのだ。

そもそも何がHIPHOPなのかという概念すら、HIPHOPの中で喧々囂々の争いの的となるわけで、なんか怖そうな人達がやってる歌い方を可愛いアイドルがやる意味の時点でうまく伝わらないというのも確かだと思う。HIPHOPという音楽ジャンル自体が一般化していれば、アイドルラップそのものがもっと変化すると思うのだ。

そういう意味で、ヒプノシスマイクの存在やフリースタイルダンジョンの存在は変化の予感をさせる。今までHIPHOPをあまり聴いていなかった層にラップとはどんな事をしているのかという事を示したと言える。今後、アイドルになる子はフリースタイルダンジョンでラップを覚えたような世代が出てくる可能性がある。

 

例えば、K-POPでは男女問わずラップが入っている事が一般化している。これは音楽的素養としてHIPHOPが根付いているという一面もあって、特にBTSのメンバーのHIPHOPに対する理解度、知識というのは非常に高い。サウンドの面や歌詞の内容なども含めて、世界で流行するための作品作りがきちんとされているというわけだ。

一方、日本の音楽がなかなかそこに向かっていかない理由は、歌謡曲との結びつきや国内での音楽需要を賄えてしまう状況など様々な要素が語られているが、偏に海外音楽シーンの流行と全く無関係に存在出来てしまっていることにある。海外向けに作らなくても、どうにかなってしまう音楽で溢れ返っているというわけだ。そんな中で、HIPHOPやアイドルというのは新たな音楽ジャンルとしてどう存在していくのか、注目すべきではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?