自己紹介

はじめまして。
初投稿になるのでまずは自己紹介から。
少し長くなりますが最後までお付き合いいただければ幸いです。

簡単なプロフィール

2018年東京藝術大学入学 日本画専攻
2022年東京藝術大学大学院修士入学
2024年東京藝術大学大学院修了
国宝信貴山縁起絵巻現状模写事業 
メイン場面担当 藝大買い上げ
※学部時代より受賞歴多数

他、詳細受賞仕事経歴は以下リンク🔗から

藝大に通いながらプロとして画業を始め
集英社小学館主催絵画指導の講師も担当
他、多数の絵の仕事を日本画で受けつつ
鶴岡八幡宮、小石川傳通院などに絵画を奉納。

画家を目指したきっかけ

東京藝術大学を目指したきっかけは2024年現在80歳の父親が日本画家であった事が大きく関係する。

自分は幼少期より外に出してもらえず家でやることと言えば絵を描いて時間を潰す毎日でした。父は日光東照宮等で鳴き竜を描いた堅山南風師の最後のお弟子さん。日本画を描いています。

祖父は栃木県馬頭町にて宮大工師であり、馬頭町で酒屋を営む金子正一郎氏とはその酒蔵を建てた関係でありました。その酒蔵には日本画画壇では一躍有名で日本美術を作り上げた第一人者岡倉天心ら、また河合玉堂や前田青邨とも交流があり、よく訪れては酒を酌み交わしたそうです。

そんな縁あってか父は横山大観の弟子、堅山南風師に弟子入りする事になり、若くして培った友禅の技術 (こちらも関東、東京友禅では唯一の人間国宝、田島比呂子師らと共に15歳から27歳まで修行) を元に日本画家として活動中。

そんな父の背中を見て育ち自分は日本の伝統技術を継承した意義のある絵師を目指し始めたのです。

剣から筆へ

しかし事よく家業を継ごうとしても上手くは行かないのが世の中の常。

父はそんな事を思ってか自分を武道を通して精神を作ってから、そして優秀な成績を収めて一つ結果を出せるようになったら画業を行っても良いと言われ、剣道を始める事になりました。

運良く警察道場、町道場にて防衛大学名誉教授でもある久保武郎師範に剣道の指南を受け、高校では団体にてインターハイまで出場できるまでになり、その後は約束の通り、美術専門予備校に通わしてもらえる事になりました。
剣から筆へ切り替え苦節三年、その間にも自身に肺に穴が開く重度の自然肺気胸、母の末期癌の発覚を乗り越えながら、晴れて東京藝術大学に入学する事ができました。

母は自身が小学4年の時に原因不明の脳内出血に見舞われ高次脳機能障害を患い、その看護もありながらの大学を目指す最中での癌の発覚は計り知れないほどの悔しさと大変さ(1番大変だったのは母自身)がありましたが、何とか大学に受かり、その年の暮れに天へと旅立ちました。

絵がしっかりと描けるようになった所は見せる事は叶えられませんでしたが、現在も自分の心には母と共に絵を描いています。

絵を描く理由

自分が絵を描く1番の理由は
人に癒しを与える絵を描く事です。
昨今、様々なイラストや絵などSNSでもいいねの数の競い合いなど自己顕示欲が高い絵が増えてきており、それ自体悪い事ではないのですが、自分自身はそれが本来の絵の役目ではないと考えています。

戦国乱世、日本画(大和絵)は名だたる荒れ狂う武将達を沈ませる為、品格の持った絵を周りに置く事によって場を収めたと伝えられています。本来なら、絵の役目は人を癒す役割、荒れ狂う場を収める役割があると自分は考えており、世界に広める事、それが自分の絵を描く理由と伝統的な絵画を受け継いできた中にある役割だと考えています。

絵は心の中の景色そのもの。
皆さんの中にも人それぞれの景色があるのではないでしょうか。

これからは伝統ある絵画のみならず現代の人達にも認知して広めていけるようなイラストも含め、数や強さだけに囚われない優しい絵を描いていく事を志して行きたいです。



コラム 趣味そしてやりたい事

ここでは自分の趣味や今後行いたい事についてノートを書いていくコラムコーナー
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