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現場を知ったからこそできる「現場のため」のビジネスモデル構築 #02【Willbox株式会社 神 一誠】

ロジ人では物流テックと分類される業界の著名人、サービスにフォーカスしていきます。今回はWillbox株式会社で代表を務める神 一誠さんにインタビューしました。#02では、寡黙な学生時代から物流業界に挑むまでの経緯についてお話いただいています。

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<プロフィール>

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▼ Willbox株式会社 代表取締役社長  神 一誠氏
1989年、神奈川県出身。大学卒業後、求人情報サイト「バイトル」などを運営するディップ株式会社で法人営業に従事。その後、株式会社マイナビの新卒採用サイト「マイナビ」でも法人営業に従事し、当時、最短最年少で支部長に就任する。退職後は家業の総合物流会社に入社。物流の現場作業、営業、経営企画、台湾駐在を経て、2019年にWillbox株式会社を創業。


物流とは無縁の学生時代

― どんな学生時代をお過ごしでしたか。

高校はスポーツ推薦で入学。神奈川県で強豪と言われるバレーボールチームに所属し、日本代表に選ばれることもありました。指導はかなり厳しかったです。自由に話すことすらままならず、「はい」か「いいえ」しか言えないような寡黙に練習をする学生生活を過ごしました。

― 大学時代はどうでしたか。

スポーツクラブでインストラクターのアルバイトをしていました。メンバーの方に水泳を教えたり、ジムのマシントレーニングを教えたり、また水中エアロビクスのインストラクターもしていたこともありました。私のスポーツクラブではダイビングインストラクターのライセンスも取得できるんですが、さながら『海猿』のような訓練を経てインストラクターライセンスを取得し、ダイビング講師にもなりました。

また、掛け持ちでスポーツ用品店でもアルバイトをしました。毎週、社員・アルバイト混合の販売成績ランキングが公開されるのですが、私は当時かなり販売実績も良く、毎回上位に入っていたのを覚えています。考えてみれば学生時代から、営業らしいことはしていたように思います。

― 物流に関連するエピソードはありますか。

私は実家で営む総合物流会社の三代目に当たるのですが、正直幼少期や学生時代の物流に絡むエピソードはあまりないんです。幼い頃は土日によく父に連れられ工場で遊ばせてもらっていて、よく一緒に遊んでくれていたお兄さんが現在の工場長だった!というエピソードはあります。ただ、幼い頃はもちろん、学生時代も物流について考えることは一切ありませんでした。すぐそばに物流の存在があったのですが、なかなかそこに触れる機会はなかったんです。

インタビューの様子

物流の世界への第一歩

― 物流業界の仕事を始めるタイミングはいつだったのでしょうか。

社会人になっていきなり物流業界に入ったわけではなく、他の業界を経験してから物流に携わることになりました。大学を卒業した後、まず新卒で入社したのはディップ株式会社。「バイトル」というアルバイト求人の法人営業として、大手企業のクライアントを担当させていただいていました。

その後、転職を経て「マイナビ」に入社します。そこでは新卒採用の媒体を担当し、説明会の運営などを通して企業の採用をお手伝いする仕事をしていました。これも形態としては法人営業になります。

当時は最年少で支部長に就任したのですが、その後結婚や第一子の出産などが重なり、プライベートは転換期に入ります。同じ時期に実家の総合物流会社で大きな人事異動が行われたこともあり、父から「うちに来ないか」と誘いを受けたことで、初めて家業を継ぐことを考えました。父と話していく中で「私なりに手伝えることがあるのではないか」と思うようになったのが、入社の決め手です。ここまで家業にはずっとノータッチでいたこともあり、会社へ行ったのは幼少期以来でした。

 ― 実際に身を置いてみて、いかがでしたか。

とにかく初めての経験が多く、慌ただしかったです。支店が神奈川、山形、台湾にあり、最初は日本にある支店で法人営業を担当していたのですが、入社してから数ヶ月が経過した頃、祖父(現会長)から「台湾の事業所に行くように」と言われたことをきっかけに台湾に行くことになりました。出発前日、父から「安全靴と作業服を買え」と言われ、なにやら雲行きが怪しいと感じつつ現地に向かうと、到着した初日からヘルメットとトンカチを渡され、朝礼に参加することに。現場配属ということで、現地の方60人と一緒に梱包の木箱を作る作業をすることになりました。工場内の温度は日中40度以上にものぼり、中国語もまったく分からないため、作業はとても大変でした。右も左も分からないまま、一日中立ちっぱなしでトンカチで釘を打っていました。

 ― そこからどのような流れで起業に至るのでしょうか。

木箱を作る作業をしながら考えていたのが、「どうしたら家業が100年続くか」ということでした。その時に思いついたのが、「Giho」という物流プラットフォームビジネスです。内容を煮詰め、まずは祖父にプレゼンをしに行きました。ところが当時、祖父は84歳で「インターネットって何?」という状態。しかしその後、副会長である父が台湾へ出張に来たので、スライド資料を見せながら「こんなことをやろうと思っている」とプレゼンしてみたんです。すると父が古いメモ帳を取り出してきて、その中身をパラパラめくって見せてくれました。そこに記されていたのは、なんと私が考えていたのと全く同じビジネスモデルの図だったので、父も30年前に同じことを考えていたんです。ただ、父の時代にはまだインターネットがなかったことから、実現には至りませんでした。

父と私が同じことを考えていたことが分かり、話はとても盛り上がりました。しかし、その日のうちに父から「会社を辞めなさい」と言われました。なぜなら、このビジネスモデルは私たちの会社が甘い汁を吸うためのものではなく、物流業界のためにあるものだからだと。「従業員のためだけに働くのではなく、物流業界のために働きなさい」と言われ、決心がつきました。そこから起業まで、迷いはありませんでした。

インタビューの様子

学べることは「現場」にある

― 台湾の現場での経験は現在のお仕事に活かされていますか。

はい。現場を経験したことは、非常に大きなポイントだったと思います。営業や商材に関する研修を受けた上で営業に入るというケースは多いと思いますが、私の場合は実際にトンカチを打っていたので、当時の経験値は大きなポイントになりました。またこれは私の努力ではないのですが、「神」という苗字が非常に珍しいことも良かったです。現場や仕事先の方々へ挨拶に行けば、「あいつの孫か」「せがれか」という話になって現場の人との繋がりが生まれることもありました。「Giho」のデータベースを作っていく上で98%もの物流事業者が登録してくれたことも、実際に現場へ足を運んで顔を合わせていたことが要因になったと思っています。

 ― 現場の空気感を知ることが大切なんですね。

そうですね。だから私は、物流会社と会うために欠かさず現場へ行くようにしています。そうして関係性を築いていくと、会社に対して期待することや困っていることを話してくれますし、「この人なら聞いてくれる」という目で私のことを見てくれるんです。実際に現場に行き、直接お会いする。今でも大切にしています。

― 神さんのどのような思いが活動の原動力となっているのでしょうか。

私がずっとこだわってきたのは、「物流業界のために働く」こと。「これは物流業界のためになるのか?」という判断基準をずっと守り続けてきたということは自負していますし、それを物流事業者の方々にもしっかりとご理解いただけたと思っています。

物流事業者以外にも、フォワーダーの売上高トップ10社のうち7社にデータベース記入のご協力をいただいています。サービスの黎明期から関係各所にご挨拶はしましたし、説明責任も果たしたと思っています。そうした姿勢をしっかり見てもらえていたような気がして、とても誇らしいです。

― 現場での体験が原動力になったという神さん。等身大の課題を知るからこそ、今のビジネスモデルに辿り着いたのかもしれません。次回は、物流業界において目指すものや、ベンチャー企業の代表を目指す方に向けたメッセージを中心にお話を聞きます。


<取材・編集:ロジ人編集部>


次回の“「DAY1」の気持ちで物流業界の変革を目指す #03 2/23(金)公開予定です!お楽しみに!!

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