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映画:主戦場 The Main Battleground of The Comfort Women Issue

2019年8月8日(木)

なんで元慰安婦の女性たちが苦しみつづけなければいけないのか。

日本軍が悪いことをしたのは事実なんだから、謝ればいいじゃないか。

それが正義、Justiceじゃないのか。

国家がどうこうより、傷ついた女性を癒すことが優先されるべきじゃないのか。

心はズタボロだ。


今日はドキュメンタリー映画《主戦場》を観に行った。まずは予告を見て欲しい。

【Introduction】あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキを、おそらくご存知ないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心を掻き立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった。 / 慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?「強制連行」は本当にあったのか? なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか? そして、日本政府の謝罪と法的責任とは……? / 次々と浮上する疑問を胸にデザキは、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士/タレント)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓のこの論争の中心人物たちを訪ね回った。さらに、おびただしい量のニュース映像と記事の検証と分析を織り込み、イデオロギー的にも対立する主張の数々を小気味よく反証させ合いながら、精緻かつスタイリッシュに一本のドキュメンタリーに凝縮していく。そうして完成したのが、映画監督ミキ・デザキのこの驚くべきデビュー作、『主戦場』だ。 / 映画はこれまで信じられてきたいくつかの「物語」にメスを入れ、いまだ燻り続ける論争の裏に隠された“あるカラクリ”を明らかにしていくのだが——それは、本作が必見である理由のごくごく一部に過ぎない。  /   さて、主戦場へようこそ。(公式サイト:INTRODUCTION)


ここまでで、だいぶ内容は伝わったと思う。

歴史修正主義者、当該研究の学者、政治家、元日本軍兵士がそれぞれの立場からインタビューに答えながら、自らの見解を述べていく。


取り上げられている主な論点は以下

・「慰安婦20万人」という数字がどうなのか

・強制連行(Coercive Receuitment)だったのか

・性奴隷(Sexual Slavery)なのか

・歴史教育(History Education)はどうなのか


では、気になったところだけかいつまんで感想を。

*長くなるため敬称略で書く。また、1度フルネームで名前を紹介したら以下は苗字のみの表記にする。

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歴史修正主義者の代表として今回のドキュメンタリーに出てくるのは、

トニー・マラーノ(a.k.a テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、山本優美子(なでしこアクション)、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、最後に日本会議から加瀬英明。


どうやら彼らに人権感覚などはないようだった。

元慰安婦女性の証言に対して、「信ぴょう性がない」「嘘をついてる」と公然と言う。レイプされた人に対して、「レイプされたあなたが悪い」「レイプされに行ったんでしょ」と言わんばかりだ。

マラーノや藤木は、「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たち」「心も汚い。見た目も汚い」との旨の発言をする。完全にアウトな発言である。

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そして何よりも、彼らは、調べ物ができないようだった。自分の都合のいいことしか「資料」として認めていない。

こんなに大きな声で言っておきながら、学者らと議論ができるに及ばない知識しかない。これには正直がっかりした。だから、修正主義者側の意見は意見ではなくただの悪口にしか聞こえないのだ。

決定的なのは、加瀬がにこやかに「他の人の書いた本は読みませんから」と言っていたシーンだ。恥ずかしくないのかな、とさえ思ってしまった。勉強なんてしませんよ、と言っているのと変わらない。

加瀬の重大なポイントとしては、やはり日本会議を仕切っていることで、それが現在の安倍政権とがっつりなところなのだ。まともに勉強をしない人たちが日本の権力者なのかと思うと、愕然とする。

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河野談話については、修正主義者らは熱く語る。その中のひとつで、藤岡は「国家は謝罪しちゃいけない」、謝ったら過ちを認めたことになるから「仮にそれが事実であったとしても、謝罪したら、その時点で、終わり」と発言する。

しかし、慰安婦問題はどう考えても当時の日本軍に非がある。謝って当然じゃないのか?と私は思う。悪いことをしたら、謝るのが当然だと思うからだ。

いかなるときも、「君子豹変す」ではないだろうか。

過ちを認め、善にうつること。それが君子のまずやるべきことだし、それが君子となる人の態度であるべきだと思う。

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登場人物として、紹介されていないが、日砂恵ケネディが懺悔するところがある。彼女は次世代の櫻井よしことも言われた人だ。しかし、自身が発表したレポートが思わぬ形で一人歩きしネトウヨと称される人々に使われるようになった。

米政府が8年かけて調査したが慰安婦が性奴隷だった証拠は見つからなかった、とレポートでは書かれているが、実際には、この調査ではナチス・ドイツのことを調べていたとのことだった。「慰安婦の問題はキッチンで靴下を探すようなもの」といい、そのくらい些細なことで、気を張ってもなかったと言うことをこのドキュメンタリーで証言している。

ここに関しては、レポートを記述する側になって考えてしまった。

自分の主な研究対象ではないから、と詳細に調べずにまあまあな感じで書いてしまうと、時にこのような事態を招いてしまうことがわかる。気をつけなければ。

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歴史修正主義者に対する糾弾だけをしても、よくない。

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もしこの映画の続編を考えるなら、私は以下のことを追加で調査することを提案する。

*まずは元慰安婦女性たちにもっと時間をかけてインタビューをすること

*日本軍の元兵士たちの証言も集めること

*韓国側のナショナリストの見解も欲しい


また、本編で何度も何度も「元慰安婦の証言には一貫性がない」と指摘される部分がある。これは、時代背景/社会背景をもう少し明瞭にして伝える必要がある。

”その時代に何を言うことができて、何を言うことができないのか”

元慰安婦も一人の人間で集団の中で暮らしているのだから、彼女らの事情もある。「家族に迷惑になるかもしれないから本当のことは言いたくない」と考えている人たちもいるだろう。「夫が生きている間は話したくない」ということもあるだろうし、単純に思い出したくもないというのもある。そうした個人レベルのことを鑑みて証言の一貫性については考えていく必要がある。

本編では検証がされているが、やや甘いような気がした。

それはおそらく、元慰安婦女性たちへのインタビュー量や関わっている時間が少ないことに起因していると考えられる。

心に負った傷やプライベートなことを、突然インタビューしにきた全くの知らない人に話すとは思えない。人類学者のフィールドワークではないが、ラポールを築いて、「この人には話をしてもいい」と思われるくらいの深い調査が必要だろう。


加えて、韓国以外の慰安所の元慰安婦女性やその歴史も追加で調査してもらいたい。そうすれば、韓国の慰安所と他の慰安所それぞれの経緯を比較検討することができる。すなわち、「なぜ歴史修正主義者は韓国の元慰安婦たちの問題に敏感に反応をするのか」をもっと明確に判断できるようになる。

オランダ人の元慰安婦女性の話が少し本編で触れられていたが、それとはまた別の見解が見えてくる可能性があるだろう。

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映画の冒頭で、元慰安婦の韓国人女性が「解決した」という報告をしにきた関係者(韓国の政府関係者だったかな,,, 肩書き忘れた)に対して、

「勝手なことをするな!」

と強い語調で訴える。

そりゃそうだと思う。自分たちのことなのに、自分たちのいないところでことが進められて、「解決しましたよ」と言われるのだ。怒るのが当然だ。

映画の最後は、元慰安婦女性で日本国軍の慰安婦のことについて証言をした人のインタビューで締めくくられる。

聞くのも苦しかった。まだまだ戦いは続いていた。

彼女たちは明らかに苦しんでいた。

彼女らの傷が少しでも軽減されるようにする、それがやるべきことなのではないかと思った。ナショナリストたちの誇らしい国を作るより、人権を尊重することができる人たちを増やすことがやるべきことなのではないだろうか。


日本会議、安倍政権、歴史の教科書を作り変えようとしている人たちは日本の将来なんかこれっぽっちも見ていない。結局のところ歴史修正主義者の好きな「日本」は明らかに「戦前日本」だった。こんな「日本」のどこが「美しい国」なのかは私には理解ができない。

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主戦場、ぜひ劇場でみてください。

教職をしている人には特に見てほしい。義務教育課程、歴史科目、現代社会の科目、倫理の科目をしている人たちにはいい教材になると思う。道徳の時間にも使えるだろうなとも感じた。

長くなった+やや散らばっているが、以上が私の見解である。終わり。

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