分かっていたこと

2022年2月18日の記録です。


「ようは自分次第」ということ。
(それを学ぶためにこの一年があったのか…。)
 
女神、シャーマン、スピリチュアルでは色んな呼び方をされるわけですが、それはあなたを構成しうるラベルの一つに過ぎないです。
ほら、いちごの品種ひとつとっても色んな種類があるでしょ?米の品種をとっても。
スピリチュアルにおける用語もそんなものだと思うのです。
そういう知恵や知識を提供する世界と、それを受ける受け手側。

スピリチュアルと言っても千差万別。ようは情報。情報をどうとるか。他所様の所から得るのか、自分でつかみに行くのか…。

本来は全部自分の中にあるものなので、それをどう引き出すか、他者に引き出してもらうのか、自分で引き出すのか。
(他者に引き出してもらうにはもちろんお金が必要ですので、その辺りも吟味くださいね。人も相当大事ですから。下手すればお金だけではなく人生もやりたいことも取りたい放題取られますよ。)

借金をする原因になったのも、スピリチュアルに縋らなけらば保てなかった自己肯定感の低さ、借金を返したらまた自己肯定感も元の低さに戻ってしまう。その恐れはいまだに無意識にこびりついています。あれだけ生活が変わったのに、その時に付き合っていた人も、今置かれている現状も、住む場所も仕事場もこの7年で大きく変わったのに、それでもまだ心は2015年~2017の間を彷徨っているのを感じるのです。
借金のために時間、チャンス、未来、心、魂の核に近い部分など、多くのものを差し出しました。
…自尊心や自己肯定感も差し出してしまったのかもしれない。(下手すれば生きていくために必要なものも?) 
エレクトーンもその一つ。返済のために愛器を売りに出したのが2017年の8月。
今は、エレクトーンがないけどレッスンに通い、教室レンタルで最低でも月1回は鍵盤に触れています。
6年程あったブランクもこの2カ月で半分は戻ってきました。
それでもなお、「もう自分は楽器をまた手にすることは無いんだ。だってあの時にもう売ってしまったんだから。借金のかたに差し出したものをまた自分が手にするなんて自分勝手にもほどがある。あの時に私はエレクトーンを演奏する未来を捨てたんだ。」と確かに感じているのです。
(今考えたらそこまで思わせてしまって、洗脳していた「スピリチュアルマインドを持った人」ってとんでもないなと思いますが。人生かけて打ち込みたいものを自ら捨てさせる方向にいかせるスピリチュアルマインド持った人も相当やばいだろう。)
あの頃の自分を救う手立ても面倒で今の生活をするので精いっぱいというような状態。

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