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失恋から学んだこと

失恋しました。
この一か月はたくさん泣いて振り返って友達に家族に励まされ、結果大切な学びが沢山あったなあと思ったので回顧録。
ばらばらと思ったことを書き連ねていきます。何も考えずに今は書き出して、いつか考えがもっとクリアになったらもっと整理して書くんだーっ

やっぱり、人間関係から学ぶことは多いなあ…

自分の家庭観について

今回振られた原因の一つに、「私の子育てが不安」ということがあった。私自身が親にそうされたように、重く、強すぎる愛情や期待で、子供の自信をつぶすんじゃないか?って。
そう言われたとき、そんなつもりがなかったから、物凄く悲しかった。

たしかに、今思っても、私の母は特殊だったと思う。家庭環境も。そんなに苦労とかはしてないけど、少し特殊な環境で、特殊な言葉を掛けられながら育ったなあとは思う。
「親は子供に従属するもの。私と対等だと思わないで」とかとか、ね(笑)

それでも私がこうして、とりあえず今、体も心も豊かに生きられてるのは、私が母や父の愛情を感じていたから。いろんなことがあってもぐれずに、道を踏み外さずに生きられたのは、私は踏み外したらいけないくらい、ちゃんと愛されてるってわかってたから。

私だって、将来的にどんな境遇になってしまうかもわからない。職を失うかもしれないし、急に身体障碍を負うことになって、収入も心もぎりぎりの生活になるかもしれない。
それでも私の子供がちゃんと私から、夫から、先生や周りの人から、愛情を感じられていたら、道を踏み外しそうなときに、ふと「あ、このままじゃヤバい、あったかい世界に戻れなくなる」ってちゃんと気づけると思う。

だから私にとっては、ちゃんと子供に、家族に、愛情を持つことがすごく凄く大事に思えるんだ。
それは子供に期待しすぎるとか、自分の思い通りに育ってほしいとかではなくて、子供が「自分は愛される子だ」とちゃんと自信を持てる環境を、ただあげたいってだけなんだ。
職も環境も恋する相手もぜーんぶ選べるけど、親は選べない。だから、ちゃんと子供の可能性を信じたいし、好きなことをのびのびやってくれたらいい。周囲からの小さな愛情と自分の成功体験で、自信を積み重ねてほしい。

こんなのは理想論で、実際には子育てなんて苦悩の連続なんだろう。ペットですら、他人である友達や恋人との関係ですら、何なら何も親和性のないビジネス上の関係ですら、毎日のように悩むんだから。
でもそうやって悩むときに、一緒に悩んで、理想を忘れず、でも今何が出来るか?を着実に、優先的に考えられる人と一緒にいたい。

今回はきっとそうじゃなかった。私のこの経験値に基づく家族に対する思いが、相手にとっては暴力的に映ったんだろう。
そして私も、自分で自覚しなくちゃいけない。自分が家族に持つ思いは、きっと誰しも家族を持った時に持つもの。でも相手に伝える言葉に気を付けないと、時にすごく重苦しい暴力的なものに映ってしまうものだよね。

自分の素を好きな人にさらけ出すことについて

私は、何事も結構”透明性”が重要だと思っている。
たとえそれが自分を傷つけ、他人を遠ざけることだとしても、やっぱり自分が昔どんな経験をして、その結果どんな世界の見方をするようになって、日々何を思って、何が大切なのか、これを言わない限り人との関係性は築けないと思っている節がある。

もちろん自分の過去や原体験を語りだすスピード感は人それぞれだ。ある人は会ってすぐに言えるし、ある人は信頼関係が少しできてから言おうと思う。でも結果絶対に言った方が良いと思う。

今回、別れる原因になった“家庭観”も、今後は私が自分の過去を打ち明けずに適当に関係をこなしていれば、まあそれなりに“今”の自分のことだけ見せられるかもしれない(いやまあ結局そんな器用に出来ないんだけども)。

でもやっぱりいうべきだと思う。自分の過去にも将来にも、透明性のある人間関係を築きたい。
だから結局今回も、自分の原体験が大好きな人からの否定につながったわけだけど、後悔はしてない。
結果的に、なぜか過去を打ち明けて半年経ってから「合わない」と言われたけど、それでも私の過去は私を作った大切な要素だ。今の私の悪い癖も良い癖も、源泉をたどればそこから流れて作られた支流だから、やっぱり源泉も私の今も、言わなくちゃいけなかった。
ちゃんと、お互いの源泉を共有して、今の支流の流れが悪いところはお互いに修復しあえる人じゃないと、一緒にいるなんて無理なんだ、と思う。

自分の愛情観について

明確に、これは私の問題点のかたまりみたいなところだ。今回の経験も、沢山反省させてくれた。
私は人の愛情を信じるのが怖い。これは皆ある程度そうだと思うけど、多分ちょっとその傾向が強いんだと思う。
だから信じられる形が欲しくて、しかも質の悪いことにその愛情の証を、自分と同じ形で求めてしまう。

ちゃんと連絡するとか、
旅行先でも自分を思い出してくれるとか、
声が聞きたいと電話するとか、
会いたいと明確に言うとか、
体を重ねるとか、
可愛いねと声に出すとか。

でもそんなのは形の問題であって、本質的に私を愛しているかどうかはその人その人で表出方法が違うのだ。

好きと言わなくても面白い動画があったら共有するとか、
連絡が少なくなっても旅行の予定は入れるとか、
体を重ねなくてもそっと傍にいるとか。

別に「嫌い」「一緒にいたくない」と言われるまでは、のほほんと傍にいればよいのだ。
でもそれが出来ない。いつも、「1か月前はこう言ってくれてたのに言わなくなったのはなんで?」って勝手に不安になって、勝手に変な方向に反省して、勝手に落ち込んで、勝手に離れようとして。
そんなん一緒にいたくなくなるよね。

次に恋出来たら、無神経に傍にいよう。嫌いなら嫌いっていつか言われる。今回みたいに、一緒にいたくなくなったって言われる。
それまでは別に何も気にする必要はないのだ。気にしたって自分は自分で、すぐに変わるわけではないのだし。

初めて自分に自信を持てたことについて

初めて、自分の表情が好きだなって思えた。
今までずっと、「ゆいきちは笑顔が良いよ!」とか言ってくれる優しい友達がいて。思えば、今までの彼氏全員、私の笑顔がすごく好きって言ってくれてたっけ…
そんな風にほめてくれる人たちの言葉を、ずーーーっと否定し続けてた。「いや別に普通やろ…」くらいの卑屈っぷりで。(笑)
でも今回、彼とのアルバムを削除するべくぜーーーーんぶ写真を何回も見返してみて(気持ち悪い)、
「あ、こんなに表情豊かだったんだ」
って初めて思えた。そして、「悪くない表情だな」って思えた!
それだけいろんな表情を引き出してくれてたんだなって思えたんだよなあ。一応、愛されてたんだなあ、と。(笑)

だから少し自信が持てた。メンテナンスコストが高い自己肯定感のない面倒な奴ではあるけど、表情で人を楽しませて自分を明るくすることは出来るようになったんだな、と。
次に出会える素敵な人には、最初から最後まで、笑顔も泣き顔も怒り顔も全部見せて、たくさんの表情付きの思い出を作ろう。
いつか写真を見返したときには、全部笑い話になってるように。

失恋から学んだこと、まとめ。

私はハイメンテ女子だった。
自分の原体験をいまだに引きずってて、
結婚とか家族とか子供とかに、結構な憧れを抱いてて、
人の愛情を中々信じられない。
そこは正直なかなか変えられないんだけど…
その分、メンテナンスしてくれた人を幸せにできる素敵女子。になりたい。
これからはハイメンテ女子改め、ハイリスク・ハイリターン型の新興国株型女子になるんじゃ。(笑)

幸せで毎日楽しい恋だった。もう少ししたら、次に進もう。
トップの画像は、最後に一緒に見た夕日。きれいだったなあ。

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