ヨガをしながら考えた、自分が目指す自分のかたち。

テキストにわざわざ起こすまでもなく無意識下に思っていたことなんだろうけど、やっぱり真剣に自分と向き合って考え直して、ストンと落ちた感覚があったから、記録しておこうと思う。

中学生から変わらない私の夢は、いいお母さんになることだ。

たくさんたくさん、色んな経験をして、子供だけでなく色んな人の気持ちが(分からなくても)想像ができる人になりたい。

子供がどんな状態でも、同じくらいの気持ちと歩調になって、その人のペースで成長することを信じられる人になりたい。

それはたぶん、私が自分のペースと周りが期待するペースとの間にギャップを感じていたことや

いつのまにか人に認められること、自分がはっきり確信を持てる形でポジティブな反応が返ってくること、 それが自分の価値だと思い込んで、恋愛も勉強も仕事もうまく向き合うことができなくなった経験があるから。

でも、そういううまくいかない経験こそ、私をいつもちょっとずつ前に進めてくれた。

いつのまにか、どんどん自信がなくなって

自分が何かをしたい、挑戦したいと思うことにすら、蓋をして見ないふりして

別に、安定した暮らしの中で、チャレンジすることもなく、のほほんと暮らしていればいい、きっと自分はそうしたいんだって言い聞かせてた。

でもほんとはもっと色んなこと経験してみたい。

自分に出来るかどうかじゃない。自分がやりたいかどうかで、挑戦を決めるべきなんだ。

(ちなみにこれは、担当し始めた社内の障碍者組織の組織分析をしてるときに、まさかの自分から自然に出た言葉。他人には言えるのに、自分のことは中々気づかないね)

その上で考える。やりたいことは何か?出来るかどうかじゃなく、やりたいことはなんなんだ?

そんなの前から変わってないじゃない。

もっと本当は、やったことないことも挑戦してみたい、見たことない世界にも行ってみたい。

私は意外と(意外じゃないのかな)頑固で、決めたら何だかんだ、それなりにやってきたでしょ?めちゃめちゃ満足いくものでなくても、少なくとも体当たりして、結果やらなきゃよかったなんて思った経験ひとつもなかった。

DV受けてたときだって、親が心を病んだときだって、そんなこんなで摂食になって生きるのに精一杯だったときだって、笑顔の時はたくさんあった。笑顔にしてくれた人がたくさんいた。心から大切な人たち。

その経験のおかげで、人の痛みが少しはわかるようになり、自分もどんどん強くなれてる。まだまだ不安症やし、自信がないって言い訳しまくっちゃうけどね。

でも、そんな過去にしがみついて、社会に出る自信なんて全くなかった割に、

結局今だってなんだかんだ、わりかしハードな会社でやっていけてる。中の下くらいのパフォーマンスなんだろうけど。笑


いつもずっと、ずっと、今も変わらずずっと、<自信を持て>って言われてきた。

もてるわけないじゃない、何も出来ないのに!

ってその時々で思ってきたけど、なんだか急に、意外と色々あった人生のおかげで、ちょっとは強くなったと認めていいし、もっと強くなれると自信持っていい、と思えた。急だなほんと。笑

やりたいことがあるしなりたい姿がある。それは1人ではまだできなくて、一緒に笑顔で踏み出したいと思う人がいる。

例えばカフェをやること。最高の友人が背中を押してくれたから、彼女と一緒に楽しみながらやってみよう!と思えた。

 例えば色んな世界を見ること。これも、一緒に楽しみながら歩みたい。それができると、思ってしまう。

気付くの、遅すぎたなあ。後悔先に立たず。人生そんなんばっかだ。

でもどんなタイミングでも、気づいたことには価値がある。気付いたからには少しでも行動してみて、それでも無理なら温めて、別の機会に取り出して気づきを活かそう。

ヨガをやってて気付いたこと。自分が目指す自分のかたち。

いつもこうやって、ふとした何気ない時に、でも心を空っぽにしたいときに、ちゃんと大切な気づきは降ってくる。

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