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はたしてソレは恐ろしいものか

知らない人の知らない幸せ

彼らにとってみれば私だって知らない人になるんだろう。そこには赤子を抱いている母親が写っている。二人目の赤子なのだろうか、一人目の長男がベッドで眠る産まれたての赤子に触れようと手を伸ばしている。「いいね」が60件以上ついている。そこには私の知っている人の名前も数人、見受けられる。

私は虚しいな、と思う。

私のことも、彼らのことも。

今年になって国は、ゴールデンウィークを10連休にすると決めた。よくわからないけど、皇太子の即位と、祝日法の関係らしい。
私が働いてるのはサービス業のようなものだから、こういった世間のムードとはまるで関係がない。みんなが働いている時に寝て、みんなが休んでいるときに働くのだ。私は学校を出てから一度も正社員になったことがないから、よくわからない。いままでが9連休だったの?と思ったら、そういうわけでもなく、去年なんかはあいだに平日が挟まったりしていて、器用な人たちはそこで有給を取るなどして連休作ったりしていたよう。

サービス業って、よくバカにされてるみたい。
「ゴールデンウィークがないことを憎むくらいなら、まともに生きてこなかった自分を憎めよ」とまともな人たちに言われる。その人たちが本当にまともなのかは私は知らないけど、正論だ、と思う。私だって別にゴールデンウィークなんていつも知らなかったし、関係ないからいつも興味もないけど、どうしたって耳に届く。たとえばエレベーターの中で先輩が自嘲する。「今日からゴールデンウィークだね、僕らには関係ないけど」
そうすると「あ、今日からだったんですね」と気付いてしまう。それから友達が遊びに家に来る。友達はほとんどが博士課程にしがみついてて、働いてはいない奴らだけど、彼らが泊まりに来るといつも、「ああ、ゴールデンウィークなんだなあ」と気づく。

知らないうちに過ぎていけば私だって何も言わない。でも知ってしまったらなんだかそれも一つのイベントのように思えて、盛り上がりたくなってしまう。「ゴールデンウィークなんか知らない!」と大きな声で言いたくなってしまいたくなる。だって私がそうやって大きな声を出せるのは、もしかしたら今だけなのかもしれないよ。もしかしたら将来は別の会社に入って、みんなと一緒にゴールデンウィークを満喫したり、みんなと一緒にゴールデンウィーク明けの仕事に憂鬱になったりするのかもしれない。みんなと同じように、「サービス業しかできないお前を憎め」と言うのかもしれない。そうなったときのために、今言えることはいま言っておきたい。忘れないように大きな声で言っておきたい。「ゴールデンウィークなんか知らない。」

私は赤ん坊というものが苦手だ。産まれて数ヶ月の赤ん坊なんて、どうしても触れない。ばい菌がついて病気になってしまうかもしれないし、奥さんに変なことで言いがかりをつけられたり、恨まれるなんて嫌。それに私は本当に最悪のことばかり考えてしまって、それでかえってつまずきやすいところがあるから、もしものことだってあるかもしれないじゃない。だから触りたくない。でも人間が産まれるということはものすごいことなんだろう。

私ももし妊娠して、赤ん坊を自分の股から産んだ時は、それを携帯で撮影して、やっぱりSNSに載せるのかな。
私はインスタグラムなんか去年はじめたばっかりで、周りに比べたらずっと乗り遅れた。フェイスブックもやってないし、ツイッターは捨て垢をずいぶん昔に作ったけど、それで好きなタレントのツイートを覗くくらい。誰も私を知らないし、なにも呟くことがない。
いまのインスタのフォロワー数は90人。なんとなく、見栄で、あとは、冗談で、100人フォロワーできたらやめるからって、照れ隠しで、なんとなく集まったなかの90人。適当な人もたくさんフォローしたから、本当に知っている人は、多分その半分の40人で、本当に出産したことを伝えたい人は、10人もいないかもしれない。

だから私は怖い。いまの私みたいな、彼氏もろくにできない、作ろうともしてない人間が、知らない人の赤ん坊の写真を見て、いいねがたくさんついているのを見て、どう思うかを知っているから。

もし私の夫が、インスタグラムに出産後の私の疲れて笑う顔と、産まれたての赤ん坊の真っ赤な泣き顔のツーショット写真を撮って、世界に発信したら...。私はゾッとする。やめてやめて、なんでそんなことしたの、いますぐ消して、消してよ、ともうなく気力もない体で、か細い声で訴えて、でもその声も届かなくて、眠ってしまって、目が覚めたらいろんな新しい親戚の人や両親がいて、あれやこれやそのひとたちと喋っていろいろしているうちに、夫のインスタグラムにはもう3時間も前にわたしの出産後の顔と産まれたての子の写真があげられていることを知る。夫はたくさんフォロワーがいるから、その頃にはもういいねが、113件。わたしはもう、不幸せな人のことなんか考えるのをやめるだろう。かつての私のような人がどう思うかなんて、考えるのはやめるだろう。それからは永遠にかつての私のような不幸せな人間のことは忘れて、幸せな人なりに、幸せを発信して、ほかの幸せな人たちだけと過ごすんだ。不幸せな、汚れた人はもう見たくないから。彼らを見ると、彼らに見られると、嫌というほどどう思われてるかがわかるから。遠ざけるしかない。そして私は言うのです。同じ幸せな人同士固まって、こう言うのです。「まともに努力してこなかったあんたたちが悪いのよ」って。「私が幸せなのは、私が頑張ったから。それなのにあんたたちみたいな人に勝手に睨まれて、僻まれるなんて、迷惑もいいとこ。あんたがそんな生き方しかしなかったから。あんたが悪いのよ!」

ね、だから言わせて。いましか私は言えないの。そして、忘れたくないのよ。こんな風にはなりたくなくないのよ。でもいつかはなるでしょう?幸せって、ほんとに恐ろしいものだわ。だから忘れないために、ほら、いまは叫ばせて。

「ゴールデンウィークなんか知らない!」





「どうでしょうか。」

「どうって、こりゃなんだい。」

「なにって、小説ですよ。僕が書いたんです、先生。褒めてくださいよ。」

「褒めるもなにも・・・」

「青春と、大人になっていくことの相克を描いたんです。誰だって昔はみんな童貞であり処女だった。それを忘れてしまうことの懊悩、幸せを見せびらかすことへの欺瞞を問いかける、悩める女性の独白の形をとった、」

「ゴールデンウィークなんか知らない、って言うことになんの価値があるんだね」

「ははあ、先生はもうじじいで耄碌しててなんでもあるからそんなことが言えるんですよ。若者にとってゴールデンウィークとは格差を目に見えて顕在化させるツールなんですよ。高級な会社に働いているまっとうな人間たちは海外旅行へ行き、休み明けのその日には次の日を思って憂鬱になる。かたや僕のような中途半端な社会人、サービス業種に勤める人間にとったらこんな地獄はない。連日、人の楽しい写真や楽しい動画を見ては苦虫を噛み潰して、呪っている。ホテルで働いてる友達がいましてね。彼女のインスタはそりゃあ荒れてましたとも。「仕事終わったー(怒)ビール!」ですよ。よく考えてみればわかる・・・

「きみは性格が歪んでいるんじゃないかね」

なにをもって歪んでいるのか
軸はどこにあるのかを教えてくれませんか。僕がおかしいというのですか。たしかにインスタグラムというものは、

未完(2019年5月7日)

はたして幸せは恐ろしいものか?
おれはいまひとりでじゅうぶん幸せだが。結婚願望もない。やっと、ようやく、6月から一人暮らしができる。今の生活には希望がある。今日子さんも隣にいるし。今日は9時間ぶっ続けで動画を作った。三つ作って、ようやく上司におれのやりたいことが伝わった。マジで勝った。酒などなくても鬱になることはない。


♪Serial Experiments Lain OP 8 bit




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