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おわすべき場所

どえれー美人見つけた。

武蔵境駅から三鷹駅までの下降線沿いを歩いて帰ってたんだけどブルーハーツのヤング・アンド・プリティな感じで「錆びた東京」ってわかりますか?
小学校の頃に思ったそれしかないから東京のイメージってモロこんな感じで「うらぶれた感じ」とか「錆びた金属線がゴロゴロ転がってる感じだったんで非常に心地よかった。
ヘッドホンをしてなかったのも良かった。武蔵境駅から三鷹駅までの高架線って自動車がほとんど通らないからすげえ静かなんだよ。時々電車が通ったりももちろんするけど、逆にその音が無性に寂しさというか無音感を際立たせてくれてるというか。

それでだんだん三鷹駅に近づいていくにつれて駅はもうでっかいビルとかでネオン管とかも看板になってるホテルとかカラオケとかになってくるともうぜんぜん違う。もうぜんぜん東京って感じしない。居心地が悪い。川沿いにずっと19年間住んでたから自動車の音とか落ち着かないんですよ。元カノと付き合ってた時も、元カノは金沢出身で家も武蔵ヶ辻とか近江町市場っていう繁華街に歩いて2分もかからないようなとこに住んでたから、都市っ子なんでなかなか合わなかった。いっかい石川県の温泉街まで車に乗ってデートしたことあるけどそこはもうめっちゃ静かで木とか川とか流れておれは落ち着くの。で、温泉入って気持ちよかったねーとか言って金沢の彼女の家まで送って帰るんだけど、言ってたのが、「あー落ち着く!この雑踏感!自動車の排気音!うるさくて落ち着くわあ帰ってきたって気がする!」って言うの。ええ?と思って。
ふつう「日々の喧騒に嫌気がさして地方の温泉宿とかに旅行に行こう!」とかなると思うんだけど、彼女は温泉や田舎に行ってもずっと落ち着かなかったんだって。静かすぎて。今思えばおれの学生時代借りてたアパートも四車線の道路の前に立ってた物件だったから四階に住んでたんだけどそれでも車の音なんて一日中聴こえるの。あの家で彼女がずっと住めたのもそういう育ちがあったからだったと思うね。おれはおれで自動車の流れてく音が海辺の波の音みたいでとくにストレスに感じることもなくて、お互いにとってちょうどいい家だったのかなあとか思う。

おれの生まれ育った場所ってほんとに目の前に川が面してるようなとこで、江戸時代から建ってたとかいうからほんと田舎だよ。でも田舎者っていうにはかなり豪奢なでかい家で汚くて気持ちよかった。庭には松や柿や紅葉や桜が咲いてたりして。池なんかもあったりして。むかしはそこに水溜めて鯉を飼ってたらしいんだけど、おれが生まれる前くらいに地震で穴が空いちゃってもう鯉は住んでなかったよ。代わりになんか猫が住み着いた。

あ!思い出したんだけど、こないだおれが激烈に恋した女の子がインスタのストーリーズで動画あげてたんだよ。それがずっと子猫をあやしてる映像だったの。三分割くらいに分けられてて、ずいぶん長く撮ってるの。1つで見る気なくしたね。こいつら、同棲のあのくっだらねえめんたいのパクリみてーな気色悪い男もそばにいるか、もしくはその男が撮影してる映像だったから。もう、終わったなと願ったよ。終われ終われ。三十後半のいけすかねえ音響技師と、あの子。墓場だ墓場。とうとう捨て猫かなんか知らんけど飼いやがったな。おまえらは終わりだよ。もうじき猫の親権問題でもめにもめてバカクソ野郎が一人子猫数匹を飼うハメになって彼女は泣きながら出てくんだ。

なんの話だったっけ?

やっぱ生まれ育った場所っていろいろ感性に影響与えるんですねえ。だから基本おれは東京とか都会っておちつかないんですよ。うるせえし。はっきりいうけど嫌い。新宿は好きですよ。ああお祭りだって気分で高揚するから。下北沢もベタだけど好きかな。吉祥寺駅は大嫌いだね。でもレコードショップと本屋と飲み屋がが充実してるから許すけど。でもいま住んでるとこ!くらい治安良くて(すぐ二階はやばいけど。今朝はもう冗談じゃなく殺人事件がいまにも起きるんじゃねえかって剣幕だった。だいたいジジイ同士の本気の喧嘩なんて見たことある?おれは初めてみたよ。いいもの聞けたと思えば良いのか。とりあえず泣き叫んでるピークは録れなかったけどしばらくギャーギャー言ってるのは録れたからなんかのサンプリングで使うさ。感情が流れ込んでとてもいまは聞きなおす気にはなれないけど)静かなところなら居心地いい。まあ、そんな都会の近くに住んでるような人の方が稀だろうけど。

おやおや?いまライのホーム画面だけ開いたらおそらくモリカワかなあ、なんかピエール瀧なんかより会田誠について言えや!って言ってるな。アイツ金曜日とか土日近づくと元気になるんだ。だいたい会田誠はおれが先にネタあげただろうが。ダメ、ダメです。参加しない参加しない。1週間禁LINEですから。とりあえず酒をもっかいコンビニで買ってくる。まだ二缶目でしかも1缶は6%の本搾りなんでまろやかな思考回路です。

19:39

公園3軒目。

あーダメだダメだこいつは。ぜんぜん返信がついてないじゃん。人の心がわかってないもの。鈍感なのか、自意識だけにしか意識がいかないのか。こういう人間は、人の心に気づけないような人はまったくだよ。だいたい金曜日の夜は選んじゃいけないよ、みんな飲んでるだろうから。
だいたい帰り道歩きながらなんかピーン!と思いつくことってあるでしょう?「あっこれはなにかのヒントになるかもしれない!」とか。突然俳句が思いついたり。自分じゃない誰かが頭の中でベラベラ喋ってて止まらなくなったり。
さっき歩いててピーン!と来たのは、「結局天才って人間はどういうやつらなんだろう?」というとても恥ずかしいことについての回答だった。
「人の気持ちをわかりすぎてしまう心と、それをはねのけるくらいの自己主張の強さ」という結論が急にやってきたよ。めっちゃしょぼいけどまあ聞いてくれ。

おれでいうと、おれは少し人の気持ちとか人の気分に敏感すぎるところがある。心眼というか、もうみただけで、その人が何も言わなくても、顔も体勢もみなくても、そばにいるだけでその人が何を感じで何を思っているかがわかってしまう。これはマジだ。いやほんとなんです。でもこれには領域があって、負の感情の時はバンバンわかってしまうけど、楽しい時とかはまったくおれは見抜けない。嫌な雰囲気だけがぐんぐんにアンテナが突き抜けてしまっている。

そんな感じだからおれはほんとに気が弱い。ミリくらいの気のちっちゃさ。どうにか人に悪い気になって欲しくない、欲しくない、というだけで日々生きているだけで、ほんとにそれだけである。でもそんな人間ってクソみたいにくだらないだろう。

それでおれが思うのは、また卓球の「だとよ」の三文字になるんだけど、あれを見たとき非常にクレバーな人だなあと思った。めちゃくちゃ考えた跡が見えるもの。本人は絶対そういうことは言わないだろうけど、あの事件に対して世が思う自分のキャラクターと照らし合わせて、いっちばんいい第一声だった。

そういうことができる人間がまず天才の第一要素だと思ったんですね。聞いてくださいね?ここまで非常に非常に「そんなんだれでもわかっとるわ!」という非情な、いや非情でもないおおまかなことを思うのをグッと堪えて聞いてくださいね?

そういう、自分を客観視して、どう思われるか、どんな風に言えば納得するか、求められていて、さらにそれを納得よりなるほど!と思わせられるには、これはめちゃくちゃ繊細な感覚が必要である。

それでもう1つが、「範囲領域」です。これはおれがいま動画を作ってて感じたことなんだけどまあよかったら耳を傾けて聴いてくださいね。(←こういう喋り方もおれはずっとずっと恥ずかしくてたまらないんだよ)
動画ってまあただモニターに映すだけならとくにどんな動画でも作ってもいいんですよ。どんなにブッとんだ色彩でやってもいいと。
でもそれを民放で流すとなると民放の周波数に合わせなきゃいけないんです。IRE値というものがあって、民放の規定みたいなもので、0から100っていう尺度があるの。ふつうに何も考えずに動画を作ったらその0か100なんか飛び越えて140とかマイナス20とか振り切れるわけ。

たとえば光の玉がパーンと発光したりする映像を作ったとする。
そのIRE値っていうのは「輝度」と「彩度」っていうのをまとめたものなんだけど、光がパーン!キラキラ!っていうのはもう0から100におさまらずブッとぶわけ。

もうわけがわからなくなるんです。「じゃあこのCMのこの光の玉のキラメキは?いったいどうやってIRE値を抑えてやってんの?!」ってキレそうになる。おれは学がないからしかたなく彩度を落として黒を少し明るくしてとか、まあそんなことは問題でもないんだけど、なんかムズイこといろいろやるんです。これってなんだ?と思った。

「範囲領域」です。たとえばゴッホの日記に、あの人はヤク中ですけどものすごいクレバーな人だから自作で色見本なんか作ったりしておんなじ絵を別の色彩で書いたりするわけ。そんなゴッホが弟に宛てた書簡のなかで言ってるんです。ゴッホは絵を志したとき、農夫画家だったミレーを参考に独学で絵を学ぶわけです(それも三十超えてからですよ!まあその話はいい)。ゴッホは弟にこんな手紙を書いてるんです。

いま雪が降って、農園は一面雪景色だ、と。
「もしもミレーがこの雪景色を油絵で描いたなら、白を一切使わずにこの雪景色をひょうげんできるだろう。」と、こういうわけです。

こういうことなんです!天才に必要な要素のもう1つ。「範囲領域」というものです。
つまり、「自分の領域を持っている」ということです。それも先ほど1つ目にあげた「人の気持ちをわかりすぎてしまう」という感性のもとに、そういう自分の、ここからがおれの黒でここまでがおれの白だ!と言い切れるものを持てるかどうか。これが難しくて、おれは日々酔っ払ってやんややんやLINEで管を巻いて失敗している。

「人の気持ちがわかりすぎる」というのは厄介で、それだけ持ってしまうとほんとに身動きが取れなくなる。0と100の間なんていうばかりか、マイナス40からマイナス20みたいな作品しか作れないわけです。
しかしそういう「負の感情でもって厳しく自分を客観視できて、人からどう思われるか、人がどう思っているかをわかりすぎてしまう心」を持ちながら、「自分の範囲領域を、自分の人格とは別なところで見つけてそれを表現の場では保てる」ということが天才には必須なわけです。わけなんだなあ、とさっきピーン!と思いついてひとりでなるほどーとか思ったんです。

ああめんどくさい。こんなこと、どうだっていいことだ。みんなわかってるだろうし、わかってなくても、勝手にやれてる奴はいる。

それでようやくもとの議題に戻るわけだけど、モリカワくんにはそれが欠けている、とおれは思っただけ。ほらもう20時17分だが、だれもお前に返信もなにもないだろう。おれだったら、落語のようにまず「枕」を置き、気を引きつけておいた上で「本旨」を語る、という手を使うだろう。いったい「会田誠がなにをしたのか?」という、たとえばニュースのURLをはっつけてわかりやすく説明した上で人の意見を募るよう努めるだろう。

ただモリカワくんのことを悪く言ってるわけじゃなくて、「おれだったらこうするのにな」という「気づき」がおれには起こって、それを説明したまでで(めんどくさかった...)、たとえばたくさんの並べた瓶を描く社会的にも認められたこのグループLINEのヨネダくんなんか、おれなんかより山ほどのアーカイブを感覚に備えて悩みに悩んでいるいるちかわくん、感覚だけであっけらかんとやってしまえるエイナガくん、おれも驚いた自分のルーツを揺るがずに先生にして自分の絵を描くイケガミくんなんかにも、こんなおれみたいに頭でカチコチ考えて明文化なんかしなくとも感性や体幹で自分の芸術論はあると思う。おれにはモリカワのような絵は描けないわけだから。つまりはおれみたいに自分を客観視していてはお前のような表現はできないわけだから、それは変な走り方で走る体操選手にコーチがちゃんとした走り方を教えたら時速が遅くなる、みたいなこと。長々と書いたが、おれのいうことはおれだけの話で、おまえらにはすでにおまえらの哲学や倫理観というものがあるだろう。ただなにか影響をもらってくれたら幸いです。

なにが言いたいかというと、なんだっけ。忘れた。酒が切れたのでコンビニでションベンして帰る。そうだ、それでだからおれは、素ではなかなか落ち込んだ性格なのでマイナス20とか40にばかりなってしまうので、意識を吹っ飛ばして0と100の間で表現をしたいのだけど、飲みすぎていきすぎるといっつも140からマイナス40くらいにバラバラに民放では放送できないレベルの色彩になってしまうということだ。どうにかそこを調節できる薬があればいいのだが、ストロングゼロははやくその理想の領域に辿り着けるが、超えてしまうのも早い。これは言い訳か?

別に目に見えて何かをつくらなくたってこれは生活や人付き合いの尺度でも使えるものさしになるとも思うので使ってみてください。あーわけがわからなくなってしまった。どえれー美人のことなんて忘れてた。

♪The Must Be Place/トーキング・ヘッズ



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