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硝 子 窓 っ て 曲 が あ っ て …

たしか、KING GNU さんについて知ったのは
まだ始めたばかりの note で
誰かさんが紹介していた楽曲を YouTube で聴いたのが
最初だったと思う。

アニソンしか聴かなくなってしまったけど
もともと、僕の聴く音楽のルーツは黒人系にあるようなので
KING GNU さんの楽曲は、直ぐにしっくりときた。

ここ最近だと、呪術廻戦/第二期のオープニングテーマ
SPECIALZ の印象が強いものだから
もう
立派にアニソン系のバンドとなってしまった…
申し訳ないとは思うけど。

*  *  *

S P E C I A L Z

まずは冒頭に記した、呪術廻戦/第二期のオープニングテーマについて紹介することにしよう。あまりにもメジャーな楽曲すぎるため僕があえて紹介する必要など限りなく少ないと思われるが、一応。

自分たちで言ってるかどうかは知らないが、彼らはロックバンドなのだそうだ。彼らの音楽性は僕にとって大好物だと言っても語弊はない。ただ、正直なところロックバンドとは言い難いと思っている。それでもカッコ良いギターのリフが特徴的でロック感が迸っているのは間違いない。
このメロディラインは1990年頃、全世界を音楽的に支配したブラックコンテンポラリー系の音楽である、ニュージャックスウィングそのものと断言しても構わないだろう。

ニュージャックスウィングをこの世に創造させたテディー・ライリーは音楽史の教科書に記載されるべき存在。ただ、残念ながら黒人/アフリカ系アメリカ人なのでその可能性は限りなく低いものだ。
ちょうど同じ年代の頃、海外アーティストとして日本では頂点だったレニー・クラヴィッツは、人気が過ぎ去ってから「自分が黒人だから売れなかった」と大々的に不満をぶつけるような発言をしていた。そのレニー・クラヴィッツよりテディー・ライリーの方が、控えめに言ってもヒエラルキーが高い。
何故なら、既に終了コンテンツだったマイケル・ジャクソンを復活させたのが、他ならぬテディーであり、ロックバンド以外の何ものでもないローリング・ストーンズでさえ、プロデュースを依頼するミュージシャンなのだから。

誤解のないよう付け加えるが、キングヌーさんたちはパクっている訳ではなく、エッセンスを抽出し、自分たちの音楽へと確実に昇華させている。作詞・作曲はメンバーの中心的存在、常田大希さんによるもの。結果的に中退しているとはいえ、さすがは東京藝大に合格した才能と言わざるを得ないだろう。
美術学部の方ではあるが、僕は受験で落とされているため少なからずコンプレックスはあったりする。

*  *  *

硝 子 窓

何かのテーマソングらしいが…、流石に発信する側としては申し訳ない気もするので、たったいま調べてみた。
ミステリと言う勿れ、という漫画が原作の実写ドラマがあり、昨年秋に映画化される際にキングヌーさんが主題歌を担当したらしい。漫画、実写ともに主人公のアフロヘアに目を奪われてしまう、菅田将暉さんか。もしも機会があれば鑑賞したい作品のようだ。

MVの方は映画と関係のない内容なのだろう、それでも見応えある映像なので是非ともご覧いただきたい。

このMVは音楽も映像も心の奥深い部分に響く。最近、この手のジャンルから遠ざかっているため、より一層衝撃が大きかったのかも知れない。
初めて僕がこの窓硝子という曲を聴いたとき、かつて聴き味わった音楽の存在を思い起こした。ただ、ある程度は脳内で再生できるものの、残念ながら決定的な特定には至らなかった。それでも馴染みのある曲のリミック版だということは間違いない、そう気付いていたのは自分としても誇るべきだろう。

時間を要したが、やがてこの楽曲に至った。

多用してるボーコーダーからして、キングヌーさんたちが影響を受けていたとしても不思議はない。ボーコーダーというのは人間の肉声を、ロボットや電脳が発声してるかのごとく人工的な音声に変換するエフェクトのこと。

そして、この曲を作っているのが件のテディー・ライリー。サムネ画像の右側に写っている白いベレー帽の似合う可愛い人物だ。1995年の楽曲ではあるが、今でもキングヌーさんに引けを取らないのではないだろうか。
元々はマイケル・ジャクソンの作った曲で、テディーがそれを貰い、自分の所属するブラックストリートというグループでシングル化。さらにそれをリミックスした作品がここに貼り付けてある、Joy (Latin Combo)という楽曲。
割りとマニアックな存在かも知れない。

これがもし、本当にキングヌーさんたちが影響され、インスパイアされていたとしても、逆に彼らの才能が際立って感じらる…、僕はそう信じている。

業種はまるで異なるが、思えば自分もこの様な仕組み(僕の想像)で、インスパイアされた内容を自分の作品に織り込んでいる。言葉は悪いがパクリ元をしっかりと認識し、そこからの距離を調節、さらに自分独自の閃きを添加させることで、自分の作品へと昇華させている。パクリ元を認識できなかったり忘れてしまっていたりすると、オリジナルとの距離感が調節できず、自分でも知らぬ間に過去の記憶から模倣していたりするのだろう。
引き出しが多いなどと語っているクリエイターは信用しないほうが良い。大切なのは記憶力ではなくリアルタイムの閃きなのだから。

最後に、テディー率いるブラックストリートをもう1曲…
今回の記事で貼ったテディーの2曲は、自ら創造し世界中から模倣されてしまったニュージャックスウィングから完全に脱却している。
その先進性たるや、30年前の作品だとは信じ難くないだろうか?

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