見出し画像

春、新たな道を歩むあなたへ

毎年、春に思う
「ひとはひとの時間の流れ方があって
わたしたちはその一部分を共有してるにすぎない」
出会いと別れの季節とは、うまくいったもので、感情に折り合いをつける季節だと思っている。

特に今年は、不思議なくらいそんなことに気づく瞬間に遭遇する。
まあ、年齢的に大学卒業の歳っていうのもあるけど、新たな1歩を踏み出す人が周りに多い。

そのひとりが、妹だ。
そして、その存在が大きすぎる。
彼女は、今日、生まれ育ったこの町をはなれた。
昨夜、また知らぬ間に新しく好きになってい芸能人の話をしながらコンビニに行った。
相変わらず、写真は一緒に撮ってくれないし
抱きつこうとすると「きもい」と一蹴された。
代わり映えのない日々もしばらくお預けなんだなと噛み締めながら、アイスをかじって散歩した。

そんなんだからか、今年の春は上手く手紙をかけないでいる。
手紙を書くと寂しくなっちゃうから。、

一方で、言葉にしないといつか後悔してしまうかもしれない、そんな気持ちもある。
だから、綴っておく

妹がいない家

妹が家を出る選択をしたこと
ものすごく喜ばしくもあり、
「うわ、先を越された」と言ってしまいそうなくらい
とてつもなく羨ましい気持ちがある。

この春、
ネパールで問われた
But even in a world like this,what keeps you alive?
東北で問われた
本当に大切にしたいものはなに?

このふたつの問いに対して
すぐに妹の顔が浮かんで
妹の名前を答えられない自分がいた。

旅するオイルパステル展(主催:NPO法人底上げ)にて

昨年の夏、進路に悩む妹に言われた。
「ねーちゃん、ねーちゃんは絶対、家に居ない時のほうが輝いてるよ、どこにでも行けるねーちゃんが羨ましい」
直後、彼女は県外の大学に進学を決めた。
(まあ、とはいえ、国内だし、すぐ近くだけど)

大学生になる=「自分の選択に従った学びが本業」ということは、とてつもなく贅沢なこと。

わたしは、この3年間、自分の中で何を得たいのか明確にならないまま、とにかく外に飛び込んできた。
気仙沼、無人島、富岡、ネパール、、、
長期休みは、ほとんど家にいなかった。

心のどこかで、自分の居場所を求めていたようにも思う。
行く先々で、たくさんの人に出会い、たくさん助けてもらった。
正直、外で人とのつながりを実感することでしか埋まらない欲が自分の中にはあった。
大学に入って、わたしが大切にしていきたい場所、人、ものが増え続けている。

一方で、この3年間、わたしは妹のことを大切にできていたのだろうか。
「どこにでも行けるねーちゃんが羨ましい」
わたしには「ひとりにしないで」と聞こえた。
心を突き刺すには、十分すぎる言葉だった。

依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。
(中略)
だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

熊谷晋一郎さんのインタビュー記事
(東京人権啓発センター)より

この3年間、わたしが外に出て得てきたのは、依存先を増やしていく行為なのかもしれない。
「ひとりじゃない」と思える瞬間があるだけで、わたしは本当に価値ある選択をしたと心から感じてきた。

そうやって、わたしは、いつも自分のことばかりだ。
人のことを大切にしたいのに、上手くできない。

自分の内側の依存先

果たして、こんな世界でわたしを生かすものはなんだろうか
本当に大切にしたいものはなんだろうか
わたしの周りにいる人たちは、その答えを自分の内側にも持っている。かっこいい。
まさに、自立しているかのように、私の目には映っている。

わたしが知らぬ間に持っていたのは、妹という外にある解だった。
でも、今日でもう姉業にもひと区切りだ。

こんな世界でもねーちゃんを生かしてくれたのは、あなたで
ねーちゃんが本当に心から大切にしたいと思い続けてきたのは、あなたです。
それは、この先も変わらないこと。

どうかこの先、あなたにとっての依存先が増えますように
その選択をした自分を愛せますように

わたしは改めて、こんな世界でもわたしを生かしているもの、本当に大切にしたいもの、それは何なのか自分に問いたいと思ってます。
きっと、その答えを他者ではなく、自分の内側にもっていたら、もっと人生を味わえると思うから。

あなたのねーちゃんで居れて幸せでした
18年間、一緒に暮らしてくれてありがとう、だいすきだよ

2024.4.1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?