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作品の中に存在する圧縮された時間を汲み取るのに私の手はあまりに小さいという話

 ないものねだりしてタイムラインを見てると自分は何も出来ないグズだと強く自覚してしまうので、またこうやって下手くそな文章を書いています。

 羽子田チカさんの『きみとメモリー』についての記事を投稿した次の日の10月29日の夜。羽子田さんがとあるフォロワーが書いたnoteを引用RTしていました。

 まことっちさんの書かれた上の記事は『きみとメモリー』『モッツァレラ▲トライ▼クッキング』の2曲について音楽的な、テクニック的な視点から書かれた記事です。

 この記事を読んだ時の感想は「わたしもこんな記事を書きたい」というものです。そもそも、私がnoteを書き始めた理由は素晴らしい者に出会えた時に生まれる感情をつぶやき一つで済ませてしまうには語彙だとか伝え方以前にもったいないのではないかという考えからです。そして、Twitterは共有することについては秀でていますが、自分の中で反芻するには心許ないツールであることを感じていました。

 そして、素晴らしい作品の魅力を綴るべく、noteを書き始めた訳ですが媒体を変えたからといって専門的な視点が私に宿ることはなく、絞りだしたような文章を今日まで綴っている次第です。そう、語彙がなくとも物語を紐解けばそれなりに文章が書けるんです。でも、専門知識がないとその歌にかけられた時間を想像出来ないんですよ。

 『きみとメモリー』は3ヶ月かけて作られた曲と言っていましたが、私の3ヶ月と羽子田さんの3ヶ月はもちろん違います。作曲をしたことのない人間やプレイヤーとして音楽を経験していない人間が3ヶ月の作曲でどれだけの苦労があったかを想像することは出来ません。

 これは私のエゴですが音楽に限らずVtuber に限らず、素晴らしいと思った物にある物語を全て知りたい、分かりたいというのが本音です。ですが、プロであれば、習熟したものであればあるほど「なんでもないようにやる」というのが流儀というかプライドというものになるでしょうから素人には察することすら難しくなります。

 なので今回のようにテクニカルなところを書ける人が自分が素晴らしいと思った作品について書いてくれるというのは素晴らしく貴重でありがたいことなんです。

 まことっちさんありがとうございました。



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