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”いちばん”のMay Way

昔々あるところに音楽の投稿サイトがありました。

そこには色々な人がいましたが、主に他のSNSで公開するためにアップロードすることを目的として、そのサイトを利用している人が大半を締めていました。

そのサイトの利用者であるある男は、他のSNSで公開する予定もなかったのですが、なんとなく新たにTwitterのアカウントを開設して連動させて誰に聞かせるわけでもなく、曲を作ってはそのサイトに投稿を続けていました。

ところで、その男はくるりというバンドが好きでした。特に、くるりの「東京」という曲が好きでした。その曲の地元を離れて東京に出た際に地元の好きだった人と会えなくなることを嘆いて歌うような、諦めて歌うような、そんな情けない歌詞が好きだったのです。

とある日、男は何気なく件の音楽投稿サイトで"くるり"と検索するといくつかの曲のカバーがヒットしました。彼はなんとなく珈琲片手にそのカバーを聞いていました。

どれも弾き語りで、当たり障りのないカバーでしたが、その中に1つだけ変なカバーがありました。

歪みに歪んだギターの音と、ピッチ変更された気持ちの悪い声。そのいびつな演奏は"東京"のカバーでした。
えもいわれぬ奇妙な感覚。上手いとか下手では判断できない曲のカバーは男にとって新鮮で何度もリピートしていました。

男はそのカバーの投稿者に興味が湧いて、Twitterをフォローすることにしました。すると、投稿者が男に突然リプライを送って来ました。

「フォローありがとうございます」

そこから彼は事あるごとに何故か男にリプライを送ってくるようになりました。内容はよくわからない彼の音楽の価値観と愚痴ばかり。

「何年も前に録音したコピーの音源を今更アップロードしてる奴らがいますが、彼らは音楽を何もわかっていない。無意味な行為です」

「あのサイトの経営者は一体何を考えているのかさっぱりわからない。気持ち悪いし腹立たしい」

彼の発言はほとんど意味不明で、男は送られてくるリプライを聞き流していました。

そんなある日、彼がいつものようにリプライを送って来ました。しかしいつもと様子が違います。

「そろそろあのどうしようもないサイトから去ろうと思います。Twitterも消すと思います」

投稿者と男は奇妙な関係で、お互いの年も職も住んでいる場所も知りません。TwitterというSNSで一方的に彼の支離滅裂な話を聞くだけの関係でした。
希薄な関係性ではありましたが、一方で確かな交流があったのも事実です。男は彼の引退を受けて寂しさともまた違った感情を抱いて、なんとなくの好奇心から彼にここから去る理由を聞くことにしました。

「いつまでも音楽をやっているわけにはいかないのです笑」

曖昧なレスポンスに対して男は「そうですか」と短く返信しました。よく考えればこの奇妙な関係性からして、突っ込んで聞くのも野暮に思えたのです。

そこから少し音楽の話になりました。珍しく彼が愚痴ではなく、自分の言葉を話し始めました。

「歌というのは気持ちがこもってなければいけません。自分の気持ちを込めてない歌には何の意味もないのです」

男は彼の突然の言葉に少し困惑しました。でも、納得もしたのです。彼の歌にはそれがあったから、自分はあの"東京"を聞いて貴方にTwitterでコンタクトを取ったのかもしれない、と。

男は最後になるであろうリプライで彼に1つだけ尋ねました。

「では、貴方のいちばんの音源はどれでしたか?」

彼は少し経って、リプライを送ってきました。

「サイトにはアップロードしていませんが、この曲です。これが私の”いちばん”です」

男は投稿してきた音源の中で、という意図で聞いたのですが、彼はダウンロードのリンクをぼくに送ってきました。それは"My Way"というフランク・シナトラの歌う曲の日本語版カバーでした。

彼はいつも投稿する音源の音声ピッチを弄っていたのですが、その音源はピッチを変更せずに地声で録音されていました。お世辞にも上手いと言えないギターと歌。
それでも男はスピーカーから流れてくる音源を確かに静かに聞き続けていました。

「このMy Wayは思い出の一曲です。これが私の”いちばん”です」

彼とMay Wayにどんな関係性があって、どんな思い出があって、どんな思い入れがあったのか、如何にしてこれが”いちばん”なのか。男は尋ねませんでした。
大して上手いわけではない演奏と歌は、それを知る必要が無いくらいに男の部屋で鳴り響いて、そして通り過ぎていったのです。

そのやり取りを最後に、男と”彼”の奇妙な関係は呆気なく終わりを告げました。

それからずいぶん時間は流れました。

それでも男は時々、どこの誰かも知らない彼のことを思い出すのです。部屋の外を吹き荒れる乱暴な春風を聞きながら、なんとなく、彼の”いちばん”を思い出すのでした。

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