あの時、もしも、はないんだけど


今だからこそ言いたい事がある

わたしはあと一歩のところで京アニに就職できなかった過去がある

Free!のTV放送が始まった当時、その映像の美しさ、ストーリーの面白さ、演出の素晴らしさにとてもとても感動した
第一話を観たその場で、鳥取に聖地巡礼に行く日程を決めた
それまでアニメは録画した映像で十分満足してたのに、初めて公式にお金を払いたくてブルーレイを予約して買った

そして、すっかりFree!信者になった私は何を思たか「自分もFree!を作りたい」と言い出しはじめる
そのとき、たまたま総合職の求人が出ていたので、すぐさまエントリー

履歴書とA4用紙一枚を使って自己PRしてください(ただし手書きで)、との課題。
いかに自分が京都アニメーションの作品を好きか、好きな作品を世に広めるのが使命だと思ったか、ここで働かせてください!
と、文字だけでA4をうめた
おそらく絵を描いて独創的に自己PRするのがセオリーだったろうけど、絵はかけないわ、デザインのセンスはないわの自分に出来るアピールは情熱をぶつけることだけだった

驚くべきことに書類審査は通った、そして面接と筆記試験もパスし、とんとん拍子に最終面接にまで漕ぎつけた

忘れもしない、最終面接の日は「境界の彼方」の最終回が放送される日
待合室に通されると、目の前に最終回の脚本とDVDが置いてあって、こっそり見てしまおうかとドキドキしたけど見なかった

最終面接でもやっぱり、いかに京アニの作品が好きか熱く語ったんだと思う(緊張しててあまり覚えていない)
絵は描けない、デザインのセンスは無い、脚本が作れるわけでも特別なスキルがあるわけでもない。そんな自分でも力になりたい、なれる、と

最終面接のあと、もう言いたい事は言い尽くしたし、結果がどうあれ憧れの京アニで最終まで残れたことは一生忘れないでいようと思った

でも、残念ながら、ご縁が無く仕事をすることは叶わなかったし、連絡があった日は泣いた。
就活でお祈りされてこんなにも落ち込んだことは無いくらい凹んだ。折りしもクリスマス直前、ブルーな気持ちを年明けまで引きずった

京アニは本当に働く人のことを考えた会社でした
アニメ業界はブラックといわれてそのとおりだと思う、東京の某アニメ制作会社ではたらく知り合いは悲惨だった。環境がいいからこそ、いい作品が生まれる
そしてまた憧れて目指す人が現れて、より良い作品が生まれていく
これからお手本となるべき存在だったのに、なぜ・・・・・・

あまりにも理不尽、自分の無力さで涙が出る

今出来ることは応援すること、一生推す
人生を変えてくれた作品を作った方々がいたこと、永遠に忘れない

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