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「流動体について」は自分の過去と今と未来も行き来する

先日の小沢健二氏のMステのリモート出演、いつも通りファンをあっと言わせる工夫と視点で、慣れない形態に、見る方もそちらに目が行きがちで、大切なほんとうの意味を見出すまでには何回も見たりするのが小沢ファンの中では常識となっている。

そんな繰り返しをする内に流動体についての選曲がここに来て腑に落ちたので、tweetで書き綴ってたら思いの外長くなったので初めてのnoteを記してみる。

いつもそうなのだが、小沢さんが発信することに自分の理解力が足りなくてストンと落ちるようになるには時間がかかる。それってもう、人によるのだとは思うが私はずっと未来。3年くらい?いやもっと?分からないまま迷宮入りも数しれず…

日々の経験とある程度の学習と誰かとの会話などから、全てが合致した時にスロットマシーンのように一瞬ガッシャンこする。(小沢さんもtweetで述べてた通り)


だから今、日本に舞い降りた頃(3年前)リリースの「流動体について」を聴くと再度理解が深まる気がする。
併せてエッセイのハイレゾいちごと食パン、分かりやすく、頭にスっと入りやすい話題で私らのハートをぎゅっと掴む。そうは言っても日本の現状を知ってる大人はいい所ばかりじゃないことくらい重々承知だ。でもこの時点でそんなに更に先いく理解など小沢さんは元々求めていないのだと、今やっと分かる。そうすると凄く練りに練った小沢的啓蒙思想かー、うーん納得(昨日読んだTOKYO ZOMBIE さんのブログを読んでググッと前進)この記事は初めの一歩に過ぎないのかも。

朝日新聞の記事は一見すると日本賛美。最近のtweetでも私たちに日本語を学ぶことを勧めている。こんな腐った政治の中にいる毎日を実感している身としては日本のいい所に気づきもあり、嬉しいのだけど一抹の不安が残る。このまま日本最高!日本人凄い!の気持ちの悪いバラエティ番組を彷彿とさせるあんな感じでいいの?世界を見る目を持ってこそ、今の日本が見えるのでは?そして外国語も学んだ方がいいに決まってると…。

当の小沢さん本人がそうやって来た結果、「それほどの怖さはない」と言っているのだし。

何事もこうしたら?ああしたら?と具体的な事を例にとって強く勧めたりはしないのにそこだけは少し疑問だった。

でも、生まれつき欧米の物や思想、言葉に囲まれた暮らしをする私たち以降の年代にとってそれが当たり前になり過ぎていて、土着のものを忘れかけている事に日々の暮らしで改めて気づく。

純粋に自分の幸せとは?と考えた時、先祖代々続く長い歴史の上で、土地に由来する伝統や文化の中で培われ、それが更に種々に想像もし得ない方向に拡がっていく、そしてそれを受け継ぎ、続けていく事なのではないか?でもそのスピードはそんなに早くないし、もどかしいくらいにゆっくりだ。

日々の幸せって小さくはあっても──

子どもが自転車に乗れるようになってね、あの嬉しそうな表情をずっと忘れないよ!
という気持ちや、
母の作った芋の煮っころがし、久しぶりに実家に帰って食べたら染みた…
とか、
仕事のコツが少し分かってきた、先輩に自分なりの良いやり方を提案してみたら、意外にも褒めてくれた…
とかそんなこと。

そういう積み重なる層のような歴史を完全に無視した、資本を優先とした中央集権的な思想が目先の利益だけのためにのさばる現状、抽象的に言えばそこに色とりどりの自然から生まれるようなカラフルな色はない。均一化された社会は、今まで「幸せ」と思ってきた事すらもカネで置き換える思考にぶっ飛ばそうとしている。

自分で作るなんて野暮!タイムイズマネー!

お決まりの定型句で作る時間を省略して買った惣菜で安くてお得!な気にされてないか?(時には手を借りますが…笑)

続いてきたサークルを絶たれた私たちは色を失って恐らく容易に数えらるほどの数種類の人型に分かれ、それらが形成していく未来はとても味気ないものになるのだろう。お金のためにはそれが一番手っ取り早いのかもしれないけど…。

ここまで考えて、連想したのは先日フォロワーさんからヒントを得た、無駄がなく、統一され、整然とした綺麗な部屋。断捨離を勧める精神性。

断捨離とは即ち、溢れる物に囲まれる事を見直し、少ない物で足りる生活をする事。それはとっても賛成だ。でもここまで思想が一般化してくると穿った見方もついしてしまい、部屋に無駄なものを省き、必要なものはその都度外で調達せよ!ということではないかな?という視点を持ってしまう。要らないものは捨てて、捨てたようなちょっと新しいものを又買えばいいじゃないか!という思考。

(前に書いたようにシンプルに暮らすという事は分かる。便利過ぎる百均の白髪ネギ切り器のようなものは他に用途がないのでいつか引き出しの隅に追いやられて存在を忘れられたりするので、できれば買わないようにしてる)

脱線したから戻ると、あらゆるメーカーの派手なラベルの台所用品、洗濯洗剤等々…全部白ラベルに貼り替えましょう。ねっ、統一性があって美しいでしょ!  これらの統一性を好む思考を否定してる訳じゃないが、一皮剥けば中身はバラバラの個性を白いラベルに覆い隠された未来の人間たちに重ねてしまう。
そういう部屋が落ち着く人もたくさん居ると思うが、出処不明な種々雑多な物に溢れる部屋も私なんかは嫌いじゃないのかもしれない。

とうに忘れた学生時代に書いた日記や、誰かに宛てた手紙から、自分の変わらなさを実感したり、ルーツをそこに見出すこともある。想い出に浸る未来をも断捨離していたら、こういった素晴らしい時間もバッサリ切り捨てる事にはならないか?

これからの人生について考えるにつき、その都度分岐点に立ち、迷い迷って選んだ道だけど結局成り行きで歩んで来た今の仕事、振り返ってみると、何が正しくて、どうしてそうなったかも分からない時もある。そんな時、幼かった頃描いた絵や文章に思いがけず触れて、自分のルーツやまっさらな性(さが)に気づきハッとする事が私も最近あった。
(姉の断捨離中に【私の】こんな絵が…と撮ってLINEしてくれた写真で、ハッとしてgoo!)

その時発するものって作為にも満ちていない素なのだ。今は喉から手が出るくらいに欲しくてもどこにもない、それを今見返すことの素敵さったらない。
あぁ、今の私だから分かるよ、長い経験をしたからこそ、今この日記が、絵がどれほど今の自分をくっきりと映し出しているか!(なんてやってるから片付かない…)

すいません、小沢さんの話をしていたつもりが自分を振り返る旅になっていた💦

でも小沢さんの過去と未来を行ったり来たりする歌詞や文章などは勿論のこと、自分の中にもそういうタイムスリップ現象、過去に省略したり、いらないと思った物にこそ未来に宿る何かを発見できる事があると思ったこのStayHome期間は私には全く無駄にならなかった。

そして小沢さんに話を戻すと…

「流動体について」をMステで初めて聴いた人が、それぞれの持つ、今の自分でなかった自分に思いを馳せたりして、今私たちが感じた3年前のあの地点にいるかもしれない。これから起きている人たちがどんどん増えてまた別の場所や別の時に聴くかも知れない。そうやって思考のサークルを回し出した私たちとその人たちがぴったりと合わさる時もいつか訪れるのだろう。

そしてそれをじっと待つかのように、ひふみよのトップページ(「情報がおおいです」の後の💦→home)には、今でもあの朝日新聞の記事が誰でも読めるようになっている。

Mステで、あのできるかな?Eテレ風味の自作なDIY演出にココロを掴まれ、ひふみよの朝日新聞の記事に辿り着く人がいることをそっと私も小沢ファンのひとりとして待ってみる。

そして、ここで思考は終わらせず、その都度サークルがぐるぐる回るように、社会や時代が変わる度に考え続けて細々と自分の中にも染み込ませて宇宙の中で良いことをする決意をして行き続けたいと思う。


✢✣✤✢✣✤紺藍✤✣✢✤✣✢


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