弱者男性とフェミニズム

私は『女性』になりたいのだ

これは別に私がトランス女性というわけではない。私は異性愛者の普通の男性である。この場合の『女性』とはフェミニストが憎んで仕方ない社会に強要された『女性』である。少し現代的ではないかもしれないが、所謂高度な教育も受けずに、重要度の低い仕事につき、結婚して寿退社をして、子供を産んで育てて、その後家計が大変なら控除内でパートをするような『女性』である。

私は精力的でなければ、向上心もないような単純労働以外の仕事をするのにおおよそ向いてない性質であり、現実単純労働の低賃金で食いつないでるだけの生活をしている。趣味はネトゲ(ネトゲは金がかからなくて素晴らしい趣味だと思っている)でネカマをしていて、最早『単純労働の機械』でいる時間と、『女性』でいる時間しか最近はないのかもしれない。

ネット上の話で申し訳ないのだが『女性』というのは私にはすごく楽なのだ。例えばネトゲでクエストをやるとしよう。パーティーを作るのも、リードするのも『男性』がやってくれる。私は、どこどこに連れてってとかお願いする必要もなく、「〇〇欲しいなー」と言ってみるだけでエスコートしてくれる場面すらある。いや、それすら言わなくても、旬のコンテンツ等は率先して連れてってもらえるのだ。そして、私がやることは相手を持ち上げて、少し大げさに喜び、少し場を盛り上げるように気を使い、しっかりお礼を言うことだけである。

話がずれてしまったが、何が言いたいかというと積極性や精力的でないような弱者男性は『女性』というのは非常に居心地がいいのである。勿論、女性にも苦痛はあるだろうし、実際なってみたら嫌になるだろう。しかし、それでも私は男性社会で生きていくことに絶望的に向いてないのだ。

弱者男性が『女性』になれない理由

こういう話をするとよく女性から、自分を磨いて女性に養われるような人間になる努力をすればいいみたいな話をされる。しかし、例えば専業主婦は皆そんな素晴らしい人間だろうか?そんなことはないだろうし、性別が変われば弱者男性になるような専業主婦はいっぱいいると思う。それでは、なぜ弱者男性は『女性』になれないのか。簡単な話、性的魅力と出産能力がないからである。女性は一般的に男性より性的魅力が高いと私は思う。どこかの調査で男性は8割の女性にいいねを送り、女性は2割の男性にしかいいねを送らないというデータがあるように、圧倒的な性的魅力の格差が存在する。そして出産能力なんてものは男性には皆無であり、獲得することも不可能である。この状態は著しく不平等だと私は思うのだ。

弱者男性とフェミニズム

フェミニズムにより男権を解体し獲得しようとしている女性に対して、弱者男性は女権を解体し獲得できない。もはやこれは生物的な問題である。この不平等を無視してフェミニズムを進めると、多くの弱者男性が生まれるのではないだろうか。私の底辺的立ち位置は変わることがなく、多くの弱者男性仲間が増えるのであればそれはそれで好ましいと思うべきなのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?