幻と化した「馬連23万2140円」馬券…転落のはじまりだった!【73歳・交通誘導員 哀愁の日々】

73歳・交通誘導員 哀愁の日々】#4

 人生どこに落とし穴があるかわからない。

 私が交通誘導員の仕事に就かなければならなくなった大きな理由のひとつが競馬だ。競馬をはじめたのは、かれこれ27~28年くらい前。私にはもうひとつ趣味があって、中国や朝鮮の陶磁器を集めていた。

 いい物を集めていると、だんだん目も肥えてくる。必然的に値段も高くなる。といっても100万円くらいまでの物が多かったが、年に何個も買えばバカにならない金額になった。出版編集プロダクションの仕事は順調で、並のサラリーマンよりはるかに収入は多かった。とはいえ、高額な陶磁器をいくつも買っていれば、カネはいくらあっても足りなくなる。

 そこで私は何を考えたか。ここが私の短絡的なところで、それまでやったこともない競馬に関心を持ったのである。うまくいけば何百万円を2、3分で稼ぐことができるかもしれない、と考えてしまったのである。

 普通の感覚を持ち合わせていれば、その愚かさがわかりそうなものだ。だが、その感覚を私は全く持ち合わせていなかった。それまで私はギャンブルをしたことはなかった。マージャンはしないし、パチンコは小銭程度しかやらなかった。

 ためしに馬券を買ってみた。当たったり当たらなかったりだったが、見事にハマってしまった。賭ける金額も多くなった。

 ある日などは、中山競馬場に200万円持っていってすっかり溶かしたこともある。ポケットには小銭があるのみで、まさにオケラ街道をとぼとぼ歩きで武蔵野線の競馬場帰りの人であふれる満員電車に乗って帰った。

 それから7、8年経つと、しばしば会社は資金ショートすることがあった。それでも競馬はやっていた。

 ある日、いろいろ大きなカネが入用になり、翌週の月曜日に200万円の前払いをしてもらうため、出版社の幹部と会う約束を取り付けた。手元には3万円少々のカネがあった。

■「単勝、馬連、ワイドを1万円」と決めて家を出ようとしたら…

 忘れもしない2000年12月16日、中山競馬場9レースひいらぎ賞(500万下)。競馬新聞を見ていると、ピンとくるものがあった。16頭立てで13番人気のミヤビリージェント号が調教でオープン馬を煽るほどの調子だと書いてある。もう1頭、地方競馬(船橋)から参戦しているシングンオペラ号が目についた。15番人気の低評価だが、成績や血統からこの評価はないだろう、と思った。

 当時は馬単も3連複も3連単もない時代。ミヤビリージェントの単勝1万円、2頭の馬連とワイドにそれぞれ1万円買うことに決めた。中山か銀座の場外馬券売り場で1レースのみ購入しようと家の玄関で靴をはいていると、妻に呼び止められてしまった。

「あなた、どこへ行くのよ。馬券買いに行くのでしょう。絶対に許さないわよ。おカネをドブに捨てるようなことなんて」と怖い顔をしている。

 もう妻には散々迷惑をかけてきたので、そこを振り切ってまで馬券を買いに外出することはできなかった。競馬に絶対はないことは誰でも知っている。まして、こんなギャンブル馬券が的中する可能性はどう考えても低いだろう。

 黙って家でラジオを聞くことにした。結果はシングンオペラが坂のある中山競馬場の直線を最後尾から14頭ごぼう抜きで②着に食い込んだ。①着はミヤビリージェントで単勝8630円、馬連23万2140円、ワイド3万5890円だった。これを予想通りに買っていれば2700万円以上の払い戻しになっていた。

 1週間ほど眠れぬ夜を過ごした。自分の運のなさを嫌というほど痛感した。振り返ると、ここが私の分岐点だったかもしれない。

 その日、私は妻にグチった。「あなたのことだから、気が変わって違う馬券を買っていたわよ」と一蹴されてしまった。いやはや……。

 まっしぐらに底辺へ落ちてゆく入り口に私は立っていた。


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