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日本人だけが感じる「肩こり」を、生物心理社会的モデルで理解する

皆さんは肩こりを感じたことがありますか?

普段は感じていなくても美容院のシャンプー後のマッサージで、肩が異常に張っていたと気づく方もいると思います。

肩こりって何なんでしょう。肩はこるけど、「腰がこる」とか「ふくらはぎがこる」ってそういえばあまり言わない。

肩こりを含めた「痛み」。実はとても難しいけれど、興味深いことが満載の世界です。

それを知るための重要なキーワードが「生物心理社会的モデル」です。

痛みの生物心理社会的モデル

私は理学療法士という国家資格を持っていて、体の痛みが改善しない方のリハビリを病院で指導しています。

肩こりは長年放置すると、治らない首の痛みや頭痛にまで発展してしまいます。

「正しい知識があれば、もっと早く治ったのに」と感じることも多く、社会へリーチするためにNPOを運営し、ライティングを学びアウトプットしています。

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上の図は、エンゲルという心療内科の医師が考えた、生物心理社会的モデルという病気に対する考え方です。

痛みなどの体の不良の原因にはからだ、心理、社会的な要因が関係しあうので全体的に診ることが必要だと示しています。

簡単にまとめると、

①同じ痛みでも苦しさを感じる人と感じない人がいる

②仕事や人間関係のストレスによって左右される可能性がある

③地域や民族や文化の影響を受ける

特に慢性的な病気は原因を一つに絞らずいろいろなものに影響されるということを示しています。

肩こりにおいては文化的背景を理解すると面白い側面が見えてきます。

日本における肩こり

肩こりは、日本人を最も困らせている体の症状の一つ、国民病です。これはデータからもはっきりとわかっています。

肩こり

上の図は、平成28年度の国民生活基礎調査の自覚症状の状況の統計で、肩こりは男性で2位、女性では1位。

何年もの間、腰痛と肩こりで男女ワンツーフィニッシュを独占している状態です。

痛みの表現と文化

肩こりは日本人の誰もが知っている病気や言葉である一方で、英語圏の方にも肩の周りの不調を表す症状は起こります。

しかし表現としては

・「stiff neck」

・「tight shoulders」

・「shoulder discomfort」

・「shoulder stiffness」

と多くの表現があり、tightとかstiffnessという単語は肩の不調以外にも使われます。

日本だと「肩はこる」。

腰や背中の同じような症状は「張る」と表現します。肩が張ると言うことはありますが、肩以外の体の他の場所を「こる」と表現することはあまりないですね。

腰は張るけど肩はこる

別の例を挙げてみます。

男性の私はあまり感じない「足のむくみ」。女性は一日働いた後に感じるふくらはぎの張りや不調ですね。

フランスではこの症状を「重い足」といいます。症状は何となく理解できても、言葉として違和感を感じませんか?

このような言語文化に特有の症状の例としてフランス以外ではまれにしか報告されない重い足(jambes lourdes)が世界的には有名である。フランスでは日本での肩こりと同じように重い足を治すための民間療法なども多く存在している。(Wikipediaより引用

このように人間にとっては同じように感じているはずの症状は、国や地域各地の文化と関わりを通じて独特な表現・言葉として形成されるようです。

余談ですが、私が以前住んでいた千葉県東部では、ぎっくり腰のことを「キヤリ」とか「キヤっとする」と言っていたことを書いていて思い出しました。

肩は張るのではなく、こる。気にしなければスルーしてしまうようなところに、日本人だけが感じる肩こりの背景を探ることができそうです。

「肩こり」は文学で広まった

肩の周り不調感が「肩こり」になっていったのでしょうか?

ネットもない昔、流行や文化を伝えるものは活字だったのでしょう。

その役割の一端を担ったであろう明治の文豪に行きつきました。

実は引用先を読めばわかるのですが、夏目漱石が肩こりを広めたという話は俗説であるところが大きく、肩こりという表現の源泉を漱石に求めるのは飛躍しているそうです。

それもそのはず、夏目漱石の持病は胃潰瘍とノイローゼだそう。特に胃潰瘍のせいで臨死体験をし、それが晩年の作風である「則天去私」に反映されています。

PCも音声入力もない時代にずっと座ってライティングしていたであろう夏目漱石。かなり肩こりがあり苦しんだ中で、「肩こり」という国民的バズワードを思いついたんだろうという考えは私の妄想で終わりました。

しかし「肩こりを日本に広めたのは夏目漱石」は、「土用の丑の日を広めた平賀源内」と同様に、歴史上の人物と日常の文化がつながる意外性あるトリビアとして興味深く感じます。

「肩こりは」苦しむ方の思いの結晶

肩が張ってくるという元々存在した治りにくい症状に、文化のどこかに存在した言葉が結びついた。

有名な文学作品を通じ、肩こりという概念と言葉が日本人の中で広まり、常識として成熟した過程を想像します。

その結果、日本人は肩の不調を肩こりと感じるようになったと考えます。

生物心理社会的モデルを通じた思考の整理から。

・言葉は文化や世相を反映する。

・治りにくい症状に対する人々の思いが文化と結びつく過程

について学びが得られたと感じました。

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