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ツォンカパ大師の縁起讃 意訳

先のガンデン寺座主やゾンカチューデ前僧院長、サキャ派の高名なリンポチェなど死亡が確認された後、死の瞑想状態に入られ数日遺体が腐敗しないという事がここ1ヶ月相次ぎました。

社会的な地位もあるお忙しいラマが、隠遁修行者のようなハイレベルの密教修行に至っておられるのは驚きでした。

前ガンデン寺座主は私はご縁があった程度でしたが、私の先生は直接チベット大蔵経を教わったりと深い師弟関係でした。

遅まきながら、恩師方への報恩の意味でツォンカパ大師の縁起讃の意訳をしました。

素晴らしい恩師との縁結びの祈願が、縁起讃の中に入っているためです。

Sers Jey Rigdzod Chenmo の縁起讃とその解釈書を参考にしました。

縁起讃(縁起を説かれたお釈迦様を讃える)

文殊師利菩薩に礼拝致します

無上なる智慧と無上なる説法者(である、煩悩に打ち勝った)勝利者、縁起をご覧になり説かれた方を恭敬致します

この世界を荒廃させるものは何であれ、その根本は無知によるものであり、見る事で(無知からの錯誤を)正すものといえば、縁起の教えであると(お釈迦様は)説かれました

その(ように理解した)時、(煩悩より自由になりたいという)気持ちのある方なら、縁起を知る知恵が仏様の教えの一番大事な所と理解しない事などあるでしょうか

そういう訳で、(煩悩よりの)守護者である仏様を「(全ては)条件に依って成立する」と説かれた事より讃えるのに、どなたも驚きはないでしょう

要因・条件の影響で成立する存在は(能力・特性はあれども)その本性は空であると説かれた事より、驚くほど素晴らしい教えなどあるでしょうか

(無知よりの錯誤から、存在の)本性を(実体と)把握する事で輪廻する凡庸な者、(神など不変の絶対なる実体があるとする常見・存在は本当はないとする断見の)極端に偏った見方に囚われ(煩悩という娯楽に)依存する者が、縁起の知恵(を極め、それ)自体に優れる事こそが、複雑に絡まった(煩悩の)網全てを断つ入口となります

(縁起を知る知恵の)教えは他の宗教・哲学には見当たりませんから、(煩悩からの自由を説いた)教主というも仏様の事です

ヒンドゥー哲学を説く開祖も教主とは言えますが、(お釈迦様は)狐に対する獅子のようです

偉大なり教主 偉大なり帰依処 偉大なり優れた説法者 偉大なり守護者

「条件に依って成立する」とよく説かれた説法者に私は礼拝致します

(皆を)大事にする方が有情に役立つと説かれた教えの心髄が「空性」ですが、

(もしも空性を)確定する特別な理由である「条件に依って成立する」というあり方と(空性を)矛盾すると見たり、(条件に依って成立する存在なら空性とは)一致しないと見るなら、貴方の真意をどうして理解出来ましょう

ひとたび(教えを学ぶ)あなたが空性を「条件に依って成立する事」と見るなら、本性が空なのと、物やなす事は(世の理りと)合致し矛盾がなく、

その逆に「空性なら条件に依って成立する事がない」と見るなら、

空ならなす事は(本当は)ない事になり、(もしくは不変の絶対なる実体がある)なす事は空ではないので、(どちらも努力する意味がないから、自他を大事にせず言わば)崖から谷底に落ちるようなものです

そういう訳で貴方の教えで「条件に依って成立する」と見るのを素晴らしいと讃えます

それはまた、全く「本当はない」のでも、(不変の絶対的)「本性がある」のでもありません

他から影響を受けない存在とは(空想上の)虚空の花のよう、なので(存在なら)他から影響を受けない存在はありません

(逆に自身の不変の絶対的)本質により成立しているなら、原因や条件に影響を受けるのは矛盾します

それ故に「条件に依って成立する」以外に(成立している)存在は些かもない事から、「本性が空である」存在以外に(成立している)存在は些かもないと説きます (不変の絶対的な)本性が(ある存在からない存在に、またはない存在からある存在に)覆る事がないからです

(もしも)存在に(不変の絶対的)本性がほんの少しでもあるなら、(その影響を受けず)自由になり得ないので、複雑に絡まった煩悩に打ち勝つ事はないと(お釈迦様は)言われました

ですから「本性を離れる」という獅子吼で何度も賢者の集まり(説法の場)にて良く説かれた、この教えを誰が貶める事が出來ましょう

全ての存在において「(不変の絶対的)本性が少しもない事」と「条件に依って成立する事」の二つは、重なり合う矛盾のない表裏一体の関係なのは言うまでもありません

「条件に依って成立する」という理由により、「不変の価値の存在・不変の無価値の存在(があるという思い込み)に依存しない」とよく説かれた、これが守護者である貴方の(種々の)説法の無上の要因です

全ての存在の本質が空である事と、条件に依って成立する存在である事の確定が、互いに妨げず相互補完の関係な事に、これ程の驚き、これ程の素晴らしい事はありません

この様に(縁起で)貴方を讃えてこそ(お釈迦様に相応しい)賞賛と言えます、他の讃え方ではそこまでではありません

無知から(輪廻を維持、強化する煩悩の)奴隷となり、お釈迦様の敵に回った者達、彼らが「本性がない」と言う言葉に拒否反応を示すのは分かります

貴方の教えの大事なお宝を「条件に依って成立する事」と認めつつ、空性という咆哮を拒否するのが私には驚きです

「本性がない事」に導く入口、無上なる「条件に依って成立する」縁起という名前(の教え)で本性を把握されたら、この教えで(錯覚からの煩悩に苦しむ)人を、優れた聖者がよく通る比類無き、仏様が喜ぶ良い道に如何なる方便で導けましょう

本性・無作為・自立した実存であるのと、条件に依って成立する・影響を受けて生ずる・作為の二つがどうして同じ存在上で矛盾なく真の表裏一体となるでしょう

ですから条件に依って成立する存在はいずれも、本来的に元々(その存在の)実体はなく、しかもまた(その能力・特性を持つ)存在として現れるので、全ては幻の如しと言われました

貴方がそのように教えた様に、些かの(異論・反論からの)対立も(その時々の説法が聴衆に見合った)教えに則っていておかしな所が見つからないと言われましたのも、ここにこそ素晴らしく集約されます

何故ならこの教えを解説する事で、見る事・見ない事という有為の存在に対してないのをある・あるのをないとする機会が遠のけられるからです

貴方の説法を無比と見る理由は「条件に依って成立する事」を知る知恵それ自体でその他の教えも正しい認識であると確信が生じるからです

その通りに御覧になられ良く説かれた、貴方に倣い学ぶ方は過ち全てが遠のきます 罪科全ての根本を退けるからです

貴方の教えと共通点がない考え方では、長い間疲れるほど仕えても、次から次へと過ちを呼ぶ込むようなものです、(不変の絶対的な価値・無価値の)実体(があるという思い込み)に依存するからです

ああ、賢者がこれら二種類の考え方の違いに納得したら、その時は心の底から貴方を敬わずにいられません

(楽を得るのに)貴方のたくさんのお言葉はいりません、ほんの僅かな内容にも、大まか程度に確信を得てすら優れた楽を与えてくれます

あゝ、あろう事か私の心は(その大切さに気付かず)愚かにも(煩悩のままにその機会を)無駄にしてきました

これ程の功徳の固まりを、長年に渡って頼りにしてきましたが、その僅かな徳にすら気付いていませんでした

しかしながら、閻魔大王の御前に向かいつつもまだ生命がある間に、貴方を少しでも信頼出来たそれすらも、本当に幸運な事と思います

教主の中では縁起を説かれた方と、知恵の中では縁起を知る知恵という二つは、世間においては勝者の中の王のよう、

特別極めて貴方はご存知で、他の方はその境涯には居りません

貴方が説かれた全ては、正に条件が成立した事をきっかけに、説かれました

それで苦より離れるので、煩悩を鎮める以外の行いは、貴方にはありません

あゝ、貴方の教えを耳にするなら、その方々皆煩悩を鎮めるようになるので、貴方(の教え)に従う方を敬います

全ての(輪廻を断つ手段を説く事で)敵に打ち勝った事、説法が話の前後に矛盾がなかった事、有情に二つの利益を与える事、この(三つを兼ね備える)教えに私は喜びを覚えます

この故に貴方は時にその御身体、またはその御生命、愛する者や財産で、阿僧祇劫の間何度も何度も(自他を大切にするために有情を)支援する活動をされました

その功徳を目の当たりにし、針に掛かる魚のように、御自身の御心よりの教えを、貴方から聞けないという不幸、その苦しみが、愛する子供に母親の心が付き従うように、私の心を離れません

ここで貴方のお言葉を思うと、吉祥なる相好が際立ち瑞光の網に包まれる、お釈迦様の梵音(お声)で、ここではこのように言われたという、心にお釈迦様の(説法の)ご様子が現れるだけでも(煩悩の)熱に浮かされた苦しみに対する(涼やかな)月の光のように癒やされます

そのように驚くほどの良い教えでも、知恵に優れない方は(芝生に対する)雑草のように、(何が縁起の教えかと)あれやこれやと混乱しました

このあり方を見て私はたくさんの努力で賢者に倣い貴方のお考えを何度も繰り返し探究し、

その時自他の様々な教えを説く数多の論書を学ぶと、幾度となく(筋の通らない不合理な解釈で)疑問の網が私の心を(捉え)ことごとく苦しめましたが、

貴方の無上の教えのあり方を、常見・断見という極端な偏りを離れ真実そのままに解釈されると予言された、龍樹菩薩の論書という白(夜)蓮華の園は、無垢の智慧のマンダラが広がり、経論の虚空を妨げなく行く、極端に偏った考えという心の闇を払い、誤った言説という星を圧倒する、吉祥なる月(称)の(入中論などの)よい解説という、白い光の連なりで明らかにされました

恩師の御恩で(ブッダパーリタや入中論などを)見た時に、私の心は安らぎを得ました

(仏様の)行いの中では説法が一番であり、それも縁起の教えこそ一番ですから、賢者は縁起の教えでお釈迦様を追憶して下さい

お釈迦様に倣い得度をし、仏様の教えを怠る事なく学んだ、瑜伽行に励む比丘が偉大な仙人(である仏様)をそのように(縁起で)敬います

教主の無上の教えとこのように出会えたのは恩師の御恩ですから、この善行も全ての有情が優れた恩師に見守られる要因へと回向します

利益ある行いでこの教えも世界が終わるまで、(自他を)傷つける悪い考えという(暴)風に左右されず、教えのあり方を知ってお釈迦様への信頼を得た方で常に満たされますように

条件に依って生ずるというあり方を明らかにされた、お釈迦様の良い教えが全ての転生において、身体と生命も(自他を大事に)支援する活動に使って、教えを保つのに一瞬たりとも怠惰になりませんように

優れた導き手が(全ての有情を大事にするという)計り知れない難行を、徹底的に(修行の)心髄として行い成就されたのを

どんな手段で発展させる事が出来るだろうかと、あれこれ分析して昼夜を過ごせますよう

本当に強い思いでこのあり方に努めたら、梵天、帝釈天、四天王、大黒天など護法神も、気が散るような事なく常に支援をされますよう


インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。