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ツォンカパ大師の「功徳全ての元」 意訳

功徳全ての元(チベット語でユンデン・シルギュルマ)はゲルク派のゲシェである恩師からブッダガヤで授かりました。道次第の「恩師に仕える」から「密教修行」までを短くまとめてますので、覚えやすかったからです。

ちなみにその先生はインドの大学の助教授だったそうで、国からの年金が貰えるからとある南インドの僧院の電気代を支払っておられました。

途中から先生のお弟子方(もゲシェ)が合流され、インドの仏教聖地は危ない所があるからと人気のない朝早くは移動しない事など教わりました。

功徳全ての元 意訳

功徳全ての元である恩師に、(教えを聞き、分析する事で至った価値観)そのまま(考え方とその実践で)仕えるのが修行の根本とよく理解ししっかり努力して、大きな敬意で仕えられますようお加持を

ただ一度得られた時間的・経済的に余裕のある快適な生活環境は、とても得難く貴重なものと知って、昼夜問わず(自他を傷つけず大切に生きるという人生の)心髄を得よう、との思いが常に生じますようお加持を

身体と命は儚く水泡の如くで、たちまち変化するという(不確定な自分の)死を思い、死後もこの身に影のようにつきまとう(大切にした・傷つけたという)善悪の因と(六道の苦楽という)その結果への確信を強く持って、傷つける行為は(どんな)些細なものも離れ、大切にする行為は全て行うよう常に注意深くありますようお加持を

(煩悩と悪習慣を娯楽とする)事で(どこまでも)満足出来ないのが苦しみ全ての元凶、(どんなに最高で思い通りでも)頼りにならない輪廻の完璧さのマイナスを知り、煩悩よりの自由という楽を強く願う心が生じますようお加持を

本物の煩悩よりの自由を願う心に引き連れられた(自他を大切にしているかを)思い出し・(自分の行為を)監視し・(自分の行いに)細心の注意を払って、教えの(実践の)根本である普段からのよい生活態度(戒律)を成就の心髄と出来ますようお加持を

私自身が(煩悩と悪習慣を娯楽とする)輪廻(の深み)に沈んでいるように、母なる有情誰も皆(輪廻という娯楽の深みに沈んでいるのは)同じであると理解して、私達全てがこのループから自由になる責務を(私が)負う、という菩提心の修行が出来ますようお加持を

菩提心を起こしても三種の(有情を傷つけない・有情を大切にする・有情の役に立つという菩薩の)生活態度に慣れなければ、全ての有情を最大限大切にする境地は得られないとよく理解して、菩薩の戒律を強い努力で(理解し)実践出来ますようお加持を

(他に影響を受けず自らの実体のみで主体的に成立するかに)錯覚した存在に惑う心を鎮め、(因果関係か似ているかの共通認識より命名者に名付けられた、その存在以外の影響力で成立している)正しい存在を(能力・特性はあっても実体はないと)正しく分析する(集中力と分析力という)止観を併せ持つ瞑想がすぐにも心に生じますようお加持を

(顕教・密教に)共通する修行に習熟したら全ての教えの頂点に立つ金剛乗(密教)という、有徳な方の優れた入口に余裕を持って入れますようお加持を

その際に授かる(究極と一般の)二種の成就を成す元である、清らかな(密教独自の)誓いや生活態度として説かれた教えに、本心からの確信を得て、私の命と換えても保ち続けられますようお加持を

そして四部タントラの心髄、(無上瑜伽タントラの生起・究竟という)二次第の秘訣を、その通りに理解し努めて、日々四座の神々の瞑想から心が離れる事なく、優れた方の教えの如く成就出来ますようお加持を

そのように優れた教えを説く恩師と共に学ぶ友らが長生きして、外的・内的に(自他を大切に傷つけない事を)妨害する魔の集団からの攻撃をよく克服出来ますようお加持を

何度生まれ変わっても正しい恩師と
離れず教えという吉祥を享受し
十地と五道の功徳をよく極めて、
持金剛仏の境地をすぐに得られますよう

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。