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short stories

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お話集めました。
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#短編

時代のはざまで(小説)

濃紺の遮光カーテンは分厚いのに、外の光を受けて透き通っている。淡く、部屋中が青く染まっていて、まるで海の中のようだ。ぴちゅぴちゅと聞こえる鳥の声は幻想的で、私は自分が夢の中に揺蕩っているような気もしていたし、意識は明晰で何のわだかまりもなくまぶたもひらくので、あっと驚くほど美しい目覚めを迎えているのにも気づいていた。でも、すぐに起き上がるのはなぜか悔しくて、もう一度目をつむる。が、二度寝の余地はな

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千花と夏希(小説)

満員に近い電車から押し出されるようにホームに降り立った瞬間、ねえどこいくの、と声をかけられた。普段だったらそんな声に振り向いたりも立ち止まったりもしない。それでも立ち止まったのは、男の声ではなかったと思うからだ。落ち着いていてかすれているのによく通るきれいな声。わざと行く手を阻むような人の流れと湿度の中で、首をひねる。男か女かわからない中性的で小柄な人物がこちらを見つめて立っていた。まっすぐと、こ

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どうでもよくない人たちへ(小説)

「まごちゃん、肌すべすべなんだね」
一瞬だけ触れた私の肌について、伊多波(いたば)さんはそう評した。車に乗る瞬間、二人のタイミングが合い、座席と座席の真ん中に偏った腕が触れた、その短い間で彼はそう言ったのだから、侮れない。私はふざけて、
「じゃあ触ってみますか」
と言ったら、伊多波さんは素直に腕を伸ばしてきて私の二の腕を柔らかくもむ。以前、平熱が高いのだと言っていた彼の手のひらは温かく、眠いときの

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ひとなつ(小説)

少し寝汗をかいていて、目を覚ましたらもう昼過ぎだった。とはいえ、縁側に面している障子を全て締め切ってしまうと薄暗いこの部屋にいれば、今が朝なのか昼なのか、夕方なのかよくわからない。時計さえもない。昼過ぎだと思ったのは、蝉がじいじいとせわしなく鳴いているし、なんとなく部屋が暑くなっていたからだ。
ゆっくり起き上がり、はだけていた寝巻の裾を直した。浴衣を着て寝るのなんて、こんな田舎だけだと思う。枕元に

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海の恋人(小説)

「せあ」
俺が声をかけるとせあは薄く目を開けてうっとりするように微笑んだ。夜、ベランダに子ども用のビニールプールを出して海水を入れては、せあを浸して月光浴をさせている。するりと手触りの良い足を折り畳み、できるだけ海水に浸るように。めっきり体の色が薄くなってきて、骨格や内臓が透けて見える。月の光りはほの青く、せあの肌をより病的に見せた。肌よりも白い骨の奥で動くもやがかかったような赤いものがとくりとく

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マチルダのこと(小説)

マチルダのこと(小説)

 マチルダは、苗字が町田というので自然とそんなあだ名がついてしまった。少なくとも、俺は小学校の低学年のころはマチって呼んでたけど、五年生のときにはたぶんマチルダって呼んでたと思う。周りも大体一緒で、小学校も中学校も小さな規模の一校だけだったし、高校も隣町の中堅の高校に大体みんな進んだから、マチルダのことを知ってるやつは、男でも女でも大体マチルダって呼んでた。中学校の、英語のアシスタントしていたアニ

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さくらのよる(小説)

「桜は好きだけど桜が散った後は気持ち悪くて、遠目で見るのも苦手。桜の花びらが散ってしまった後の枝には、赤茶けたがくの部分が残っていて、それがぶわりと密集していて、美しいあの薄桃色の花びらで隠していた汚い部分が一斉に露見しているみたいで気持ち悪いだろ」

と佐倉は言った。あんたと同じなまえじゃん、と私が短く言うと、俺は「さくら」じゃなくて「佐倉」だからと微妙に発音を変えてもらえますかねと面倒な感じで

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思い出の思い出(小説)

「私、ちょっと散歩してくる」

荷解きをする旦那と義母を残してふらりと家を出た。手伝わなくても文句を言わないので助かる。四月も目前に迫った春の午後、肌寒さの中にもたつく湿度を感じる。空は花曇りとでもいうのか、薄い鈍色に光っていた。スウェットパーカのジップを首まで引き上げて、鼻をすすった。去年は感じずにいたむずがゆさが鼻の奥、咽喉の上でうごめいている気がする。今年から花粉症になったかもしれない、と、

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ふるえてなんかない(小説)



恵(けい)君は、私の友達の中にはいないような、髪の毛の色をしているけれど、美容師と聞いて納得した。いつも人懐こい笑顔を浮かべていて、物腰もやわらかい。初対面のときは白に近い金色の少し長めの髪にパーマがかかっていたのに、今は赤に近い茶色で長さもすごく短い。そんなに色を変えてばっかりで髪の毛大丈夫なの、と聞くと、大丈夫、親父は禿げてなかった、といって笑った。目元にあるほくろをこするのが癖らしくて、

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