大丈夫なわけがない

大丈夫ですか、と問われて、大丈夫なわけないです、と答える人はどれだけいるのだろう。大体の人が大丈夫です、と答えるに決まっている。大丈夫ですか、という問いかけにも、大丈夫です、という答えにも、言外の意味が多すぎて、私はいつも「大丈夫ですか」とか「大丈夫です」とかいう言葉に白目をむいてしまう。

昨日、ふとした不安を恋人に吐露したら、予想だにしていなかった回答が返ってきて心ががつんと殴られたように、ぶるぶると泣き始めた。それはもう、ぶるぶると。正確にいうのであれば、半分半分の割合でなんとなく予想はついていた回答だったし、私の恋人であればそう答えることも想像できたし、でも、私はもう半分にかけてみたかったのだが、でも、結局予想された半分の回答を、私に投げつけた。本人は、軽いキャッチボールのつもりだったのかもしれないが、私には、ただのガトリングガンだった。私の体は瞬殺、穴だらけになって、この寒空ではひゅうひゅうと北風が吹きすぎていく。内臓がずいぶん寒い。浮かない私に、彼は「大丈夫?」と声をかけたが、私は「大丈夫だよ」と答えた。言外の意味を含ませたかどうかは、自分でもよくわからない。

隣の席の後輩は、恋人とうまくいっていないらしい。一時間の昼休憩の中で、どうにもならない息苦しさを、マスク越しに話してくるから余計に息苦しそうで、不憫だった。私はとくに建設的なアドバイスができるわけでもなく、溝は埋まらないから、浅くすることに努めるしかないのかもしれない、などと謎めいたことを言ってしまった。大丈夫か、と、声をかけることはできなかった。後輩が「大丈夫じゃないかも」と、ストレートの言葉を放ったとき、それを受け止める言葉を私が用意できていないから。

大丈夫なわけがないのだ。人と人が生きていく中で、大丈夫なことなんかほとんどない。でも、みんながみんな、おまじないのように「大丈夫」と口にする。大丈夫なわけがないのに。