ぶどう色の夜

午後7時、会社を出た。駐車場が離れているので、暗い敷地内を歩いていると少し離れたところできゃあきゃあと子どもが騒いでいる。こんな時間に、と思ったら、会社近くの市営プールで水泳教室を終えたらしい子どもたちと、迎えの母親が歩いてきた。会社とプールを隔てるような道を横切って走っていく。会社の反対側には公園があって、そっちに走るようだ。母親はさして必死になるでもなく、「もう帰るよ、そこまでいかないで」と声をかけていたがその必死でもない感じが声にでており、子どもは私の目の前を走って行った。すっかり疲れて何も考えていなかったので、とぼとぼ歩いていたけれど、子どもの声を聴いたらわずらわしく、彼らの後を追う母親たちの行く手を遮るようにゆっくりと歩いた。お前たちに文句を言う権利はない。急に粗雑な自分になる。会釈もしなかった。涼しい夜だ。急に秋めいた。

昼間、電話に出たら同業者からの電話で、なんだかよくわからない嫌味をくどくどいわれて、最終的には「みなもとさんはそういう人間だったんですね」と根拠不明の暴言も飛び出て、私は始終、へらへらと笑っているしかなかった。秋の風に吹かれながら、私はなんと答えたらよかったのか考えていたけれど、風があまりにも涼やかで悲しいので、答えはどこにもなかった。

駐車場につき、携帯を見ると、夫から今日も遅くなるので先のごはんを食べてほしい旨の連絡があった。今日の夕飯はじゃあ先に私一人で食べよう。面倒だから簡単に済ませようか、ホワイトシチューを作ろうと鶏肉を解凍したことを思い出してもうシチューだけでいいや、と思う。ここ最近、天気がよくなかったから洗濯物がたまっているのでシチューを作っている間に洗濯機を回して、乾燥は近くのコインランドリーですませよう。浴室乾燥機がついているけれど、量がおおいからバスタオルが十分に乾かないから夫が嫌がる。私も生乾きのバスタオルは嫌いだ。夫はどうせ遅いから、コインランドリーに回収に行ってもまだ帰ってこないだろう。

エンジンをかけ、走り出す。急に涙があふれてきた。
ああ、私、生きていかないといけない。こんなに綺麗で涼やかな風が吹いている夜だって、あんなに嫌味をたくさん言われたって、粛々と、独りでシチューを作って独りでたくさんの洗濯物をかかえて誰もいないコインランドリーに行って独りで持ち帰って独りで自分の作ったシチューを食べて独りで夫を待って生きないといけない。
こんなに悲しくて、さびしくて、なのに意味があることの名前を、私は知らない。

疲れ果てて帰ってきた夫が、私の服装を見て「ブドウみたい」と言った。紺色と紫色とベージュのボーダーニットを着ていたのだ。そういえば、昼間もすれ違う同僚たちに「なんか秋っぽい。ブドウ?」と言われたのを思い出した。シチューを温めながら「そうかな」と返すと、彼は「そうだね。ブドウちゃん」と言って風呂に入っていった。
シチューには、彼が好きな人参をたくさん入れた。私はそんなに好きじゃないけど、私が悲しくてさびしい夜には彼には温かな気持ちでいてほしい。コインランドリーで乾いた、ふかふかのバスタオルを使ってほしい。
私の悲しさもさびしさも、誰かのためにあるのだと思いたいのだ。

網戸にした窓から、秋の夜の風がずっと、カーテンを揺らしている。