エナメルの靴

ひょんなことで地元の大きな病院に行った。日中、まだ新しい病院は混んでいて、いろんな年代の男女がみな呆然としたように待合室に並んでいる。まだ少し寒いからか、厚手のコートを羽織る人が多く、みな一様に暗く落ち着いた衣服を身につけていた。マスクをしてうつむいている。皆がみな、体のどこかに不調をかかえていたり、病魔におかされていたりするのだと思うと、気が滅入る。穏やかな気持ちになるようになのか、生成りのカーテンやクリーム色のソファ、木目調のドアなどが全て空々しく感じてしまう。できすぎた清潔さは他人行儀で、見たくもない現実を突きつけてくるようだった。こんなところで、生死が決まるようなことがあるのは、どうも腑に落ちないと思ってしまう。
周りの人や、診察をする医師の顔を見るのが怖くて、例にならって私も結局は俯きがちになってしまった。下を向くと履きふるした、エナメル製のウィングチップシューズが目に映る。安かったわけでもないが、いい靴でもないので、二年も履けば細部が傷んでいる。清潔なリノリウムの床の上では、それがよく目立っていた。そうか、靴を買おう、と、思い立った。

思い立ったので、仕事帰りにショッピングセンターに寄ったが、大して惹かれる靴もなかった。本当はストラップのついたセパレートパンプスが欲しかったが、シンプルでオーソドックスなものがなかった。ごてごてした装飾があったり、必要以上にストラップがクロスしていたりする。そういう靴を履くと、足元がぐらつきそうで手に取ることもしない。歩くことは、まるで生きていくことなのに、こんなに心もとなくては気づいたら転んで、歩けなくて、死んでいるかもしれないと思う。
靴屋をブラブラとしていたら、子供用の、エナメルのストラップパンプスを見つけた。黒、白、赤、ピンク。15cmもないぐらいの小さな靴を見たら、昔お気に入りだった、似たようなパンプスを思い出した。保育園の頃だ。ピアノの発表会のときにだけ履ける靴。黒いストラップパンプスだった。エナメルの生地が硬くて、歩きづらかった。でも、足がしっかり固定されて、ステージのスポットライトで輝くその光沢が誇らしかった。紺色のワンピースに、白いレースのついたショートソックス、そして、エナメルのパンプス。あの時、私は無敵だった。

あれからもう20年は経った。
あんなに上品だと思っていた、たまにしか履けなかったエナメルの靴は、今や仕事で履き潰してしまう。靴べらを使わないで脱いだり履いたりするから踵も不格好に潰れている。何足か持っているエナメルシューズのうち、変わらぬ光沢があるものはほとんどない。職場のホコリで薄汚れている。

エナメルの靴を履けば、無敵だと思っていた頃には、到底戻れない。そんな靴を履いていたことすら意識に上らないほど、大人になった。無敵だったエナメルを履いていることに気づくのは俯きがちになったときだけだ。今は、もう。