おもちゃ箱の中

ぱっと顔をあげたら、ずいぶん近くて低いところに月がある、しかも満月だ、と思ったら、自分の車のヘッドライトに照らされた、通学路の道路標識だった。あんな低いところに月があるわけがない、と愛車を走らせる。
仕事が少し遅い時間に終わり、ちょうど同じタイミングで仕事が終わったらしい恋人のもとへ向かっていた。

部屋につき、何か適当につくろうか、と言ったが男やもめにまともな食材はなく、新玉ねぎと新じゃがいもと春キャベツがそれぞれ少量ずつあった。ろくに料理もしないくせに、すべて季節のものというのが笑える。いつだかに私がかっておいたにんにくと赤唐辛子があったので、オリーブオイルでいためて、ペペロンチーノ風にした。うまいうまいと口に運ぶ彼を横目で眺めながら、私は二、三口だけ食べた。実家住まいの私は、彼にごはんを作って帰るだけだ。
しばらく二人でぼーっとテレビを流れていた。十時を過ぎると、ばかな女たちのとんちきな恋愛模様のドラマか、ワイドショーよりはまともなニュースばかりやっている。彼はザッピングをとめ、痛烈な政治批判をしたキャスターが、野外にいる天気予報士に呼びかけるのを見ている。春とはいえ夜は冷える。キャメルのトレンチコートにカシミア風のストールをした若い女性の天気予報士は求められるがままの笑顔を浮かべていたが、ひきつって見えた。
「帰るね」
「うん、ありがとう」
恋人は私の頭を二度撫でた。

家に帰りつくと、なんだかどっと疲れてしまい、夕飯を食べる気力がわかない。母は味噌汁を温めてくれていたが、断って、小鉢に盛ってあったお浸しだけを食べた。父が隣のリビングで、さっきのキャスターが芸能人の訃報を伝えるのを見ていた。政治批判をしていた険しい表情でもなく、天気予報士に呼びかけた晴れやかな表情でもなく、まゆを顰め、瞼をおろし、芸能人の名を呼ぶのも辛そうだった。その芸能人は、母が楽しみにしていたドラマの主人公でもあったので、「亡くなったんだね」と母に言うと、「そうなんだよ」と無表情で答えながら、私が空けた小鉢を片付けていた。

自室のベッドに転がると、もう何もしたくなくなる。少し前に恋人に帰宅した旨を送ったが、そのメッセージに既読はつかない。帰ったら送れと言ったくせに、と、毒づくか、その毒を送る気力はない。なかなか温まらないエアコンの稼働音だけが私を満たしていく。あー、と目を覆うと、自分の指から恋人の家で切ったにんにくのにおいが漂う。

月に見間違えた道路標識、恋人の手のあたたかさ、キャスターの笑顔、亡くなった芸能人の写真、私が食べなかった母の味噌汁、車のブレーキ、携帯のバイブレーション、テレビを見る父の横顔、オリーブオイルのにおい、沈んでいく身体。

すべてのことが私を縛り付けている。こんなにも自由に、どこにでも、いける身体を持っているのに。ふと、おもちゃ箱のようだ、と思う。おもちゃは、自由に遊べるものなのに、おもちゃ箱にいれられるとごちゃごちゃとした色彩の中で、窮屈に押し込められる。自由なのに、抑圧されている。
私は生きているのだろうか。生きている。当たり前だ。でも、生きているのだろうか。自由だ。息苦しい。飛び立ちたい。動きたくない。ごちゃごちゃとした一切合財を捨てることはできない。捨てようとも思わない。でも、何も持ちたくないし、何者でもいたくない。私は私でいたいのだ。

携帯がブルブルと震え、着信画面に恋人の名前がうつっている。通話するか迷っているうちに、エアコンが温かな風を送り出す。にんにくの香りがする指を、通話の方へスライドさせた。