悲しみなんて自分ひとりで癒すものさ

友人の中でもわりかし親密な友人の誕生日があったことをうっかり忘れていて、急いでメッセージだけを送った。私はもうすでに三十路の洗礼を受けて身体がボロボロです、と文字を打って、なんだか本当にその通りすぎてちょっと悲しくなってしまったので送るのを少し思いとどまった。
最近は病院ばっかりかかっていて、毎朝昼晩と薬を飲んでいる。食前と食後。しかも塗り薬もあるし、歯科にもかかっているので今日は麻酔を打ったので2時間ぐらい唇に自由がなかった。
そういうことを考えるとどっと疲れる。何に疲れているのかはよくわからないけれど、確実に身体が死んでいくのだなということが無性に、悲しい。

先だっての台風で、また大きな被害が色々な場所で起こり、途方に暮れる人がテレビに映っている。茶色く染まったアスファルトや家屋、見たことのない色の河、横にしなる木々、ひっくり返って沈没した車のヘッドライト。濁流の中で孤立した家のベランダからタオルを振っていた逃げ遅れた人。その人数を数えるアナウンサーとコメンテーター。
全てが流されて、見通しの良くなった古く立派な家を見て泣き崩れた人がいた。涙を必死に拭い、テレビに向かって自然災害だから仕方ない、仕方ないが、自分が生まれ育った家だった、と、彼女は言った。そうしてもう、言葉を発することはなかった。
そういうことばかりの世界で、私は家でアイスをほおばってテレビを見ている。そういう、泣いている人を見ている。信じられないことだ。世界の二面性というか、矛盾というか、そういうことに胸を痛めるとかではなくて無力な自分が情けないとかではなくて、ただ気味が悪くて恐怖を感じる。泣いた人はそんなつもりは毛頭ないのだろうが、あの涙に責められているような気がして、そんな気がする自分の気持ち悪いほど強い自意識や被害妄想に恐怖を感じる。
台風に備えた方が良い、という、連日のニュースのせいでか、台風前日の金曜日、たまたま買い物によったドラッグストアのレジには長蛇の列ができていて、ひどく悲しくなり怖くなった。いつもはこんな時間、閑散としているのにと、入口で茫然と立つ私を、何人もの客が追い抜かしていった。
何も買わないで、帰った。
と、ここまで書いておきながら別に台風のことが書きたいとかではない。
ただ、ひどく悲しくて恐ろしくて気味が悪かっただけだ。

職場が少し涼しくなってきたのに汗をかいてしまうとか、他人についてすぐにかみついてしまうとか、正義の仮面をかぶって誰かをいじめることを楽しんでいる人を見るのが楽しいとか、いつまでたっても自分が一番じゃないとつらいな、とか、そういう実際起こってみると書き起こすことのほどでもないのだが、いつまでも心の凹凸に引っかかっていて流れていかない物事がちびちびと起こっていて、私はもう怒っていいのか泣いていいのか笑えばいいのかわからない。
わからないな、もう疲れた、と、一人ソファにもたれかかっていたら、渡辺美里のMy Revolutionが聞こえてきて、まるで他の部分なんて歌ってないみたいに「悲しみなんてじぶん一人で癒すものさ」だけが耳に飛び込んできて、結局一人で泣いた。

悲しみを自分一人で抱えろとか、一人で立てとか、そういうことを思うわけでもないし、誰かに癒してもらえる悲しみもあるだろうし、分け合える悲しみもあるんだろうけど、でも、やっぱり自分の心の奥底で、その根底と、その根幹と向き合わなければやはり本当の癒しにはならないのだろうし、心の中は自分だけの世界になる。

結局友人には、三十路で身体はボロボロになりますが、あなたの幸せを祈るぐらいには元気です、と送った。

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みなもとはなえ

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Letter to ME

自分へ送る日々の備忘録(その2)
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