正気を保つ狂気

息がしづらいな、と思うともう遅くて、自分が見えない壁に囲まれていることに気付く。最初から、壁はあってその隙間をうまい具合に見つけたり隙間が広かったりして通り抜けていたはずが、ふと目を放した隙に呼吸の仕方を、壁の隙間を通る方法を忘れてしまう。忘れてしまうと、壁を呪うしかない。どうして私の前に立ちはだかるのですか。私が何か悪いことをしましたか。無機質な壁に、私は狂ったように向き合って問いかけ続けている。でも、ふと、これは壁であそこに隙間があるのだ、と思うと、今までの狂乱的な気持ちが嘘のように消え去って私は気付けば平然と息をして歩いている。それはもう、自分が戸惑うぐらいに平然と。

壁は、いろんなものだ。私とともにいてくれる友人や後輩や恋人や家族だったりするし、仕事のことだったり、人生のことだったり、ここに私がいるという概念だったり、それはもういろいろだ。ただ、大抵、私以外の他人という要素は切り離せなくて、対人関係はいつだって私の前に立ちはだかり続けている。
考えなければいけないことも、考えなくてもよいことも、私の周りにうずたかく積まれて壁になって、ふと焦点を合わせた瞬間に責めたててくるようだ。そういう中で、私は私なりに、正気を保とうとする。真面目に、どんな壁にも向き合いたいと思う。だけど、正気を保とうとすればするほど息ができなくなる。いっそ狂ってしまえばいいものを、狂ってしまえたらいいものを、私は私を見失いたくないために、狂ったように壁に向かい続けている。問い続けている。それは、でも、ある種の狂気なのだろうけれど。

バカと天才は紙一重というけれど、正気と狂気だって紙一重なのだろう。壁に真面目に向かっている私は、壁から見たら気が狂っているただの女に見えるのかもしれない。