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独立してからもうすぐ3年経つので振り返ってみる(3)

毎日、記事執筆を継続していきたいと思っていたところだったが早速別の仕事が忙しい影響でサボってしまった。少し自身にショックを受けながらもこうして辞める事なくまた再開できたのでひとまず安心だ。

前回では、転売業での稼ぎ始め、更に融資を得て少し生活にゆとりが出てくるまでの話をさせて頂いた。ここで、普通の起業家であれば更に稼ぎを増やすために尽力していくのだろうが自他共に公認の普通ではない私は全くお金にならない事を始め結局一円も稼ぐことはできなかった。

今回は、その時のエピソードを話したいと思う。何をやっていたかというとオリンピック競技の応援活動だ。

有名人にあやかりたい下心丸出しの一心で始めた活動

なぜオリンピック競技の応援活動を始めたのかと言うとそれは簡単で有名人と知り合いになり仲良くなりたいという下心満載の理想があったからだ。

元々は、オリンピックは関係なくyoutubeなどで知り合いをゲストに呼びその知り合いが次回のゲストを呼ぶ「テレフォンショッキング」のタモさん方式で有名人と知り合いになれないかと考えていた。

丁度、私が独立して1年経った頃の2019年の年は特にyoutubeに注目され話題になる事も多かったので私もそこに乗り掛かる事ができないかと考えていたのだ。

転売の先生もyoutubeをやった経験があったらしいのでタモさんのテレフォンショッキングをオマージュした事をやりたいと伝えたら見事に反対された。

私は、捻くれ者なので人に反対された時に素直に聞くことは無いのだが、一応考えてみるとその2019年は東京オリンピック前年だったので東京オリンピックにあやかれば一気に有名人と知り合いになれると思ったのだ。

1年後に有名人と談笑している自分自身を浮かべながら私は活動を始める事となる。

とりあえず始めた渋谷での声かけ活動

活動といっても何から始めて良いのか分からなかった私は、まずはツイッターのフォロワーを集めることから始めた。

同じ系統の人であれば自分からフォローしにいけば大体フォローを返してくれるのでそれをただひたすらに繰り返すのと毎日投稿をし続けた。

後はリアルの方でもフォロワーになってくれる人を探すため渋谷のハチ公前で声かけの活動もしていた。イメージはフリーハグのようなものでスケッチブックを持って声をかけにいきオリンピックへの応援メッセージを書いてもらっていた。

今も当時も変わらずこの活動はかなりイタイと認識はしている。ただ、人に応援されたりフォロワーを増やして人気者になっていくにはイタイ活動を直向きにやり続けなければならないと考えていたので続けていた。

実際にやってみると案外声かけ自体はでき1日で5人ぐらいの人からメッセージをもらう事はできた。寒い時期だったのでホッカイロを先に渡し断りにくくさせてから本題を切り出す作戦もとったりしていた。

しかし、やっている最中は知り合いに遭遇しないか気が気ではなかった。特に前職の会社は渋谷にあったのでかなり挙動不審になりながら知り合いに似ている人がいたら隠れる準備もしていた。

結局この活動は2週間ぐらいで辞めてしまった。こういう活動を長く続ける事ができればsnsで人気者になれるのかもしれないが、人の目を気にし過ぎている私はかなりストレスとの戦いになるので向いていないことだけは分かった活動だった。

オリンピック競技の紹介動画を作成しゴールした気分になり活動終了

リアルな活動だけではなく私は競技の紹介動画も作成していた。最初に目をつけたのはフェンシングで競技者の数が少ないにも関わらず太田会長の影響でメディアにも触れる事が多かった競技だ。

私はフェンシングに便乗しようと大会が近くであれば実際に会場に赴いたりしていた。そこで思ったのがフェンシングのルールのややこしさだ。マイナーな競技は競技をしていない者が触れる機会も少ないので細かいルールが分からなかったりする。

特にフェンシングは難しいルール内容だ。フェンシングの中でもエペ、フルーレ、サーブルと3種類の種目に分かれ、それぞれの得点の仕方が異なる。それに動きも早すぎるので始めて見た時は正直何がどうなっているのか分からない部分も多かった。

そこで、紹介動画の作成を試みた。簡単なルール説明や各種目の注目の日本選手やメダルの可能性など、動画作成やフェンシングについては素人ながら始めて見た方が分かりやすいよう心掛けて作成していた。

いざ、作成した動画を公開しTwitter上に上げてみるとなんと太田会長も反応してくれ、フェンシング界のトップ選手たちも一部フォローしてくれるようになったりした。

とても興奮したのを覚えている。ここで私はこの活動に達成感を感じて半ばゴールしたような気になってしまった。そして、この小さな成功体験がまた私を新しい事業の方向へ動かしてしまう。


教科書で伝えられている昔の偉人を動画で紹介する事ができたらビジネスとして大きな物になるのでは無いかと考えてしまったのだ。

私は元々、名言などが好きで過去の偉人や哲学者などに注目していた。正直、オリンピックとは全く関係が無かったが気持ちがこちらに向いてしまいオリピックの便乗活動は終わってしまった。

かと言って偉人紹介も一人の偉人を紹介する動画で3週間以上かかってしまい、これはビジネスとしてやっていくのは現状の自分では不可能と考え辞めてしまった。

オリンピックの便乗活動を始めてから偉人の動画を辞めるまでに約半年。この間この活動で一切のお金を稼ぐ事なく寧ろお金をかけてしまっていた活動だった。側から見たらいい加減でひどい状態だったろう。私もそう思う。

そして、この頃あたりにお金を稼がなくてはならないと思い丁度前職からの業務提携依頼を受けることになる。

まとめ

以上が私のオリンピック便乗活動のエピソードだ。この活動によって行動力や動画作成のスキルなどは多少身についたと思う。将来使うかは分からないスキルを得た代わりに失った代償は少なく無かったが…

この期間は普通に月の利益より生活費や活動費が上回ってしまうこともあったため融資で得たお金をただ食い潰してしまっている時もあった。

本当に今思うとお金に面に関しては気をつけるべきだと言いたいが、人の話を聞く気が無い私は例え未来の自分からの助言であっても聞くことは無く同じ結果を招いていたであろう。

そうして半年程経ち金銭面での焦りを覚えた私は、たまたま連絡があった前職の業務提携を受ける事になる。次回はその業務提携でのエピソードを記載していきたいと思う。


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