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独立してからもうすぐ3年経つので振り返ってみる(1)

あと3ヶ月で独立してから3年経つ。私はフリーランスいわゆる個人事業主なので会社を設立しているわけではないが起業してから3年後の生存率は50%らしい。

つまり、2人に1人脱落するレースを何とかまだ走っていられるという事だ。この過酷なレースを私が走り続ける事ができた理由を3年経った機に振り返って見ようと思う。

ちなみに私は決して突出した才能があるわけでもない。私と同等以上のポテンシャルを持つ人は数えきれない。そんな私に共感してもらえる人がいると嬉しく思う。

貯金ゼロの独立、下請けの下請けで何とか生き延びる

新卒で入社し独立を決めてから3日後に社長に伝えその翌月には会社を辞めることになった私には当然貯金も全く無く寧ろ親に借金をしていた。

会社を辞める直前、そんな私に大学の後輩の知り合いが仕事を紹介してくれる事になった。

その大学の後輩は在学中にホリエモンに影響を受け一足先に起業をしていた。当時は起業とネットワークビジネスを同等に考えていた私は「頑張れよー」と言いながらも悪い意味でヤバい道で落ちぶれて行くんだろうと半ば見下していた。

ただ、私が独立を考える頃には後輩の彼が一足先に起業レースを経験し生き延びているという事で尊敬の念しか抱かなくなっていた。そしてその後輩に人を紹介してもらい仕事を貰う事ができた。

自身の虫が良く愚かな様に軽く失望もしたが、とにかくお金がなく藁にもすがる想いの私は彼から紹介してもらった人物から仕事を受ける事になる。

仮想通貨のメディア運営で常駐を経験 - 想像を超えた業務で動けない私


独立した直後、私は後輩からの紹介者であるTさんに仕事を紹介して頂く事になった。内容は仮想通貨のメディア運営。当時は1ビットコインあたり200万円近くなっており仮想通貨がブームになっていた。

その運営を常駐、つまりクライアントの会社で業務をするというものだった。私は元々会社に在籍中Webサイトを運営した経験があったので何とかなると思っていた。

しかし、会社に在籍していた際には一人でWebサイトを運営していた私にとって想像と現実は大きく異なるものだった。

その会社ではメディアを運営するのにフリーランスを雇い大量の記事を書き更新していく。私が与えられた役目としてはそのフリーランスに指示を出し大量の記事を更新していく事だった。

いわゆるディレクション業務で求められるスピード感がまるで違った。ましてや仮想通貨の知識はゼロ。私一人でクライアント先に常駐しているのが非常に辛い状況となった。ひどい時はただパソコンでページを行ったり来たりしているだけとなった。

ここで私は同じページを何度も開いては閉じを繰り返しながら「思考停止すると人間って本当に動けなくなくなるんだなー」と思った。

クライアントと雇先が揉め始め、ますます気まづくなる

思考停止しながらもクライアントの会社に通い続けていたが、そんな私の傍ら、何とクライアントと私の雇先が揉め始めた。

当時は定期的に会議を開いて現状の報告や今後の方針をクライアントと雇先と私で打ち合わせていたのだが、ここでクライアントの方が思うように仕事が進んでいないからディスカウント(減額)したいと申し入れてきた。

確かに半ば私に丸投げ状態で進むスピードは少し遅くなってしまっていたが、クライアントの方も契約時の内容と話をすり替えている部分が多々ありどちらの過失が大きいかは判断が難しく小さくなる私の横でどちらも一歩も引かないデットヒートを繰り広げていた。

結果的に当初の契約期間より短くなる事で和解する事になったが、残りの期間も常駐するのは私。語彙力のない私は心の中で「まじかー」とただひたすらに繰り返していた。

その後も通い続ける事1ヶ月、やはりクライアントからは雇先の文句や時には私にも文句が降りかかってきた。こうして独立後、最初の走り出しは小さいストレスを無数に抱えながらも何とか走り切る事ができた。

ちなみに余談としてのエピソードだが、クライアントの社長が私に対して「雇先は中途半端な形で抜けて自分のケツも拭けてないですね」小言を口にしており、それに対して苦笑いして返す私。

丁度、同じ日私がふとトイレにいくと臭い匂いがする。そこには流し忘れられたウンコが。その直前に入っていた人を思い出す。社長だ…今社長に言いたい「あなたは自分のウンコを流せていなかったですね」

まとめ

以上が、独立後最初に取り組んだ仕事だ。右も左も分からずただ人の言う通りに動いていたその様は決して独立したと言えない程だった。

結局、途中終了する形となった案件だったが規模が小さい中での取引は相手から以下にお金を取るか取られないかになりやすそうだとたった1件しかやらないにも関わらず思うのだった。

そして、終わった時に下請けの仕事ではなく自身で稼げる仕事にいこうと決心するのだった。次回、「転売でお金と引き換えにストレスからの開放」に続く。

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