劇場 第二稿


 劇場の観客席にはさまざまな人種が集っていたが、その日はなかでも注連縄人たちの姿が目立った。
 彼らはねじれた手足を地球製の小さな椅子に押し込めて、同郷のスターであるアケミさんの出番が来るのを礼儀正しく待っていた。
 その頃になると劇場の客席に地球人の姿を見かけることは滅多になかった。ほとんどの地球人は、すでに内地へ引き揚げてしまっていたからだ。もともとは地球人の手によって建てられた劇場なのに、その頃には異星人たちによる異星人向けの演目ばかりが舞台の上にかけられていた。
 ぼくの家族は、引き揚げの順番を待って住宅街でつつましやかに生活していた。父は銀行に勤めていたので、敗戦後の処理や新政府への引き継ぎ仕事で毎日が忙しく、ほとんど家に帰って来なかった。
 一家を切り盛りしていたのは母で、彼女は洋裁を趣味にしており、家には地球から運んで来た布生地がたくさんあった。そんな母の腕前を伝え聞いた注連縄人や箒人の婦人たちは、珍しい地球の生地でつくったドレスを手に入れようと、謝礼となる地球の貨幣や生活用品をたずさえて、母のもとを訪ねて来た。
 注連縄人たちのスターであるアケミさんもそのひとりで、今日ぼくは母の使いで、出来上がったばかりの赤いドレスをアケミさんの楽屋へ届けに来たのだ。
 「これから。うたう。ある。あなた。みていく」
 とアケミさんは協和語を使って言ってくれて、アケミさんの厚意に甘えてぼくはひとり、劇場の観客席に孤独な地球人として座っていたのだ。
 久しぶりの劇場だった。もっと幼かった頃は、饅頭星でただひとつの劇場であるこの客席に、両親に連れられてよく座っていたものだった。映画や歌舞伎、相撲の興行も観たような記憶がある。演目のことはほとんど何も覚えていないが、当時は地球人で満席だったその観客席に張りつめる、期待に満ちた緊張感を味わうことが、ぼくはとても好きだった。
 そしてその日も、客席には注連縄人たちの興奮が充満していた。ぼくの気分も昂揚し、大変楽しい心持ちがした。
 アケミさんが舞台の上にあらわれる。母が縫った赤いドレスを身につけている。手足がねじれていることを除けば、まるで地球人の女優のようだ。
 客席からは注連縄人たちが、重低音で喝采している。
 「こにちは。いらっしゃい。ありがとう」
 マイクを通してアケミさんが協和語で言う。
 戦争が終わってもまだ、協和語は饅頭星のいたるところで使われていた。
 そもそもは地球人によって考案され、使用を強要された協和語だったが、そのうちにこの星に住む人々の間で、それは自発的に使われるようになった。さまざまな民族、人種が集まるこの星では、共通して使える言語としての協和語がその頃まだ必要だったのだ。
 「わたしの。ほしのうた。うたう。ある」
 照明が落とされて、アケミさんの歌がはじまる。地球人であるぼくに、その歌声はまるでモーターの駆動音のようにしか聞こえないが、客席は沈黙し、アケミさんの歌に聞き惚れていた。
 歌が終わると、喝采の中で舞台の上にセットが組まれ、注連縄人の俳優たちによる寸劇がはじまった。いまにして考えてみれば、それはきっと伝説的な「タルタル・フォリーズ」による舞台だったはずで、客席の注連縄人たちが翅を震わせるような大きな音で爆笑していたことを何となく記憶している。だが芝居の内容となると、ぼくは全くと言って良いほど覚えていないのだ。もっとしっかりと見ておけば良かったといまは思うが、当時まだ十四歳だったぼくには、注連縄人たちの芸術的コメディ・センスを理解できるほどの教養は無かった。
 ぼくが覚えていることは、その時舞台の上で行われていた芝居の中身ではなくて、芝居の途中で突然となりの席に座り込んだ天婦羅人のことだけだ。
 「グ  バリ ギュ   ブル」
 天婦羅人は協和語ではなく彼らの言葉でそう言うと、固い手のひらでぼくの左手を握ってきた。怯えたぼくは、「ことば。わからない。ある」と協和語でそう言ったが、彼はさらに力を入れてぼくの手を握り、「ギュ  テラ ズ」などと言った。ぼくの手の甲に、彼の手のひらの衣のような突起が当たって痛かった。彼はそのごつごつした顔を近付け、天婦羅人特有の体臭にぼくは咽せた。彼の手のひらから、じわりと脂が分泌された。
 ぼくは彼の手を振り払うと、うしろを見ずに劇場を逃げ出した。
 劇場のロビーから出口に向かう通路で、背後に響くくぐもった注連縄人たちの笑い声を聞いた。
 手の甲についた天婦羅人の脂がとても気持ち悪くて、はやく洗い落としたかった。
 ぼくが劇場を飛び出すと、街はいつものようにやかましく、いつものように夕暮れだった。

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