ドリームハイツ(15)


 再帰するサスペンス。これは神話である。人物は皆ひかりを浴びて佇んでいて、ねこは炬燵でまるくなる。大通りには黄色いくるましか走れない。下水道の安寧秩序。律法は忘れ去られ、駄洒落だけが流行る世間の荒波を、いまひとりの聖者が正義を求めて歩みを進める。
 縮れた頭髪は禿げ上がり、頬は白い無精髭にまみれ、身体には古布を巻き付けただけで裸足の足下。いかにも聖者然としたその姿かたちはまるでコスプレ。しかし予断は禁物である。彼こそは本物の聖者であり、厳格な求道者であった。
 男の名は反語郎。彼こそは誰あろう、あの言語郎があなたがたの知るこの世界に現出せしめた、彼自身の分岐した姿であった。
 神の自由を知ることで、ついに己が自由に生きる術を獲得した言語郎は、あのむかし若かったがいまはもうそんなに若くない王との面会の最中に、神が選択できるあらゆる可能性に向けてほぼ同時に分岐を開始した。科学と信仰を遍く世に知らしめるため、彼は幾通りもの可能性に対して同時に対応することにした。それはあの王が言った通り、言語郎にとっての世界の知り方が変容することでもあった。たとえば、いまこの文章を書いている私にしてからが、言語郎が分岐したひとつの姿なのである。だから私は数多の可能性を同時に認識することができるし、反語郎という聖者の存在が言語郎の分岐した姿であることをこうしてあなたがたに伝えることができる。今やわたしたちにとって、世界は真実の姿を取り戻したと言っても良いだろう。わたしたちは、つまりあなたがたは自由を獲得したのだ。よろこび、そして讃えたまえ。あの老科学者の言語郎を。
 そしていま、あなたがたのよく知る神殿に向かう参道脇の小さな食堂。建て付けの悪いその古びた引き戸を、反語郎は大きな音をたてて引き開ける。
 店の中にはわたしたちが知っているその通り、手乗り男とその妻と、うどん女に豚女、五千円札を手に持ったまま固まっている食堂の店員、そしてバルゴンの目をもつあのモノトーン男が立っていて、皆一斉に店内へ入って来た反語郎のほうへ視線を向けた。
 「やっと見つけたど」
 反語郎がそう言って、感情の無いバルゴンの目をまっすぐ見据える。

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