国防軍パブ


 待ち合わせに指定された場所は、池袋の国防軍パブだった。
 新宿の軍パブには何度か行ったことがあるが、池袋のその店は初めてだ。
 東京の中に入れ子状に存在する地方都市。田舎者しか居ない街、池袋。俺は池袋が大嫌いなので、あまり近寄らないようにしているのだ。しかし大切な取引なのだから好き嫌いは言っていられない。相変わらず下品で醜い池袋の駅前から路地を通り抜け、俺は店へと向けて足を急がせる。
 店内には巨大な日の丸、旭日旗、インターネットで人気の国防大臣のポスター等がところ狭しと貼り付けられ、戦車や空母のプラモデル、モデルガン等が至る所に投げ出されている。病的なミリタリー・マニアの部屋。
 いらっしゃいませー、と迷彩柄のタンクトップを着た女が席に着く。下は同じく迷彩柄のミニ・スカート。コスプレとしての完成度は低いが、リアリティを追求するより肌の露出が多いほうが喜ばれるのだろう。
 待ち合わせの相手はまだ来ていないようだ。俺は焼酎の水割りを頼んで時間を潰す。テーブルに置いてある軍用のアルミ製水筒を使って、女が手早くグラスを満たす。
 「あー、その時計ホンダとおそろいだー」
 女が俺の腕時計を指差して、ひびの入ったトライアングルのような声で言う。
 「ホンダ?」
 「本多。ねーファンなの? また代表に戻れて良かったねー。明日の試合見るでしょ?」
 ああ、サッカーか。どいつもこいつもサッカーだ。
 俺は子供の頃からスポーツ全般に関してまるで興味を持てなかったが、いまや興味が無いどころかむしろ憎悪と言っても良い感情を抱いている。テレビでニュースを観ていて、アナウンサーが「次はスポーツ」と言ったとたんにチャンネルを変える。だから俺は本多というその選手を全く知らない。
 だが現代の東京で、サッカーや野球が嫌いなどと口にするのは自殺行為だ。人々はそれぞれ自分がひいきにしているチームと選手の話題を持ち、それがこの社会で生きて行く上でのアイデンティティの証明代わりになっている。
 俺がひいきのチームも選手も持たないなどという事がもし周囲に知られたら、きっと今日から商店では食べ物を売ってくれないし、家のガスは停まり、電気は停まり、水道は停まるだろう。
 だから俺はこうした事態には慣れている。知らない話題に無理に話をあわせるコツは、できる限り相手に喋らせる事だ。
 「ああそうだねー明日だねー。君はどっち応援すんの?」
 「はぁっ? どっちって? 日本に決まってんじゃん。中国を応援する日本人なんて居る?」
 しまった。失敗だ。
 「ねー、お客さんサヨクー?」
 馬鹿、んなわけ無いだろ、サヨクなんてもう日本に居ねぇよ、等と俺が慌てて言い繕っていると、ずっと店内に流れていたアニメの主題歌が突然止まる。そしてサイレンの音が鳴り響き、「くーしゅーけーほーっ」と野太い声がスピーカから流れた後で、照明が全て落とされた。国防軍パブ名物『空襲警報』のスタートだ。
 約一分間、この警報が鳴る間だけは客はホステスに何をしても良い事になっている。俺は先程の失態を取り戻そうと、闇の中で女のタンクトップをたくし上げ、やけに長く伸びた乳首にむしゃぶりついた。
 爆撃機のエンジン音を模したSEと、他のテーブルから聞こえる笑い声や叫び声が、暗い店内を埋め尽くす。
 女が俺を冷たい目で見下げている気配を感じる。
 女の乳首は冷たくてざらついていて気持ち悪い。
 はやく帰りたい。

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