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湯けむり夢子はお湯の中 #13  聞きたくないけどプレイバック

「話せば長くなりますが」
 そう言って、グラスの水を一口飲む和真氏。

♨️


 こんばんは、湯川夢子です。ビリーの湯のお隣り、『喫茶店チェリー』にお邪魔しています。

 先ほど空きっ腹にプリンアラモードを投入したせいで、今度はご飯ものが食べたくなるという腹模様。他のテーブルから漂ってくるカレーやナポリタンの匂いが、私の食欲をさらに刺激します。

 商店街は夜の色。自分の姿がはっきり窓ガラスに映ったのを見て、「そうだ、私いま首から上だけ百恵ちゃんだった!」と思い出すことになるのでした。(#12参照)

♨️

「ぼくと彼女は、6年前まで恋人同士でした」

 和真さんのお話、もうはじまっておりました!少しでも動揺を抑えようと、つい別の事へ意識を飛ばしてしまいがちな自分。でも、真剣に向き合わなくてはいけないお話です。

「つき合って5年目の記念日に、ぼくは彼女にプロポーズしました。会う間隔がだんだん空いてきていたこともあり、一緒にいる時間を確保したかったのです。一緒に暮らすなら、きちんと籍を入れようと考えての決断でした」

 グラスの氷を見つめながら、小さく相槌を打ちます。

「彼女の返事は予想外のものでした。ぼくは彼女がこのプロポーズを喜んでくれるはずと思い込んでいました。しかし、彼女からは別れを切り出されたのです」

「彼女の方から?」

「はい。そのときすでに、彼女の気持はぼくから離れていたようです。そのあとで、彼女は他に交際している人がいると明かしました」

 相槌もできず、じっと固まるしかない私。

「さすがにショックを受けました。裏切られたという思いから、許したり奪い返そうという気持にもなれませんでした。さらには、彼女から妊娠してる事実を告げられました」

「もしかして……」

「はい。先日、ビリーの湯で一緒にいたのが、そのとき彼女のお腹にいた子です」

♨️

「その…元カノさんは、もうひとりの方とご結婚されたのですか?」   

「そうです。ぼくがプロポーズしたときには、すでに向こうとの結婚が決まっていたようです」

「ううむ」

 あまりの展開に、言葉が見つかりません。しかし、そんな別れ方をした元カノと、いまどうしてあのような関係になったのでしょうか?

「その…大変でしたね、和真さん」

「話を聴いてくれてありがとう、夢子さん。でも、今日は遠慮せず、ぼくに怒りや質問をぶつけてください。そのつもりで来ましたので」

 まっすぐ私の目を見つめ返す和真さんに、こちらがたじろいでしまいます。

「では、うーんと、何から聞いたらいいのかしら?」

 まだまだ私の頭の中はハテナでいっぱいです。

「すみません。逆に夢子さんを困らせてしまいますね」

「それじゃ、失礼を承知で伺いますね」
「はい」

「元カノさんとは、いつからまた会うようになったのですか?既婚者でお子さんのいる女性とあんなふうにお出かけしていることが、私は不思議なんです」

 口に出してから、彼のことを責めているように聞こえたのではと青ざめましたが、テーブルの下でぎゅっと拳を握り、謝りそうになるのを堪えました。
 和真さんは静かに息を吐いてひとつ頷くと、再び語りはじめました。

「夢子さんとはじめて料亭でお会いした頃、それより少し前に、彼女とばったり再会しました。ぼくも別れてから引っ越しましたので、お互いどこに住んでいるのか知らないままでした。偶然にも、同じ駅を利用するくらいの距離には住んでいたのです」

「それから会うように?」

「いえ、そんなつもりはなく、でも懐かしさから、最初は数分立ち話をした程度で終わりました。自分でも不思議でしたが、相手がもう結婚したという事実が、逆に話やすい心持ちになれたというか……」

 吹っ切れたということなのかもしれません。それにしてもです。

「しかし、次に偶然街で出会ったとき、彼女は何となく余裕のない感じで、疲れているようでした。大丈夫かと訊ねると、息子の颯太くんが、幼稚園でお友だちととっ組み合いのケンカをしたとかで、園から電話が来て、時間より早く迎えに行くところだと言うのです。
 前の週にご主人が単身赴任先へ発ったばかりだったそうで、近くに相談できる実家も友人もなく、心細さから震えていました。ぼくは仕事が終わって直帰でしたので、とりあえず園の近くまで一緒に行き、彼女が戻るまで公園で待っていました。 

 数十分後メッセージが届き、颯太くんも相手もケガはなく、仲直りもして向こうの親御さんとお互い頭を下げ合い大事にはならなかったと書かれていました。
 安心し、ぼくはそのまま帰ると返信したのですが、公園を出たところで幼稚園から帰るふたりと鉢合わせました」

 店員さんが、グラスに水のおかわりを注いでくれています。後ろの席の人がそのまま呼び止めて、グラタンを注文しました。グラタンかぁ……と、またトリップしそうになる悪いクセ。

「そのときです。はじめて颯太くんを見て、ぼくはしばらく声も出せぬまま、立ち尽くしてしまいました」

「……?」

「颯太くんの顔立ちが、なんとなく小さい頃の自分に似ていると感じたからです」

 グラタン……。颯太くん…。和真さん。頭の中で3つのワードがぐるぐる回り、思考がコントロールできません。

「一度そう思ってしまったがために、ぼくはずっと、ある考えに囚われ、苦しむようになりました」

 和真さんが何をおっしゃりたいのか、わかってきました。でも、私の心が追いつきません。グッと水を飲み干して……和真さんよ、いまの言葉、プレイバック。


♨️つづく♨️


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