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関わりと存在について

アイドルをアイドルにしているのはファンの存在なんだなと思う。

ライブに来てくれる、特典会に来てくれる、ライブの帰りが被ったら電車をずらしてくれたり、外で会ったら挨拶だけして「無銭接触は良くないからね」とスマートに去ってくれたり、イベントで会って話したら「この前お話しちゃったから」ってチェキ撮りに来てくれたり。

貴方と私の間には境界線がありますよ、これはリスペクトの境界ですと扱い方で示してくれる人達のおかげで、私達は活動が出来ている。よく考えるとすごいことだよね。

私は昔舞台俳優のオタクをしていたことがあるんだけど、やっぱり友達みたいに絡みにいくような気持ちにはなれなくて。
蓋を開ければただの人なのは分かっているし、人間として一生懸命頑張って俳優をやっているところが泥臭くて強くて好きだったけど、私は表現してる人間を応援しているんだと思ってたから。

結局、舞台に立ったり表現をやったりする人間は、人間ではないものにならなきゃいけないでしょう。
演技にしろ歌にしろ踊りにしろ、始まりは神に捧げるものだったわけだから。
普通は自分以外の自然とか空間とか生き物とかと融合しなくていいのですが、表現をする人間はそこに立ち向かわなきゃいけないね。

自己拡充の鬼にならなきゃいけない。人って本来こじんまりしてて、個人的な大事なものを沢山持っているんだけど、その枠組みを外部まで広げなきゃいけない。
ステージの上から、客席まで自己に取り込まなきゃいけない。
役者なら自分ごと他のものに取り込まれなきゃいけないよね。

そういうことを志している人をただの人として扱うのはなんだか違う気がして。少なくともファンとしては。
恋愛するなとかトイレ行くなとかそういうことではなく、扱いは俳優じゃなきゃダメだなと思っていた。ただの木材でも仏が彫られたら仏でしょ、別に救ってはくれないかもしれないけど。そういう感じ。

ただの表現が好きな人間、でも多分人じゃなくなるための練習生で、そんな表現者を表現者たらしめているのは周りの人々なのだと思う。

私もわりとそういう推し方をする人間なので、同じオタクとして「あぁ、わかる…」と同郷の朋にあったような気持ちになる。

人はどこまで行っても人だけど、その枠組みを一瞬だけ超えたいよね。

それは何よりも自分のために。誰かの為にって思った時点で辿り着けなくなると思うから。
なんか、推しに対して私たちファンのためになんて思うなよ、自分の好きと狂気で続けてくれよ、表舞台に立つか立たないかはあなたが決めること、私は勝手に応援してるよ、表現は一度足を踏み入れたら決して離れてくれないから存分に楽しんでねと思っていたのもあるかもしれない。

表現を人前でやるには応援が必要。
でも何かを表現すること自体は人生の中にきっとずっとあると思うし、そういう人間じゃなきゃ仕事になんかしないでしょう。
貴方が貴方である限り貴方の表現は死なないからねって思っていた。

それと同時に、今自分が表現者として見られていることに不思議さと有難さを感じている。
本当に、私みたいな駆け出しの人間はまだまだ高みには辿り着かないけれど、やっぱり目指してはいるから…。
その道筋を共に辿ってくれる人、一緒に見てくれる人がいるのは本当に有難いことだと思う。
心強いよね、一人よりは二人、もっと多ければ尚更。
皆めちゃくちゃ優しいから、甘えてしまうのは良くないなと思うけど。
やれること、まだまだあると思うので。お金と時間は無限じゃないから困るけど、やれることは無限にあるもんね。まだまだ、出来ることから。

私はただ人よりものを作ったり歌ったり踊ったりするのが好きな人間で、芸術が好きで音楽が好きでエンタメが好きで人の営みが好き。
でも私より優れてる人は沢山いるし、もっと熱意ある人もいるし、才能があるかどうかも分からないただの人。
だけど、皆のおかげでただの人より少しだけ多く表現に関われています。
人間として人じゃない何かが宿る瞬間を目指しています。

全員、それぞれ目指す先に行きましょう。全員で自分の人生の大事なページを刻みましょうね。
お互いがお互いに与えあう影響って、なんだかとても面白い、自然環境みたい。

自分がどんな生き物なのか、決めるのは自分と周りの人達。どちらも欠けていてはきっといけない。
人生は長い、ずっと何か大きな光や愛や暗闇に動かされて生きようね。

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