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ヘアドネーション前日

なんとなく書き留めたくなったので
走らせる。
明日、髪を切る。

コロナのはじまり、
STAYHOMEの直前以来(今思うとよくその最中に美容院行ったな。まぁ今の感染状況ほどの広がりではなかったが恐ろしい)実に3年半ぶりだ。もちろん途中で整えたり、自分で切ったりしたが基本は伸ばし続けた。前回どうしても我慢し切れず散髪する前、「もうあと数センチ頑張ればヘアドネーション出来るのに」と知り合いに言われたのが少しだけ心に残っており、次回はぜひと決心して今に至る。人生で2番目に長い髪だ。
特段、興味があった訳ではないドネーションだったが調べてみて、お役に立てるならと思ったのだ。
とこらがこれだけ長い時間が経つと面白いもんで、人の考え方も変わるものだ。

というのも、善意だと思っていたドネーションが実は迷惑、ということもあるのでは?といった内容の記事を見つけたのだ(引用先は無い)。読んで、なるほど確かにと思った記憶はある。髪が大量消費に余っているとか、偽善だとかの意見があるようだ。少し気持ちも萎えてしまった。

でも、結果としてやることにした。
伸ばしたからというのもあるが、やはり欲しい人のところへ届けば偽善だろうが良いと思うからである。
そう考えると、髪自体を丁寧ケアして置かねばと思い、髪質改善サロンにも行って来た。

そこの美容師のお姉さんとも自然と意見交換になった。お姉さんは、個人的に「ヘアドネーションは不要」論者だった。「髪があろうとなかろうと、気にせず過ごせる社会が良い社会」とのこと。
それは全く私も賛成だ。髪が無いから良くないことなんかある訳がない。けれど
「髪が無いから上を向けない」人がいるのも本当だ。どっちの人が居ても良い社会にするためなら、髪が欲しい人には髪をあげたい。事実、人工毛と本物はやはり質が違うようだ。
良いやり取りが出来たなあと思い、
店を後にした。

洗うのも乾かすのも一苦労だし、重いし暑いしヘアアレンジは楽しいけど面倒だし、こんなに大変な思いを強いられ(?)やっと解放されるのに、ふと、鏡に映る長髪の自分を見てなんだか無茶苦茶に、寂しい。

ここまでの数年、悲喜交々、世界中色々あったように思う。価値観がひっくりかえる世の中だったし。

その間も伸び続けて来た私の髪。
いいことも悪いことも、
添い遂げてくれた、この髪。

死ぬ訳じゃないのに、人生は続くのに、
どうせまた伸ばせばロングになるのに。
今のこの時のこの髪は、一旦今日で
終わりなのだなぁ。

ありがとう。いってらっしゃい。

創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。