舞台キンプリの「概念の可視化」と「表現方法」について(ブタキン見てほしい記事)

映画KING OF PRISM(キングオブプリズム/キンプリ)という作品の舞台の話をしたい。

これは色んな人に絶対絶対絶対絶対見てほしいという信念のもとに書くので、ネタバレをガンガンしていく。もうこちとら興奮しちゃって手がつけらんねえんである。タイピングする手も早く本題を打ちたいと少々震えている。こんなに手が震えるのは酒の禁断症状が出て以来だ。

なので、「見る予定がある」「見ようかなと思っている」人は、このページを今すぐ閉じ、きたる視聴日に向けて防音の部屋を検索してほしい。絶対に、防音がよい。

「見る予定が無い」「2.5次元舞台はちょっと……」という人は、暫くのお付き合いをお願いしたい。どうかこの、舞台としてかなりヤバい作品の事を知ってもらいたい。

凄いんである。(はじめます)

この舞台、「アニメでやる表現」を「舞台においても何がなんでもやる」を徹底している。

例えばアニメでは主人公の一条シンが、楽しかった事を思い出しながらチャリをぶっとばして道路から河川敷へ飛び出し、そのまま落ちるというシーンがある。飛び出した瞬間はスローモーションになり、楽しいという彼の心の飛躍と同時に、それを目撃した人間が目を奪われるさまを描いている。

それを舞台では黒子が落ちる自転車を補助し、宙に浮いているように見せる。舞台において黒子という存在は無なので、一条シンは落ちていくその瞬間、身も心も羽が生えたように軽やかであり、映画と同様に、目撃した人間は「スタァ……!」と呟くのだ。

このように、アニメならではの演出をふんだんに盛り込んだ舞台となっている。

冒頭、一条シンは、歌・ダンス・スケートが混合した「プリズムショー」を見に行く。プリズムショーでは「プリズムジャンプ」(アイススケートの技のようなもの)が決まると、見ている者にその素晴らしさが心の底から伝わるようになっている。

アニメでは、その「プリズムジャンプ」をダイレクトに見た素晴らしい感覚が、アニメを見ている我々にも分かるように可視化されている。概念の可視化だ。

一条シンがプリズムショーを見に行って最初に見た技は「胸キュン体験 キュン×3」。アニメではイケメンから発せられたこのスウィ~ティ~な技に、その名の通りキュンキュンさせられ、服が弾け飛ぶ。文字通り身も心も丸裸にされるわけだ。勿論本当に服が破れる訳ではない。あまりにも技が素晴らしすぎて、その技に魅了され、その技を味わった結果、気持ちの上で服が弾け飛んだのだ。

では舞台ではどうなったのか。

両サイドから黒子が現れ、一条シンのシャツもズボンもひん剥いていった。

靴にパンイチである。次のイケメンは「無限・ハグ」というプリズムジャンプを繰り出した。アニメでは沢山のイケメンが現れ、次々に他の観客をハグし、その様子に戸惑う一条シンをも優しく抱き締めた。舞台だとどうなったのか。

ただただリアルにパンイチの一条シンを抱き締めた。

最後のイケメン(言い忘れていたが冒頭技を繰り出すイケメンは三人組だ)は「バニラハート」というプリズムジャンプを発し、裸の一条シンは赤いライトの中で身悶える。そうして素晴らしい技に足腰が立たなくなり、黒子に担がれて退場する。

いや物理がすごい。この直後イケメン三人組は自転車で登場し、プリズムショーの観客(舞台の観客でもある)に「公道での二人乗りは禁止だよ!」と道交法について教えてくれる。アニメ通りであるが、三次元においては既に何がどうなっているのか分からない。

恥ずかしながら初見時ネカフェに籠りニコ生で拝見したのだが、絵面の強さに「エ~!?」の連続だった。でもネカフェが故に声が出せなかったので、一条シンの服が引きちぎられていった時は自分の太腿を強く殴った。

ここまでが冒頭11分50秒の間に起こる出来事だ。

因みに服を着た(もともと着ている設定だけど)一条シンが再登場し、イケメン三人組のショーに対し「な、なんだこれ~!?」と叫ぶ台詞がある。こっちの台詞である。

では全てアニメのままに再現しているのかというと、そうではないシーンもある。舞台ならではのプラスアルファだ。

先述のイケメン三人組(オーバーザレインボー)、そして彼らが所属するエーデルローズに入寮する事になった一条シン、更にエーデルローズの他メンバー六人の計十名で風呂に入るシーンがある。全員が腰にタオル一枚の姿だ。肌色含有率が一気に上がる。パンイチなど目ではない。人によっては「そのタオル下すぎやしないか」という人もいる。案の定尻の割れ目が見えていた。舞台って生ですよ。あなたそこ尻ですよ。

「へ~ここまでやるか」と目を丸くしていたら、黒子が現れ数メートルもの半透明のビニールシートを舞台の端から端へと伸ばして出した。縦は約五十センチ。位置は腰。まさかと思ったらまさかだった。

腰のタオルを全員取ったのである。

私は拳で太腿を強打した。水着グラビアの水着部分を隠すと全裸に見える法則をご存じだろうか。「見えない」とされている部分は他の情報と組み合わせ脳が自己処理をし、最適解を導くそうだ。半透明のビニールの向こう側の真実は知らないが、先程まで腰に巻いていたタオルを取ったということは、それはもう、全裸なのである。

具体的には一人だけタオルを取らなかったが、その子は胸から太腿までタオルで巻かれている人物だ。その子以外が「ここはエーデルローズのお風呂」と楽し気に歌いながら腰に付けていたタオルをぶん回す。

感動以外のなにものでもなかった。

この風呂シーンはアニメにもない。ではなぜここまで過激な演出をしたのか。イケメンの裸を客に堪能させたかったのか?恐らくは違う。

「風呂シーンで」「腰にタオル一丁」それだけでも充分だった筈だ。けれど、「そんなのは生ぬるい」と思ったのではないだろうか。「この舞台において、限界は本当に腰にタオル一丁なのか?」

これ誰が考えたんですか?「できないだろう」ではなく、「やってやろう」という気持ちが心の底から伝わる。心の底からだ。舞台演出自体がプリズムショーならば、制作陣のプリズムジャンプは成功しており、私は精神上丸裸でむせび泣き、ブラーヴォと拍手を繰り返している。

映画キンプリの前売りチケット、そして次作キンプラのOPビジュアルは全員が全裸である。身一つ、裸一貫で挑んでいるということの可視化だと思われる。別に作品自体が裸の話な訳ではないが、それを汲んだのかなという気もする。気もするが、「これやろ!」「やってみた!」「できた!」というあまりにもシンプルな動機であるようにも思える。プリズムジャンプは心の飛躍。素晴らしい。私もこんなプリズムジャンプを跳んでみたい。

物理は留まる事を知らない。突然始まるダンスバトルには剣が用いられ、練習試合では小指に繋がれた赤い紐で一条シンが全身がんじがらめになる。形の良い尻からは蜂蜜が出て、それが更に一条シンをキュンキュンさせる。

全てが可視化されている。物理の破壊力が凄い。風呂シーンの件で「脳が自動的に行う補完」の話に触れたが、概念が可視化されると脳が今まで見た事のないものに対しパニックを起こす。そして処理落ちする。結果どうなるのかというと、「しゅごぉい……なにこれママぁ……しゅごぉい……」と幼児退行していく。当然だ。何もかも見るのが初めてだという時期は幼少期しかない。自然と心は幼子になり、全てが新鮮で周囲がキラキラしてくる。こんな体験が、舞台が終わった現在でも円盤とデッキがあればできるのだ。とんでもない作品である。

因みに後半、エーデルローズがピンチに陥った際、一条シンがプリズムショーをする場面がある。その歌の力でオーバーザレインボーの幻が一緒になってショーをするのだが、それに対しエーデルローズの面々が「どうしてオバレが……」「いや、あれは幻だ!」「どうしてこんなことができるんだ!」と驚くシーンがある。我々はもう驚かない。幻の一つや二つ、見て当然なのである。

私が言いたかったことの一つである「キンプリは舞台でここまでできるのか」は以上だ。本当はストーリーとかキャラクターとか小物とか歌とかダンスとか観客との親和性とか色々あるけど、我慢してこれだけにする。

文字で読んでこんな感じなのだから、実際に動く彼らを見たら驚くと思う。笑い、叫び、「なに?」「へぁ?」「セロリ」と言う。前情報があって尚、脳みそがとろける。是非この新感覚を体験してもらいたい。


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黒水

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