わたしたちは無力感を持つ必要などない 少なくとも今くらいは
例えば。
心の中に絶対に揺らがない芯を持っていれば、どんなことをしたっていいと思っている(もちろん、倫理に反することなどはしませんよ)
言いたくもないことも言うだろうし、ものすごく疲れていたってめちゃくちゃ元気に振る舞うこともできる。偏頭痛も生理痛も、魔法の鎮痛薬を飲めばいい。ありがとう、薬を作ってくれた世の中の偉い人たち、製薬会社、処方してくれる先生たち(でも用法用量は守ろう)
もっと今より若い頃、今よりそういうことがずっとつらかった。今だって「なにしてるんだか……」という気持ちになることはもちろんゼロではない。だけど、わたしたちは、わたしは。生きていかなければならない。
とある新聞に、定年間近まで働き、管理職になった女性の相談記事があった。詳細は割愛するけれど、彼女は虚無を感じているように読み取れた。男性並みに働いてきた自分、けれども年下の男性社員よりも役職は下で、自分の人生はこれでよかったのだろうか……と。
相談に対するアンサーは、女性に共感されるような内容だった。要は、同じだけやったって今の社会ではどうしたって男女が同じように評価されることはない、だから半身で関わればいい、というような内容。知り合いの女性たちはそのアンサーに大いに共感していたし、胸がすくようだ、とすら言っていた。
わたしは、そのアンサーにどこかモヤモヤを隠せなかった。なんというか、まず、まずその質問者の感じている虚無について、虚無などではないとわたしは心から言いたかったから。「かわいそうだったね」と共感することは簡単で、だけど裏を返せばそれはその虚無を肯定してしまうことのように思えた。それってなんか違う。わたしは、その相談者のことを心底尊敬する。今50代ということは、今30代のわたしたちが感じているよりもっともっと多くの理不尽があっただろうと思う。それをやりきったことを「かわいそうだったね」では片付けられない。ものすごく立派で、尊いと、そう思う。
そして、社会学者である回答者には、もっと期待してしまった。「かわいそうだったね」「会社の外で楽しみを見つけなさい」と言ってしまうのは何だか残酷に思えた。言葉を選ばずに言えば「ジェンダーでメシ食ってんならもっと希望を持たせるような考察をしてくれ」と思った。(もちろん、そういうことも全部ふくめてだろうし、紙面の文字数制限があるから一概にその人を批判する意図はもちろんない)
「じゃあやっぱりこの虚無は虚無なんですね」と、質問者の女性が思わなければいいなと思った。少なくとも、人生の後輩であるわたしは、あなたのような女性を心の底からかっこいいと思っていますよ、と。
わたしは本当に何も持っていない。
高学歴なわけでも、多言語を扱えるわけでもない。特殊技能も知識も資格もなければ目立つ美貌も若さもない。
だからこそ、色々なことを心に誓って働いている。当たり前のことしかできないので、目の前の当たり前のことだけは必ず遂行する。
一緒に仕事をするからには、全方位に気持ちよく接したい。挨拶をする、笑顔で接する、親切にする、相手の立場を慮る。見積はすぐに出す、メールは即レス、電話もワンコールで出る。納期は死守する、やむを得ない場合も進捗を必ず報告する。感謝の気持ちと謙虚さを忘れない。どんな些細なことでも助けてもらえたらお礼を言う、自分にできることがあれば相手を助ける。などなど、挙げ出せばキリがない。(新入社員の心得みたいなことしか未だに言っていなくて恥ずかしいけど)
そういうことは、いつかAIが取って代わってやってくれる時代が来るのかもしれない、もうすぐそこなのかもしれない。でも、今、今のところの自分にできるのはそういうことの積み重ねをしていくことしかできない。
あとこれも、本当に些細なことだけど、相手が男女問わず小さな変化を見逃さないことも大切だなと思う。(髪切りましたね、とか、メイク変わりましたね、とか、メガネのフレーム新しくなりましたね、とか、日焼けしました?とか、そういうの全部)
今はハラスメント発言に抵触することもあるので、内容は十分に吟味するものの、多くの人は「自分の変化に気づいてもらう」ということが嬉しいのではないかなあと思う。ので、必ず言うようにしている。(そういうのを言われて嬉しくなさそうな人については言わない)
「何も持っていない」というのは実は「これから何を持つことだってできる」とも言い換えられる。年上の方からも年下の子たちからも学ぶことは本当にたくさんある。手と足と頭と体があって、働くことができて、幸せだと思う。どんな小さな仕事も、絶対の絶対に意味はあって、どこかの誰かに繋がっている。わたしのした些細な些細な仕事が、憧れの誰かへ繋がっている(かもしれない)のだから。
例えば。
わたしが結婚していたら、子供がいたら。きっと今のような仕事内容にはなっていないだろうと思う。(ホワイト企業なので…… )
賃金テーブルも同じだし、出世なんてできるはずもない。(わたしの賃金テーブルは10個近く年下の中途採用の男の子と同じ)
産休育休時短で働く人たちとももちろん同じで、だけどそれを「かわいそう」だと言われたらものすごく悔しい。
わたしは、今の人生を自分で選んでいる。自分で選んで、考えて、進んできている。この状況は「かわいそう」なんかではない。
あと「熱いね(笑)」とか言われると、さすがに腹が立つ。みんなが同じ熱量でなければならないとは思わない。強要はしない。各々が思う熱量で取り組めばいいと思う。でも、それを揶揄される謂れはない。が、言い争うなんて最も無駄な時間なので「あ、ほんまですか〜」とニッコリして終了。(腹の中では、二度と言うてくんなよボケ、と思ってます)
肉体的にも精神的にも、もちろんとても疲れることは多い。自分の心の中に迷いがないなんて言ったらそれは全然、嘘になる。
結婚して、子供を持って、会社の制度をフルに活用して、コストパフォーマンス良く働けたらなあ…と思わない日がないこともない。(出産と育児を軽んじているわけでは当たり前ですがありません)
でも、でもなあ。
その「ゆらぎ」もふくめて、まるっと全部、それが今の自分だからなあ。
「かわいそう」なんかじゃないよ、わたしは。
「それは強がりだ」とか「言い聞かせてるだけだ」とか言ってくる人もいる。でも、強がりでも言い聞かせでも、それでわたしが自分の足で立っていられるならそれはそれでいいのではないですか。少なくとも今のところは、だけど。
でも、張り詰めていた、テンションの高い日々が続いていたので、落差がすごい。今は多分もう誰とも会話できない。(厳密に言えばできるけど、したくない)
「世界の車窓から」を音を消して8時間くらい眺めている。そうやってまたエネルギーを温存する。何も考えない。
がんばっている人は、絶対に「かわいそう」なんかではない。(ただ、節度は大切、やりがい搾取、なんて言葉もあるくらいだから)
こう書くと、根性論みたいにも読めてしまうけれど、それは違う。
(基本的権利や規則は必ず守られた上で、そして何より本人の心身の健康が最も優先された上で、というのは大前提として)
がんばっている人は「かわいそう」などでは決してない。
「誰も見てくれていない」と思うかもしれない、
「なんで自分ばかり」と思うかもしれない。
でも、がんばっている人は「とてもかっこいい」と思う。少なくともわたしはそう思っている。姿の見えない、あなたのことも。
そして疲れたら思いきりダラダラし、休み、また動きたくなるまで動かなくたって別にいいのだから。
ジェンダーのことはよく分からないけど、性別がどうのというより、なるべく多くの人たちが、願わくばすべての人たちが、それぞれ納得したり、折り合いをつけながら日々を穏やかに過ごせられたらなあと思う。そこには性差も権力も立場も介在しなければいいなあと思う。たとえそれが綺麗事であったとしても、願うくらいならばいいよね、と。
わたしたちは無力感を持つ必要などない、
少なくとも今くらいは。
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