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4年後のわたしへ

今日は2024年2月29日です。閏日なんだって。4年に一度しかない日です。良い機会なので、今のわたしが、4年後のわたしに向けてだけ、言葉を残します。誰かのための文章ではないので、つまらないかもしれないですが、わたしのために、残します。

4年後を考えるにあたって、まず4年前を思い出していました。

あなたも知っての通り、わたしは写真を撮られることが苦手なので、ほとんど写真がありません。でも、4年前の2月にわたしは母と妹と、ベトナムへ行っていました。そのおかげで、ベトナムの写真がたくさん残っていました。

あのとき【妹の恋人】だった人が今は【わたしの義理の弟】です。すごく素直で優しくて、キュートで、ごはんをいっぱい食べる素敵な弟です。あんまりにもかわいくて、わたしは弟ができたことがすごく嬉しいです。一緒にケーキを食べたり、バレンタインチョコレートをあげたりしています。いつも喜んでくれるので。そして、あのとき【気の強い妹】だった人が今は【優しいお母さん】になっています。もうほんとうに、それは目を見張るほど。この世界に新しくやってきてくれた姪っ子が、とにかくもう、可愛くて可愛くて、仕方がありません。この子がそっちでは4歳になっているんですね。楽しみだなあ。早く会いたい。でも、0歳のこの子の可愛さは、もうどろどろに溶けてしまいそうです。あなたも知っての通り、これまでのわたしは子どもが苦手でしたね。だから、正直言って、姪っ子を「愛しい」と思う気持ちが湧いてこなかったらどうしようかと本気で思っていました。でも、妹の膨らんでいくお腹を見て、わたしはすごく不思議な気持ちになりました。命が育っていくということの過程を知りました。妊婦さんがどれだけ大変か(もちろん個人差はたくさんあるので、わたしは妹のことしか知らないけれど)そして出産がどれだけ命懸けか、ということを。体験していないことなので、軽率なことは言いません。きっとわたしは、真実の数パーセントも分かっていません。でも、分かっていない、ということを認識できた。ということを学びました。

無事に産まれてくれて、わたしは、胸の、お腹の、内臓の、身体の、一番深いところから湧き上がる【愛おしい】という感情に、自分で自分が一番戸惑いました。わたしがお腹を痛めて産んだわけでもないのに、こんなに【愛おしい】と感じてしまうなんて、厚かましいとさえ思いました。おいしいところだけ味わっているような、そんな罪悪感さえ抱きました。そのくらいに【あいくるしい】という気持ちで涙が出ました。赤ちゃんは、泣きます。よく泣きます。泣いて、ミルクを飲んで、排泄をして、眠るだけです。ほんとうに、まったくそれしかしないのです。でも、それが、どうしてこんなに胸を締め付けるのかが分かりませんでした。

妹夫婦も、わたしも、そしてわたしの両親も、わたしの祖母たちも、かわるがわるにみんなが笑顔になるのです。彼女がただ、そこに、存在しているだけで、です。

次第に彼女は背も伸び、体重も増え、髪の毛や歯が生え、よく動き、そしてほんとうによく笑います。妹とまったく顔が同じで、それにもわたしはほんとうにまいってしまうほど愛しさを感じます。もうすぐあの子が一歳になります。楽しみだなと思います。わたしは、彼女に出会えて本当によかったと思っています。本当に、ただ、そこに存在するだけで、人はただそれだけで、ものすごく意味があって、価値があって、尊くて、それ以上のことは何もいらないのだと、わたしは彼女に教わりました。彼女を抱きしめて、その体温を胸に抱いて、頭の後ろに思い切り鼻をこすりつけて、わたしはめいいっぱい息を吸い込みます。乳くさい、やわらかい、生命の匂いがします。冗談みたいに小さな手足の爪も、太陽の光を受けると黄金色に輝く頰の産毛も、瞳も、鼻も、口も、あまりにも、あまりにも尊いのです。わたしは、自分が生きていてよかったと本当に思いました。あの子に出会えて、ほんとうにほんとうに、よかった、と。

「何かができるから生きている意味がある」とか「何者かにならなければならない」とか「こんな役に立つことができるから存在価値がある」と、わたしはずっと思って生きていました。その考えを、今も払拭することはできていません。でも「ただ存在する」ということが大切なのだと、ようやく理解できたのだと思います。そして、彼女のように、わたしも、わたしが産まれた時、父も母も祖父母も、みんながこうして祝福してくれたのだと知りました。そして、わたしは今、生きています。わたしは「家庭を持てなかった、普通になれなかった、親孝行できなかった」とずっと苦しんでいます。でも、きっとほんとうに、わたしが生きているだけで、父も母も、それでいい、って思ってくれているのかもしれません。だから、生きていようと思います。

だから、わたしが4年後のあなたに望むことはたったひとつだけです。ただ、生きていてほしい。それだけでいいです。偉くならなくていいです。人気者でなくても、お金持ちにならなくてもいいです。そもそも、そんなことはもとからあまり望んではいませんが。とにかく、あなたが、あなたのいる世界で、生きていてくれたらいいと思います。そして、もしもできることならば、笑っていてほしいし、幸せでいてほしいです。でもそれは、誰かに与えられるものではなく、自分で見つけたり、探したり、学んだりすることなのだと思います。

今わたしは、人生で初めての長い休暇に身を置いています。もしかすると、このまま社会復帰が果たせない可能性もゼロではありません。でも、それは絶望ではないのです。少なくとも。生きてさえいれば。今はまだ、人に会うことも、話すこともできません。家から出ることもままなりません。睡眠や食事にさえ失敗してばかりです。真面目に診察に通い、服薬もし、真剣に治療に取り組み、自分と向き合っていますが、なかなかうまくいきません。でも、何度も言いますが、これは絶望ではないことをわたしは知っています。

願わくば、あなたが幸せを感じていてくれていればなと思います。その幸せというのは、大きな、派手な、目立つものでなくていいのです。お風呂が気持ちよかったとか、メロンパンが美味しかったとか、薬局のお姉さんが親切だったとか、エレベーターでボタンを押してくれる人がいたとか。学生たちが楽しそうに笑いながら歩いているところを見かけたとか、夜気の中に春の蕾を見つけたとか、そういうことの積み重ねを幸せと呼ぶのだと思います。わたしは今、今さら、ですが、そういうことを学んでいるところです。4年後のあなたがほんの少しでも笑ってくれるために、です。


これを聞いたらあなたは怒るかもしれません。困ったな、と思うかもしれません。でも、正直な気持ちを、ここに書き記しておきます。どうか許してください。

わたしには今、パートナーはいません。それに、今はパートナーを持つつもりもありません。(この先においても)それは、自信がないからです。誰かと生きていくこと、誰かと心で繋がること、誰かを自分の中に入れること、誰かを幸せにしてあげること、誰かにとって自分が愛される価値のある人間であるということを信じること、そういうことすべてにおいて、怖れが拭えないからです。

でももし。もしも4年後のあなたの気持ちが変わっていたら、あなたには、パートナーを持っていてほしいなと願います。さみしさも孤独も、ひとりぼっちも苦しみも、今のわたしがぜんぶ引き受けます。だからどうか、あなたには、誰かを愛して、誰かに愛されてほしいのです。夜に泣いて、どうしようもなくなったときに、気軽に相談できる誰かがいてほしい。誰かに抱きしめられていて欲しい。あなたをひとりぼっちにしたくはない。できることなら、わたしが4年後のあなたの近くに行けたらいいのだけれど。それはできないことだから。誰かと繋がっていてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。ただ、それは依存ではいけません。あなたも相手を尊重し、相手もあなたを尊重していてほしいのです。

そして。怒らないで聞いて下さい。もしも、もしも可能ならば。あなたも自分の子どもを持つことを諦めないで下さい。今のわたしは、そんなことは少しも考えられないけれど、4年後のあなたが、もしそういうことを希望して、そして実現することができればいいなと、思っています。これは、わたしが姪っ子を見て、ただ可愛いから羨ましい、欲しい、という単純で安直な理由ではありません。もちろんきっかけではあったかもしれません。でも、あなたも、わたしも、この問題についてはずいぶん考えてきましたよね。あなたの年齢ならば、チャンスはほとんどないかもしれません。今のわたしでさえ、チャンスはほとんどないのですから。

そしてその上で、わたしは、あなたにもそういう類の幸せを味わってもらえたらいいなと、思っています。もちろんいいことや幸せなことばかりではないでしょう。でも、諦めないでいて欲しい。あなたが、パートナーを持ち、子を持ち、その人たちを幸せにし、あなたもまた、今とは違う種類の幸せを感じたり、景色を見たりできたらいいな、と思うのです。だけどでも、矛盾しているようだけれど、そうならなくたって、あなたの存在価値には全く影響しないことも真実だから。どうかそれは誤解しないで下さい。だって、どっちが上とか下とか、ないでしょう。これにもずっと、わたしたちは苦しめられましたね。でも、どっちも同じです。存在しているだけで、それだけで、いい。だからこれはわたしの勝手な願いだから、怒らないでね。

わたしは「優しい人でいたい」と思って生きてきました。あなたもそこは変わっていないよね?でも、今回、長い長いお休みをしていて、気が付いたのです。今までわたしは「優しい人でいたい」と思いつつ、ああ、できていなかったな、と冷静に判断できるようになったのです。なんでも受け入れる、嫌なことを嫌だと言わない、相手の言いなりになる、自分の気持ちを伝えない、など、こういうことは「優しさ」ではありません。むしろ、こんなの失礼だったと思います。わたしはだから、周りの人にも謝りたい気持ちでいっぱいです。でも、「助けて」と救いを求められた手を払うことはやっぱりわたしにはできません。傷つく結果が見えていても、です。それは自分にとっても相手にとっても「優しさ」ではない、と知っていても、です。そこはこれから、ゆっくりと考えていこうと思います。

そして何より、わたしは「自分に甘く、怠慢な人間だ」と本気で思っています。それは、半分は事実ですが、半分は認知の歪みだったと知りました。外に対するエネルギーを使うことの代わりに、自分で自分をケアすることを放棄していたのです。これを「セルフネグレクト」と言うそうです。この間、先生に言われました。これも「優しさ」ではありません。まずは自分で自分をケアし、満たしてあげる。適切でいる。その上で、他者に対して本当の意味での「優しさ」を持って接することのできる人間でありたいなと気付きました。長い長い、お休みのおかげで。気付くことはできましたが、だからと言ってどうしていいかはまだ分かりません。それも、これからゆっくりと考えていくつもりです。

あと、あなた、小説は書いている?
わたしの予想では、書いているような気もするけど、書いていないような気もする。でもきっと、文章は書いている。小説ではないにしろ、きっと何かを書いているでしょうね。だってわたしにもあなたにも、好きなことって他にあんまりないんだもんね。もし書いているんだったら、今より上手に書けるようになっているのかな。まあでも、上手じゃなくてもいいよ。書くのが楽しいから書いている、それだけでじゅうぶん。あなたもわたしも、言葉が好きでよかったね。この世界には、いい言葉がたくさんある。まだまだ知らない言葉がたくさんあって、表現があって、そういうものを、たくさん見つけられるといいね。そして、自分でもそういうものをずっと綴っていけたらいいね。

長々と書いてしまいました。4年後のあなたに、いろいろと託したつもりはないのだけれど、重荷になっていたらごめんなさい。でも、わたしはあなたの味方です。あなたも、わたしの味方でしょう?

去年引っ越してきたばかりの今の家を、気に入っています。でも、家賃が高いので、もしも社会復帰が果たせなければ引き払うことになるでしょう。4年後のあなたは、今どこに住んでいるのだろう?この家、結構いいから、住んでいて欲しいな。

でも、まあ、家なんてどこでもいいです。とにかく、生きていてね。

とにかくあなたは、生きていてね。

あなたがいろいろなかたちの幸せに触れられるように、気付けるように、そして笑ったり泣いたり元気に暮らせるように、わたしはがんばります。でも、そうじゃなくてもいいよ、ただ、生きていてね。あなたのことは、わたしが絶対に守るよ。だってわたしの方があなたより若いもん。って言ったら、あなたは気を悪くする?でも、あなたが生きていて欲しい。人の優しさに気がつけて、人に優しさを与えられて、そして何より自分を大切にして、ご機嫌に生きていてほしい。わたしはずっと味方だからね。


それではまた、4年後に。
元気でね。


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