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そこにすべてを浸けてしまうことが こわいとしても

この文章を記したことをいつか思い出す時、
それが例えどんな気持ちであったとしても受け容れられる自分でありたいと思う。

そして、文章を書く人間のはしくれとして、
自分の心の動きを忘れたくないので記しておく。

こんな自己満足の自慰行為みたいな長文は、誰も読まないでいてほしいと思うし、だけど誰かに読んでほしいような気もする。自分の整理のために、記しておこうと思う。

突然だけど、恋人ができた。少し前のことです。
ずっとあたためていた想いが叶って、とか、そういう類のものではなく。

ほんとうにそれは突然やってきた。
早朝から働き始める習慣がついてもう3年は経つ。
この夏も相変わらずわたしは誰もいないオフィスで朝早くから働いていた。

それは突然やってきた。
そんなことは起きないだろうというようなことがいつの間にか重なった。
あっという間の出来事だった。

誤解を恐れずに言えば「うかつ」だった。
嬉しさも楽しさも気持ち良さも幸福も、甘さも苦さも嫉妬も、焦れるような感覚も、泣き出したいような感覚も、もうとっくの昔に手放しているつもりだったから。

えらそうなことを言って大変恐縮なのだけれど、小説を書くような人間というのは往々にしてたいそう想像力が豊かである。1の出来事を750くらいに膨らませて、まるで経験したかのように書くことができる。

それで、わたしはそれらの感覚や感情や気持ちを、とっくに手放しているつもりでいた。それに“似たようなもの”はあっただろうし、それを元にいくつか作品も書いたような気がする。

でも本当に、わかりやすく言えば、こんなにちゃんと、まっすぐに恋愛というものの渦中に身を置いてしまうようなことはもう起きないと思っていた。死ぬまで。

だから「うかつだった」と言える。

彼は若い。ずいぶん年下で、元気で、いつもキラキラしている。よく働き、よく遊ぶ。パワフルで、チャーミングで、わたしとはおよそ接点のなさそうな人だと思った。(こんなこと書きたくないけれど、念のため書いておくと、お金を貸してとか言われていないし、それに準ずるようなやりとりも今のところはないのでそこはどうか安心してほしい)

だけど、わたしのことを一切年上扱いしない。オバサン扱いもしない。わたしに【自立した大人の女性像】を求めてこない。ちゃんと【ただひとりの女性】として扱ってくれる。年齢とか、社会人歴とか、そういう数値化できるもののない世界にいるように、ただわたしをわたしとして扱ってくれる。

十分すぎるほど性格を拗らせてしまったわたしにも、それが彼の気遣いであり、優しさだということくらいわかる。

彼から見れば、わたしはまぎれもなく年上で、経済的にも精神的にも自立しており、恋愛に過度に依存するような恐れがないということは、きっとわかっているし、そこに魅力を感じてくれているのだということも。

わたしはずっと【自立した大人の女性像】として男の人に求められることがしんどかった。求められなくてもそうしてしまうのに、これ以上がんばれって言わないでほしい、みたいな気がして気が重かったのかもしれない。

嘘でも、リップサービスでもいいから、それを感じさせない人に出会いたかった。だから、嘘でもいい。本当にわたしが今、無職になったら、たちまち関係性が変わることくらい分かってる、だから嘘でいい。嘘でいいから、強くない、自立していない、何者でもない自分を好きになってくれる人に出逢えてよかった、と思う。(だけど、何者でもない自分を好きになってほしい気持ちと同等の気持ちで、何者であるかを積み上げてきた自分を好きになってほしい気持ちもまたあるのだ。なんて厄介な)

こんなふうに書くことは、彼に対してとても失礼だとも思う。彼は心から【そのままが好きだよ】と言ってくれているかもしれないのに。その言葉に嘘はないかもしれないのに。


言いたいことを言えずに溜め込まずに、なんでも思ったことは言ってほしい、と最初に伝えてくれた。そしてわたしは、それを伝えることができていない。こわいのだ。こわくてこわくて、たまらないのだ。

わたしは、わたしなりの方法で、本当に長い時間をかけて、自分ひとりでいろいろなことを解決したり、折り合いをつける方法を修得してきた。腹をくくってきた。誰にも頼ったり甘えたりしたくなかったのだ。何があっても。どんなときも。強い自分でい続けたかった。

だから、いまさらこんなふうに、誰かに優しくされることがこわくて仕方がない。おはようとか、おやすみとか、言われることがこわい。体調不良を気遣われることがこわい。街中で手を繋いでもらうことがこわい。名前を呼ばれることも、抱き締められることも、何もかもが。

いつか、いつか跡形もなく消えてしまうものかもしれないものに、もうこぼれはじめているものかもしれない不確かなものの中に、心や身体を浸してしまうことができない。こわくてこわくて、全く身動きがとれなくなってしまう。息をすることさえできなくなりそうになる。

そもそも、どうしてわたしのことなんて好きになってくれたのか、わたしが一番分からない。どこがいいの?なにがよかったの?どの部分?どこがどういうふうによくて、どこがどういうふうに気に入って、あなたはわたしに優しくしてくれるのだろうと、だけどそんなことを聞けるはずもない。

仕事や勉強みたいに、努力をしたから結果が出る、ということしか信じられない。理由を教えてほしい。どこを何故、どうして好きになってくれたのか、それを教えてくれさえすれば、わたしはそこを更にブラッシュアップさせるし、指標とする。失わないように努力しつづける。向上する。だけど【好き】とかいう曖昧なものを、かたちの見えないものを、不確かなものを、わたしはどんなふうに受け取ればいいのか、本当に分からない。自分がそれを受け取るに値する人間だとはとても思えないことが本当に苦しい。

失礼なことを言っていると思う、ばち当たりなことを言っていると思う。だけど、どうやってこれを手放しに喜べばいいのか分からない。

嬉しくて楽しくて気持ち良くて幸福で、甘くて苦くて嫉妬して、焦れて、泣き出したいようになればなるほど、きっとそれを失った時の喪失が大きいことを知っているから。

それでも日々は続くから。
仕事も生活も絶対に止められないから、その大きな損失の痛みを抱えながらやれるのだろうかと思うことが、こわくて仕方がない。もし【その日】が遠くない未来に来ても、わたしはわたしを辞められないから。わたしは、わたしの思う、周りの人が思うわたしを損なうことなく提供し続けなければならないから。


きっと、一番楽しいであろう今の時期にすら、こんなふうに思ってしまう。だめだな、と思う。きっとわたしのこんな内面を知ったら、彼はがっかりするだろう。好きじゃなくなるだろう。めんどうだと思うと思う。逃げ出したくなるだろう。

優しくて、なんでも許してくれそうな包容力なんて、ほんとうは持っていない。ただこわくて、言えないだけなのに。

不満なんてなにひとつない。若くてかっこよくて、仕事好きで、優しくて、話していて楽しくて、そしてとびきり甘えん坊で、わたしにはもったいないくらい素敵な人だと思う。

付き合ってすぐの蜜月期にする約束事なんて、全部たわごと、みたいな、そんな余計な知識が邪魔してしまう。

年の差があることを自分は全く気にしていないけれど、あなたがそれを気にしていることも自分なりには理解しようとしている、ちゃんと先のことも考えている、一時的な感情に流されているわけではない、とも伝えてくれた。

これ以上きっとどうしようもないくらいに配慮してくれているのだと思う、だから、これは、わたしだけの問題で。

「とにかく今を楽しめばいいのに」ってみんな簡単に言う。だけどそんなことはもうできないことを、どうしたって伝えられない。

わたしは基本的に、自分が年齢を重ねることを自然に受け容れられていたと思う。だけど今、せめてあと5歳若ければ、なんてことを考えてしまう。年齢で人を好きになるわけではない、そんなこと分かっている。

でも、まだ何も起きていない今、こんなにもこわい。いつかこの先、何かが起きた時、自分の選択を呪ってしまいたくはないから。そして、わたしのことを好きになってくれた人のことを、憎んでしまうようになりたくないから。

江國香織さんの小説で一番好きなのは「きらきらひかる」だけれど「東京タワー」も負けず劣らず読んでいて。(まさかあそこまで年の差ではないけれど)(あと不倫でももちろんない)(わたしは不倫は嫌いだけど、文学作品としてこの作品を愛している)

親子ほども年の離れた恋人の透が、詩史の過去を知ろうとしたときに彼女が彼に言ったセリフを思い出す。

「知ってる?でも私はあなたの未来に嫉妬しているのよ」
「なんでそんなことを言うの?つじつまが合わないよ。それならずっといてくれればいいじゃないか。なんでそんなことを言うのか分からないよ」
「信じてくれなくてもかまわないけれど、私はあなたが大好きよ」
——P.127

東京タワー/江國香織


詩史は、裕福な生活も、完璧な夫も、豊かな仕事も、美貌も、何もかも持っている人で、だから今の自分とリンクするようなところなんてないのだけれど。彼と一緒にいると、わたしは何故だかこのシーンを思い浮かべてしまう。

未来に嫉妬、とまではいかないけれど、あなたの希望に満ちた未来に、わたしはどうしても自分をそこに入れてほしいとは望めないし、言えない、だから、逃げ出してしまいたくなる。そこに入れてもらえなかったと、万が一、ほんの少しでもあなたを憎んでしまう日がくるくらいなら、はじめから
何も起きなければいいのに、と。

わたしはもう、誰のことも大嫌いになりたくないのだ。あなたのように、健やかでまっすぐな人のことを、憎んだり大嫌いになる自分にきっと耐えられない。

わたしはもう、喪失のあと、カサブタと生傷を行ったり来たりする間の生活に、きっと耐えられない。

でも。こんな気持ちを伝えられるはずもない、誰にも分かってもらえるはずがない。


付き合い始めてから、わたしはどんどん不安定になっている。それは彼が悪いわけではない。不安にさせるようなことをされたわけでもないし、言われたわけでもない。彼はいつだって優しくしてくれる。だけどわたしの不安定は自分でもどうしようもない。

交友関係の広さ、わたしの知らない世界でバイタリティ溢れてめいいっぱい遊ぶ、彼のそんなところを、全部穏やかに包括してあげるくらいできないときっとわたしが年上の意味なんてないのだと思う。猜疑心と恐怖で身動きがとれなくなっているわたしは、きっととても醜い。そしてとても苦しい。

街ですれ違う、オフィスで一緒に働く、年下の女の子たちの若さや強さを美しく思う。無鉄砲なことも、わがままも、ちゃんとまっすぐ言える彼女たちの方が、自分よりずっと大人だ、と思う。


「いつも荷物を持たせてくれないんだね」と彼は少し悲しそうに言った。

かばんとか、買い物袋とか、持ってあげると言われてもそれがほんとうに
苦手で、いつも断ってしまう。きっとわたしが断るたびに、彼は彼で少し傷ついていたのかもしれない、とそのときやっと気がついた。だけど、言えなかった。「骨が折れているわけでもないのに、自分で持てる」と答えてしまった自分は世界で一番みっともないなと思った。「あなたも自分の荷物があるのに、わたしの荷物重たいでしょう」と言うと「重たいだろうなって思うから僕が持ってあげたいって思うのに、重たいから僕には持っていらないって意味わからないよ」と悲しそうだった。彼はとても穏やかな人だし、怒ったり声を荒げたりする人ではないけど、その時は少し、悲しそうだったし、怒っているようにも見えた。だけどきっと、わたしはこれからも荷物を持ってなんて言えないんだろうな。


「その場に女の子はいるの?」「その子は若くて可愛い?」「その子はじょうずにわがままを言う?」「あなたはわたしを捨てる?」「わたしが強くなくなったら価値はない?」そんなめんどうなこと、口が裂けても言えないけど。不安でいっぱいになる。泣き出したくなる。

じょうずにわがままが言えたなら、荷物を持ってって言えるだろうし。高級なものでなくていいから、たまにはごちそうしてって言えるだろうし、さみしいから会いに来てって言えるだろうし、声が聞きたかったって勝手に電話をかけることだってできる。

せっかく一人で生きてこられたのに、荷物を誰かに持ってもらうようなくせがつくことがこわい。変な空気になりたくなくてすぐにお金を渡してしまう。仕事とか家族とか友達とかの予定を聞いてまで、そこにわたしの時間をねじ込んでなんて言えない。わたしのために時間を作ってなんて言えない。予期せぬ時間の電話で、彼のプライベートな時間を奪うことはできないから電話をかけることもできない。

仕事も、人間関係も、わたしは何一つ変化させていない。小説もちゃんと書いているし、文学の集まりにも出席している。読むべきものも読み、書くべきものも書いている。触れればたちまち溢れて破裂しそうな不安を抱えていても、こうして生活を続けられる。だけど、不安で不安で、逃げ出したい。


おはようと言ってくれることも、おやすみと言ってくれることも、体調を気遣ってくれることも、歩くとき手を繋いでくれることも、抱き締めてくれることも、好きだよと言ってくれることも、うれしくて、幸せだと思う。どうして泣き出しそうになるのか分からない。こんなにたくさんのものを、もらう資格が自分にはないと思ってしまうことが苦しい。そこに、身体も心も、すべてを浸けることがこわい。


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