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ひかりもの/あいみょん

そりゃもっともっと もっと
私の身体が 誰かにずっとぎゅっと
触れていたなら

ひかりもの/あいみょん


ほんの些細なことで、そんなこと取るに足らないことで、具体的に言うのもばかばかしいくらい、小さなできごとなんだけど。

ある質問をされたことによって、自分にとってはとても大切な出来事だと思っていたことを、相手が全く覚えていなかったり、あやふやだったりすることが分かった。

そんな質問をしてくるってことは、覚えていないってことで、それはその質問者にとってどっちでもどうでもいいことだったんだ、と思うことがあった。

いつもなら受け流すところだし、引っかかっても突っかかってもどうにもならないことだって分かっているんだけど、何故だかわたしは深く悲しかった。その日の夜は、布団に入って久しぶりに泣いた。くだらない、笑っちゃうほどどうでもいいことなんだけど。

自分にとっての思い出の重みと、相手にとっての思い出の重みがまるっきり違うというのは、関係性、そして個人そのものを軽視されたようにその時は思えた。

覚えていないなんて悲しい、と思い切って伝えても、怒らないでよ、と宥められるだけ。怒っていない、こんなつまらないことでわたしは怒ったりはしない、ただ悲しいのだ、と伝えても、怒ってることも悲しいことも一緒じゃん、ごめんごめん、と片付けられることに更に悲しくなった。

わたしはそんなつまらないことで怒るほど狭量な人間ではない、ただ、覚えていてくれなかったことが悲しいのだ、だけどその悲しみをあなたに伝えたってどうにもならないことだってふくめて全部理解してる、忘れてしまうことを忘れるなっていうことなんてできない、忘れていることがイコールすべてを軽視しているわけじゃないだろうことも予想はできる、ただ、大切だと思っていたことの重さが違ったことが悲しかっただけなんだ、ということまで言えなかった。

伝わらないことばかりなのだ、つまり。


あいみょんの「ひかりもの」を聞いて、すごいなあと思った。

この歌詞のすごいところは

「私の身体が 誰かにずっとぎゅっと 触れられていたなら」
ではなく
「私の身体が 誰かにずっとぎゅっと 触れていたなら」

と表したところだとわたしは思う。


「られ」があるとないとで意味は変わる。

「触れられていたい」という気持ちが根底には当然ある。もちろん。その上で「触れられ」とせず「触れて」とする。その日本語の言葉の妙みたいなものにグッとくる。ここをこう表してくれたおかげで、歌詞にものすごく奥行きが出るのではないかなと、わたしは聴きながら勝手に(偉そうに)思った。

「触れられていたなら」ではなく「触れていたなら」というのは、自分から行動できる自由を持つ、受身的な関係性のみではない、という幸福なのではないかと思う。

触れられることはもちろん幸せで、うれしいことだけど、触れることを許可される自由、というのはそれよりもっとずっと上回ることのように思える。

電話をかけてもらえるのはうれしい。
でもかけることもかけられることも等しく自由であることの方がもっとうれしい。

「そんなの当たり前の人間関係だよ」と思った人は、あなたは少なくともその点に於いて、健全で幸せだと思う。お互いの関係性がいつも必ず均衡であることを疑わずにいられるというのは、あなたがそういう人間関係を保てているからだと思う。いいこと。でもそれは当たり前ではないし、世界基準でも標準装備でもない。

世界にはそういう関係性ばかりではない。特別視するほど不均衡ではないけれど、無意識のうちに、力関係に上とか下とかできていることがたくさんあるんじゃないかと思う。でも、健全ではなくても、歪であっても、それを否定したりもまたしない。

例えばさみしいとき、不安なとき、身体が自分のものではなくなってしまいそうなとき、ぎゅっと、強く誰かが触れてくれたなら、それはとても心強いことだと思う。肉体的な身体から剥がれてしまいそうな精神的な身体をおさえつけてくれるような。

そして、自分の大切な人がそうなっているときに、そうしてあげられることもまたとても幸せなことなのではないかと思う。大丈夫、わたしがあなたを守るよ、の意で。

だから、均衡であるパートナーがいる人、それが男性でも女性でもどちらでもなくとも、あなたはパートナーにぎゅっと触れていてほしい。そして、触れられていてほしい。それってとても贅沢なことなのだから。

この曲の歌詞を聞いてそんなことを考えた。言葉というのはとても力があるなと思った。

「触れられていたなら」ではなく「触れていたなら」としたあいみょんをとっても素敵だと思った。

受け取るだけが愛情ではない、与えることもまた愛情で、与えることを許可されることはとってもうれしくて健やかなことで。


何かを与えてもらうことより、自由にのびのび、思う存分与えられることのほうが幸せに思う。わたしはね。


はじめよう 新しい何かを今
つまらない事ではもう
泣かないぞ

ひかりもの/あいみょん




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