満ちてゆく/藤井風
わたしは塔の上にいる。
雲が分厚く覆って、霧みたいな雨が頰から首を伝ってとても寒い。
塔の上の、柵の外側に立っている。
でもまあ、少しの風が吹いたくらいではそこから落ちたりはしないから危なくはない。
ただ、あまりにも些細な理由で、ほんの少しの、それは言葉かもしれないし事象かもしれないし、自身の内在的な話し合いの結果かもしれないけれど、あまりにも些細な理由で、その塔の上から姿を消してしまうことはあるかもしれない。
なんか、砂の像がさっと風といっしょに流れて姿形を失ってしまうような。そういうイメージ。
この「満ちてゆく」を初めて聴いた時、わたしにはそういう絵が浮かんだ。(先入観持たないためにMV観る前に曲を聞く派)
それで、そういうぎりぎりの塔の上の人たちって、実はすごくいっぱいいるんだとわたしは思うんです。
少なくとも今の自分にはものすごくリンクした。
こんなんもうずるい。
わたしが60,000字かけて書いた小説で言いたかったこと(でもそれでもうまく表現できなかったこと)をこんなワンフレーズで表現しちゃうなんて。
世界的アーティストに対して、大阪在住万年ヒラ社員のわたしが、誰が誰に言うとんねんof the yearだとは分かっているのですが、あまりの才能にめちゃくちゃ嫉妬した。ずるい。悔しすぎる。(どういうこと?)
曲の冒頭では塔の上で、濡れてつめたくなった頰を温める指先まで冷え切っているのに、曲の終盤になるにつれてわたしはいろいろなものを手放して、捨てて、棄てて、ほどいて、ほぐして。最後に残った自分の中にある僅かに灯る愛の種に気付くことができる。
思った時に思った人は助けてくれないかもしれない。もうだめかもって思うこともあるかもしれない。
でも、自分の中にある愛だけは絶対に手放してはいけない。そして、自分の中にある愛を与えることを戸惑ってはいけない。憎しみを棄てなければ、前には進めない。(でも、棄てられないあいだは棄てなくてもいいのだよ)
物質的な豊かさ、分かりやすい成功、羨まれる幸福。多くの人にとってのスタンダード。それを追いかけて追いかけて、追いかけすぎて何が欲しいのか分からなくなっていた。
期待をしていた時に人は期待に応えてくれるわけではない。搾取されたと感じる苦さだって知っている。
でも、自分の中にある優しさだけは絶対に手放してはいけない。そして、自分の中にある優しさを分け合うことを躊躇ってはいけない。執着を棄てなければ、前には進めない。(でも、忘れられないあいだは傷と一緒に歩けばいいのだよ)
最後のコーラスから、アウトロに向かうところで気付いた。
塔の上は雨が止んでいる。でもまだ雲は分厚く広がる。ただ、その分厚い雲の隙間からはゆるい光が射し込んでいる。
手指も頰も、まだつめたいけれど、わたしは塔の柵を乗り越えて、内側へ戻ってくる。砂になって消えてしまうのはまだもったいない気がしたから。
どうせいつか、砂になってみんないなくなってしまうのならば、それは今でなくてもいい。今を襲う重さや苦しさが簡単になくなるわけではないこともまた、知っている。いやというほど。
でもやっぱり、まだもったいないから、柵の中から、塔の一番高いところから、空を見上げる。
分厚い雲を疎まず、射した光に感謝をして。祈る。
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