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明日のわたしにできること 今日のわたしが眠ってしまっても

「失う」ことがこわい。
突き詰めて考えてみると、わたしの人生はずっとそうだったなと思う。

「失うこと」がこわかった。
「失う」という言葉を打っただけで喉が締め付けられる。手に汗が滲む。とても、こわい。

何を失うのがこわいのだろう?
「失わないため」の努力をずっとして生きてきたと思う。

ライフラインに関わることから、人間関係、自分自身、物理的なこと、状態、すべてのことにおいて。


のらりくらりと隠して生きてきたけれど、わたしは今「うつ状態」真っ只中にいる。(もちろん、「うつ」はとても広義だし、症状も重さも千差万別で、本当に重い場合はこんな文章書けないはずだ、といういろいろな批判等はまあ置いておいてください、ぼやっと、そうなんだな、程度で流してください。通院歴は大体10年くらい。双極性障害とは違うので、躁状態というのはないです)


だからと言ってなんでも病気のせいにしたり「自分は繊細なので配慮して下さい」みたいなことを言ったりすることを好まない。

そういう性質や病気や状態になったことは仕方がないとして、そこに対するアプローチを怠ることは怠慢だと思う。だから、通院も、服薬もかなり気をつけてきた。健康保険の効かないカウンセリングも自費診療で受けて、どうにかこうにか折り合いをつけてやってきた。大きな鬱の波に飲まれないように、なるべく気をつけて、誰にも悟られないように、誰にもバレないように、誰にも気付かれないように、仕事は常に全力でした、どうにか転ばないように、と。

それでも時折どうしても動けない日があって、そういうときは「生理痛」とか「風邪」とかいろいろごまかしごまかし半日休暇を使ったりしてきた。でも、今回はあっという間に転んだ。なんとなくだめかもしれないと思っていたけど、転ぶのは早かった。もっと早くに対策を打っていればよかったのかもしれないけど、でもできなかった。

もう隠すのが嫌になった。「うつ」なんて軽々しく言ったら、それこそ偏見の目で見られるのではないかとか、障りがあるのではないかとか、腫れ物みたいに扱われるのではないかとか。なんかもうそういうの全部どうでもよくなっちゃった。もしそんな理由でそういう対応を取る人がいれば、それはわたしにとってはそこまでの関係だった人なのだと思う。

わたしは仕事が好きで、その上、自分と関わってくれる人には、ほんの少しでもいい思いをして欲しかった。一緒に仕事をしてよかった、とか、役に立てた、とか。自分の人生に関わってくれるすべての人に親切にしたかったし、優しい態度でいたかったし、誠実に生きていたかった。

でも今は働けていない。早く仕事に戻らないといけないという焦燥感と罪悪感につぶれて今にも退職届を出しそうになるけれど、仕事もしていない自分を責めて仕方がないけれど。今は抗うつ剤のおかげか、気分の落ち込みもかなり改善されてきて、寝たきりの頻度も減った。けれど、つい数ヶ月前までのように朝早くから夜遅くまで働いたり、連日出張したり、そんな生活をしていた自分を思い出せない。ほんとうに、そんな自分がこの世に存在したのか?というほど遠いように思える。

こうなったのは、誰のせいでもない。
秋頃、時短勤務の方が1人、休職になり、わたしはその方の仕事を引き継ぎなしでそのまま担当が純増した。でも、それは誰が悪いわけではない。管理職の責任だとも思わない。何故ならば、決断したのは自分だから。自分なら「やれる」と思ったから快諾した。だから今の状態は、すべて自分に責任がある。後輩たちの負担を増やしたくもなかった。でも結果的に一番迷惑をかける形になってしまったので、そのことを考えるとものすごく反省する。自分の見通しが甘かった、もっと上手くやれたはずなのに、もっと頑張れたはずなのに、と責める思いはある。わたしのいない間、わたしの悪口を存分に言っていて欲しい。せめてそのくらいしていて欲しい。どうやって償えばいいのだろうかと考えると、それだけは心が痛む。

「早く戻りたい、明日からでも無理やりに働いたら働けないことはないんじゃないか?」と思う自分と「もう二度と社会には戻れないかもしれない」と思う自分がいる。病気の症状なのか、薬の副作用なのかは分からないけれど、自分の中から「落ち込み」が薄まれば薄まるほど、ありとあらゆる「欲望」が消えていく。

三大欲求ももちろん消えた。あんなに食いしん坊で、食べること命って感じだったのに。ライアン・ゴズリングが上半身裸でめちゃくちゃセクシーに誘惑してきても「今日のところはお引き取り願います」って言いますね、今のわたしなら。睡眠欲というものもない。ただ寝ないと治らないから無理矢理に薬を飲んで眠るだけ。

物欲はもともとあんまりなかったけど更になくなった。ヒートテック穴あいてるなあ……。誰かに会いたい、とか、どこかに行きたい、とか、これが見たい、とか、そういうものも全てなくなった。欲しいものも、行きたいところも、会いたい人も、何もない。ほんとうに、どれだけ考えてもない。なんにも欲しくない。

つまり今、わたしは、「失うもの」がないという状態なのかもしれない、とも思う。「失うこと」がこわいのは、きっと両手のひらにあまりにたくさんのものを抱えて、肩からも背負って、足首にも腰にも巻いて、その上、頭でも心でもいろいろなものを抱えていたからなのかもしれない。

わたしは「うつ」になって、それらのものを、もしかしたら全て「手放す」ことができたのかもしれない。

やりたいこともやれなくて、働けなくて、ごはんも食べられなくて、眠れなくて、明日なんて未来なんて見えないけれど。でもそれは絶望ではないのだと思うよ。ていうか、そう思わせてくれ。わたしはかわいそうなんかじゃないよ。すべてのことに意味はあるから。

クリスマスも、おおみそかも、お正月も、ずっとひとりきりで、天井ばかり見ていた。眠ることも起きることもできなくて、動けなくて、ずっとずっと天井を見ていた。でもこれは、つらいことではない。意味があることなんだと思う。

そして唯一よかったと思えることは、わたしにパートナーや子どもがいなくてよかったということ。わたしが病気になって、迷惑をかける相手が同じ屋根の下にいなくて心からよかった。自分で自分の始末をつけられるだけでよかったと思う。結婚していなくてよかった。恋人もいなくてよかった。元気になんでもやってあげられるわたしじゃないわたし、を見せる相手がいなくてよかった、と毎日思う。

また働けるようになるために、今は治療をがんばる。だけど、働けることになったとしてもわたしはもうパートナーを持つことはしないだろうなと思った。誰にも頼りたくない、誰にも迷惑をかけたくないから。動けなくなって食べ物がなくなったらそれで終わりでいい。ただ、そうならないために努力はする。でも努力ができなくなったら終わりでいいと思う。


ばかみたいな話だけれど。
なんの欲望も欲求も感じなくなって、まっさらになった一番下にあったものは「文章を書くことが好きだな」っていうことだった。うまくはないし、賢くもない、良い文章を書けるわけではない。でもわたしは、ああ、文章を書くことが好きなんだ、って、全部手放した先にあったことを知った。本を読むことより好きだと思った。好きというか、一番下にある感情というか、状態というか、それだけしか残らなかった。そしてもうひとつ。わたしは「優しい人間でいたいな」ということ。偽善者みたい。でも、全部手放した一番下にあったのはそういう気持ちでした。

悲しくて、苦しくて、そうであればあるほど、優しい言葉を綴りたいと本気で思った。涙が出て、息が苦しくて、何もできなくて、そうであればあるほど、どこか知らない人が、優しく正しく生きる人びとが、救われる世界であって欲しいなと願った。


秋頃に、ある文藝雑誌の担当の方から原稿の依頼をいただいていた。
2024年春頃発行予定で、2024年2月1日が締め切り。お話をいただいたのは2023年9月初旬で、その後、見本誌を届けていただき、正式にお話をお受けした。

その方は、ものすごく丁寧にわたしの前作も前々作も読んでくださり、とても高く評価して下さっていました。お会いしたことはないけれど、メールのやりとりや、日々のその方のSNSへの投稿内容からも、本当に文学を大切に思い、作品を愛し、作家に対する敬意を払ってくださる、文学に関わる全ての方に対する情熱のある、とても素敵な方だと感じていました。だから、わたしはこの原稿だけは何がなんでも、命を削ってでも仕上げなければいけないと思っていた。その方のために。

9月頃は仕事に忙殺されていて、皮肉にも、体調を崩して強制的に休暇に入らされるまで原稿と向き合うことができなかった。(社用のPCとスマートフォンは即日取り上げられてしまったので……)

でも、いざ「うつ」を発症し、休養に入ってみると、小説どころではなかった。文字通り寝たきりの日が続き、本当に何もできなかった。薬の副作用で一日中麻酔にかかったみたいになる日も多かった。でも、この原稿だけは、絶対に何がなんでも落とせないと思った。わたしの作品を認めてくださった、そして依頼してくださった方に対しての恩返しだから。

内容もテーマも、衿さんが今書きたいものをなんでも書いて下さい、という依頼内容も本当にありがたかった。いつかどこかで発表したくて、一度合評会にかけた時にはそんなに反応のよくなかった作品があって、でもそれをわたしはいつか出したいと思っていた。(これは9月にお話をもらった時から決めていた)

元は80枚ちょっとの作品だったのだけれど、読み直してみると「芯」がなかった。シーンとシーンの継ぎ接ぎで、写真集みたいな印象を受けた。これはだめだな、と思い、その作品に「芯」を通す作業をした。わたしは土台のある作品を書き直す時、全く同じシーンを書くとしても絶対にコピー&ペーストを使わない。一文字ずつ打ち直す。そうでないと自分の中でリズムが取れなくて、その時に適切な次の言葉が出てこなくなるから。これはとても歌をうたう感覚に似ているなと思う。そして、「芯」を通し「写真」ではなく「連続した物語」になるように努力して書いた。50枚ほど枚数が増えて、約130枚くらいの作品になった(物語になっているかどうかはまだ分からない、読んでくださる方が決めることだから)

無事に原稿は締め切りよりも前に出来上がった。とてもしんどかったけれど、とてもしんどい気持ちがあるからこそ、優しい気持ちでいたかった。優しい言葉を、優しい物語を、綴りたかった。

「わたし」は、どこかにいる顔も名前も知らない「あなた」にそれが届けば良いなと思っている。でもその「あなた」というのは、ほんとうは「わたし」自身のことなのかもしれないな、とも思った。

何もかも手放して、最後に残った気持ちは「あなた」と「あなたという名のわたし」に優しくしたい、そしてできることならばそれを「言葉」で表現したい、ということだったのかな。

「わたし」は「わたし」しかいない。たったひとりの「わたし」。

今日のわたしが、もしも寝たきりで何もできなくてもいいのだと思うことにする。明日のわたしが、やってくれるかもしれないから。でも、明日のわたしも、無理しなくてもいいよ。明後日のわたしがやってくれるかもしれないんだから。


わたしは文章を書くことが好きです。
そして、優しさを人にあげられる人でありたい。
たくさんの感謝を添えて。

今思うのは、そのことだけ。


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