Surround me Music, Feel Good #21-大萩康司 ギター・リサイタル 2023-

2023年内に聴くクラシックギターコンサートの最後の予定として、大萩康司さんの演奏を聴きました。

これまで何度も演奏を聴いているギタリストではありますが、東京文化会館小ホールでの演奏を聴いたのはコロナ禍よりもっと前の頃だったかと思います。

今回、とてもモダンなプログラム構成となっていて、前半に中南米の近現代の作曲家、後半ではできたばかりの新曲を含む日本の作曲家の曲が選ばれていました。

悲歌イン・メモリアル・トオル・タケミツは、キューバの作曲家が地球の裏側にある日本の作曲家の死別へと、悼み、そしてオマージュを捧げた曲で、初めてコンサートで聴けました。11月のある日は映画音楽であり人気曲でもあるものの、やはり悲しみのニュアンスがこめられています。

そこには、近年の日本や世界で起こっているコロナ禍や戦争といった悲しみが投影されており、続く「コンポステラ組曲」より選ばれたⅠ.プレリュードにもやはり混迷や模索の、緊張感が混ざったシリアスな気分、Ⅱ.コラールでは、悲しい出来事へと祈るような思いが感じられました。

しかしⅣ.ムニェイラでは、それらで奏でられた悲痛や苦悩、不安を取り去るかのような快活で生命力に満ちた音楽。悪いことのまま終わらせない人間ドラマ。

続くエストレジータはうっとりするような星空の曲ですが、その潤いと癒しがインターバルとしてあり、南のソナチネからはさらに快活な、躍動感のある再生や復活をイメージしました。

曲単位、あるいは作曲家、作曲当時の時代背景を鑑みたときに、このようなイメージを待つことは慣例からは外れていることでもあります。

しかし、ギタリストの演奏やあるいは曲から、今この場所での解釈(ストーリー)を想起することができるのは、クラシック音楽が時代が変わっても残り続けるひとつの理由だと感じます。

もちろん、曲間に大萩さんが補足的にコメントを加え、そういったイメージの助けをしてくれているからという部分もありますが、素晴らしい音楽を再現するだけでなく、現代で演奏され、聴かれる意味づけ(付加価値)が、演奏の中で創造されていて、コンサートへ足を運ぶ喜びを感じます。

後半では、やじろべえという一風変わったタイトルの曲が世界初演されました。

フランス的なファジーな曲で、筆者はこういう不思議な和音や中途半端な展開で終止しきらなかったりする曲は幼い頃から割と好きで(←古典派的な、普通は皆が綺麗とか思う曲の良さを理解するのに時間がかかったりしてしまうタイプ)、だから気持ち悪いというより、綺麗な曲だと感じました。

舞台に呼ばれた作曲者自ら「気持ち悪い曲」と発言するシーンもありましたがw、大萩さんは楽しんで演奏されていたと思いますし、気持ち悪いと感じたお客さんも至極まっとうだと思いますw

音楽と人との多様性が感じられる一時の後には、映画「マチネの終わりに」のテーマソングとして人気曲となった幸福の硬貨が弾かれ、この曲にはポピュラーミュージック的な良さがあり、安心して共感の一時が流れていきます。来月に控えたクリスマスを予感させる趣も宿っていました。

終盤に向かう中では、三善晃作品が鮮やかに、そして強烈にコントラストを作っていきます。今回のコンサート、組曲の抜粋などもありつつ、典型的な「緩急緩」を再構築しているような意図も感じましたが、同作曲家の作品が続くシーンがハイライトのような印象を受けました。

ギターのための五つの詩では、ヤジロベエでの不思議な印象がまた戻ってきたような、独特な響きが随所にありましたが、その不思議なタイトルだけでなく、奏でられる演奏から詩性ある、散文的な魅力が伝わり、大萩さんの個性が大いに現れていた時間だったと思います。

から一転して、強靭でモノクロな印象のエピターズは、かっこいいシルエットが次々と駆け抜けていくようなイメージ!

思えばもう結構前ですが、福岡公演でギターは耐え、そして希望し続ける(池辺晋一郎)ラ・グラン・サラバンダ(L.ブローウェル)を聴けた機会などでも感じた映像的に、流れるように、音楽が進行し、クライマックスへ至る様はやはり聞き応えがあります!

エンディングを飾った戦場のメリークリスマスでは、今回のプログラムを総括的に示すような繊細さ、祈りや悲しみ、苦悩もありつつ、やはり生命力あるドラマとなって終わりました。

この曲、大萩さんクラスのギタリストが演奏会で弾くとこうなるのか…。マスメディア(テレビや動画など)で検索して知ることができるクラシックギター演奏のイメージと全く違ったし、ピアノオリジナルでは不可能な、物凄い演奏効果の発揮。「クリスマス(キリスト)」っていうか、もはや「神」だろ…。

アンコールのそのあくる日は、こうして私たちが、これからも築いていく日常を祝福しているかのような優しい響きで、空間に染み渡るように消えていきました。

終わってしまえばあっという間の時間だからこそ、音楽(コンサート)は尊く、でも確実に聴いた人の糧になって、日々を築いているのだと思います。





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